パターンA
「どうしたんだ安藤、道端で頭抱えて」
「佐伯」
大学からの帰り道、同じゼミの安藤が何やら悩ましげに体を捻らせていた。洗濯機の中のTシャツみたいになった彼は、僕を見かけた途端困り顔で縋り付いてきた。
「大変なんだ…俺の家が、その…」
「家?」
安藤は確か、6月から大学の近くで一人暮らしを始めていた。僕も何回か遊びに行ったことがある。故郷を離れ、未だ彼女もいない安藤にはやはり一人の空間が寂しいようで、僕もちょくちょく飲みに誘われた。彼はケヤキ道のど真ん中で、大粒の汗を額に浮かべながら啜り泣いた。
「鍵…鍵かけたかどうか、不安になってよォ」
「はあ」
目にうっすら涙を浮かべる友人に、僕は苦笑いを返した。世界の終わりみたいな顔をしていたから何事かと思ったら、なんてちっぽけな悩みなのだろう。要するに、よくある強迫観念だ。だけどこいつにとっては、『家の鍵をちゃんとかけたかどうか』が世界のどんな有象無象より気になって仕方がないのだろう。
「そんなに不安なら、確認しに行きゃいいじゃないか。すぐ近くなんだし」
「そうもいかねえんだよ!15時から佐々木教授に呼ばれてっから!」
佐々木教授は僕らのゼミの担当教授だ。非常に厳しくて、一度でも提出物を出し損ねたり無断欠席したら容赦なく単位を落とす鬼教授だった。卒業まで単位ギリギリで通っていた僕らは、このゼミを選んだことをずっと後悔していた。
「佐伯、お前代わりに見に行ってくれよ!」
「え!?いいのかよ?」
「見るだけだ、な?頼むよ」
「まあいいけどさ…」
「助かる!ああ…閉めたよな?確かに閉めた気がするんだけど…」
安藤はブツブツ呟きながら、急いで教員棟へと走って行った。取り越し苦労が目に見えてるのに、全く心配性な奴だ。仕方がない。ちょうど僕も帰るところだったから、散歩がてら見に行ってみよう。早速僕は彼の住むアパートへと足を運んだ。
そして、案の定…というか当然のように、彼の住む裏野ハイツの玄関には鍵がかけられていた。…もし空いてたら、いたずらしてやろうかと思ったのに。固く閉ざされた扉の前に立ち、僕は安藤に電話することにした。
「もしもし?安藤?」
『佐伯か!?悪い!空いてただろ?』
「いや?閉まってたよ」
のんびりと返事をしながら、僕は電話越しにも聞こえるようにドアノブをガチャガチャやった。
「な?」
『……』
「…どうしたんだよ?」
『いや、やっぱり閉めてないよ俺』
「…ってもよぉ」
『だって、家の中に鍵忘れてきたから』
「はあ?」
何時まで経っても不安なままの彼の声に苛立ちながら、僕はもう一度ドアノブを手に乱暴に扉を揺らした。すると…。
ガチャリ。
とゆっくり音がして、中から鍵が、開けられた。受話器の向こう側では、安藤が蚊の泣くような声で喉を震わせていた。
『…もしかして、誰かが勝手に入ったりしてないだろうな…?』