三十路の味噌汁
肌寒さに目が覚めた。日本とは違って建て付けの悪いこの家は、容易に隙間風を通してしまう。布団を被っててもわかる部屋のひんやりとした空気に、もぞもぞとまた布団に潜り込む。カーテンから溢れる日の光に朝の気配を感じた。
「んんんー。」
布団にそのまま戻ってしまいそうな自分を叱咤して、ぐぐっと伸びをした。それから欠伸を一つ。
「よし!」
今日も一日頑張りますか!
冷たい水で顔を洗って眠気を覚ます。
質素なワンピースに袖を通して、寝癖が跳ねまくる髪を一つに結い上げた。
懐かしい夢をみた。あれは、私がこっちの世界に来たばかりの頃だ。
あの時、結局私はこの世界でいう神子ではないと判断された。神子としてこの世界に来たはずの女、でも浄化はできない。それでは意味がない。世界を救えない神子は必要ない。こうして私は「手違い」という存在になった。
「おはよう!ユウコさぁん!今日の野菜、ここ置いとくからなぁ!」
下の階から、八百屋の声がした。
しまった。もうそんな時間か。時計を見ると5時を回ってた。
「今行きまぁす!」
慌てて階段を駆け下りた。
「手違い」な私は、帰ることを望んだが叶わなかった。帰る方法がそもそもないんだとか。歴代の神子も帰る人はいなかったとか。
それはとても困った。これからどうやっていけばいいのよ。どう生活していけばいいのよ。そう、お爺さん改めこの国の主教様に泣きつけば、それはそれは手厚く王宮に迎えられた。それはもうとても。
やれユウコ様ドレスだ。やれユウコ様お茶会だ。やれユウコ様舞踏会だ。生まれてこのかた庶民として生活してきた私が、キラキラとした世界に目を回すのには時間がかからなかった。
もう無理。王様に届いた弱音は、どうしたい?という問いで返ってきた。
どうしたい?どうしようか。
私はもともとお姫様なんかじゃないし、こんな生活似合わないし、というかあまり好きじゃないなー。
もっとこう、うん。普通の庶民の暮らしでいいよ。きっと不便くらいが丁度いい。城下町で暮らそう。ルールは違えど、きっと今までと同じ生活ができるだろう。
裏口に立っていた彼に、コインを幾つか手渡した。
朝早いにもかかわらず彼の笑顔はとても爽やかだ。彼の後ろにある荷車には、野菜がまだたくさん積んであった。これから、まだ周るところがあるのだろう。
「はい丁度。毎度あり。」
「いつもありがとう。助かるわ。」
「なぁに、うちの美味しい野菜がユウコさんの手によってもっと美味しくなるってんだ。こっちも嬉しいよ。まぁ、お礼なら今度ご飯でも。」
「あら?そんなこと奥さんにばれたら恐ろしいわ。」
「俺にかみさんなんかいやしないよ。なんなら、ユウコさんも八百屋になるか?俺と一緒に。」
「うふふ、お誘いどうもありがとう。でも、今の仕事気に入ってるから、飽きたらそうさせて貰うわね。それじゃ、仕込みに入るから。」
そう言って、裏口のドアを閉めて八百屋から貰った野菜を中に運んだ。まだ朝露に濡れる新鮮な野菜達がキラキラと輝いていた。
城下町はいいが、どうやって生活していこうか。仕事はどうしよう。国にいつまでも脛かじっててもいいけど、やっぱり人間楽を覚えたらだらけてしまう。やっぱり仕事は大事。
でも、今まで日本でパソコンとにらめっこしていたOLだったわけで。マウスとキーボードと受話器が私の武器だったわけで。
なにしよっかなー。用意された部屋に広がるのは洋食と洋菓子ばかり。そろそろ和食が食べたい。ご飯に煮物に焼き魚に漬け物それから味噌汁。あぁ恋しい。
そうだ。食堂でもしようか。
こうして、突発的な思いつきで食堂をすることになり、国に少し支援してもらって城下町にある家を一つ借り、一階は食堂、二階は生活の場として、なんとか形になってきた今日この頃。
試行錯誤しながら作った和食は、この国の人達に受け入れられ始めて、ぼちぼちとお客さんも入ってきた。
うんうん。まぁ、なんとかなるでしょう。
「さぁ!今日も元気にいきましょう!」
この数日後、世界を救う神子様が現れたと王宮から私の耳に入った。