夜の電車
帰宅ラッシュの電車の中でふと目をあげた。目の前にはスーツのお兄さんが立っていた。イヤホンから音が漏れている。いつもだったらうるさいなあと思うだけの音漏れだけど、今日は違った。
(ミスチルの「未来」だ)
自分の知っている曲だったから、掠れて聞こえるメロディーから、曲が分かった。思わずお兄さんの顔をまじまじと見つめる。お兄さんは目を落としていた携帯をカバンにしまって、そのまま目を閉じた。眉間にはちょっとしたシワが刻まれている。
駅に着いた。人が降りる。私の席の隣が空いた。お兄さんは私をチラッと見て、軽く会釈してその席に座った。
隣同士、人の少ない電車の中で、夜に包まれた窓の外を眺めながら電車の中揺られていく。
知らないお兄さんなのにどうしてこんなに気になるんだろうか。落ち込んだようなその猫背を視界の端にとらえて、私は既に頭に入ってこなかった本をそっと閉じて、耳をすませた。
電車に響くエアコンの音と、走る電車の音の中をかきわけるように、聞きなれた主旋律が耳に入る。
曲が終わるとお兄さんはもぞもぞと動いて、別の曲を選んだ。また、私の知っている曲。
切れ切れの優しいギターの音に私は静かに目を閉じた。電車が揺れて、お兄さんの肩が時折私の肩に触れる。
たぶん交わることのない人生だから、私はこの人の喜びも悲しみも知らない。当たり前のことがなぜだか急に胸に迫った。出会ったまま別れてしまう人のなんて多いことだろう。
今日はこのまま終点まで乗り過ごそうかな。私は目を閉じたまま、そう思った。