第一章
──俺は、鳥の様に空を自由自在に翔びたかった。
それが昔の紫蔭の夢だった。しかし、今はその夢が断たれた。右腕を怪我したあの日から彼は翔ぶことが出来なくなった。いや空を翔ぶことが嫌いになった。
あの日、突然の竜巻の発生に巻き込まれ、目が覚めたときには病院にいた。
右腕は包帯が巻かれていた。点滴が無くなり、一時すると想像出来ない強烈な激痛が彼の右腕を襲った。
医者が駆け付けて点滴を替える。その時彼は自分の右腕を見た。肩から指の先まで刃物で切り裂かれた様だった。
信じられないだろう。自分の腕が一度、真っ二つになったことを、
紫蔭は声にならない声で、近くにいる誰にも聞こえない声で叫んだ。
その時かかったお金は億単位を越えていた。その時の家族は紫蔭を金泥棒扱いし、家から追い出した。
血の繋がった家族は事故に遭いとっくの前に死んでいる。
そして彼は親戚の家を転々と移動してきた。
紫蔭はウィング・ブレイド、通称WBその名
に疑問に思ったことがある。
──何故一つのWBに翼が一枚しか出ないんだろう。
──何故WBから翼がでるんだろう。
──翼は背中から生えるものじゃないのだろうか?
──何故WBは手首に着けるバンド型しかないんだろう。
そして、自分はまた、
──またあの空に向かって翔ぶことが出来るだろうか──
◇◆◇◆◇◆◇◆
部屋の窓から朝日が指す。
「ん、んん」
彼、風薙 紫蔭は時計を見るなり、即座に二度寝をした。時計はもう既に九時を回っていた。遅刻その言葉が頭に浮かんだ時には諦めという行動に移すしかないと思った。
その時、部屋のドアが勢いよく開く。
「コルラアアアァァ転校初日に遅刻すんじゃねえぇ」
姉、更雪 遥がドアを蹴って入ってくる。
当然ここに住む人と紫蔭は血の繋がりがない。
「なんで転校初日から遅刻しようとした」
「いや、遅刻をしようとは考えてないぞ、休もうとは考えたけど」
「尚更悪いわー」
紫蔭は枕元に置いてあるペンダントを首に掛ける。
「はいはい、行けばいいんだろ行けば」
紫蔭は着替えを終えると遥に近寄る。
「準備出来たが」
「お、来たな。空を翔んでいくぞ」
「はぁ?」
紫蔭の包帯で巻かれた右腕は大怪我を負っている。だから右腕は翔ぶと途中で激痛が走る。しかし、紫蔭は別の考えを出した。
「ま、まさか、姉さんに抱き付けということか?」
「そうだ」
紫蔭は勢いよく数歩後ずさる。
「おいおいそんなに引くなよ、姉弟だろ。なら、私から抱き付こう」
紫蔭は必死に逃げるが翔んで追いかける遥に一瞬にして捕まり、そのまま空へと上昇していった。
「おい!俺は空が嫌いなこと知ってるだろ」
「ん、ああ知ってるさ。でも怖いという訳ではないだろう」
紫蔭は空が怖いという訳ではなく、ただ単に空が嫌いになっただけ、紫蔭はあの日以来、空を自由自在に翔ぶことが出来ず、嫌いという意識が高まっただけなのだ。
「そうなんだが…………」
「ほら紫蔭、着いたぞ」
下には紫蔭が今日から通うこととなる学舎があった。
校舎は中々広い。しかし、遥が言うには、ただ校舎が広いだけで生徒数は普通レベルで隣町の学校より全然少ないという。
遥は着地すると紫蔭を放す。
「とっとと、息なり放すなよ」
「んあ?なんか言ったか?」
「………いや何も」
WBは元々エネルギーを消費して翔ぶ道具だった。しかし、そのエネルギーは消費することで温暖化を促進させる物質を出していたことが一時期問題となっていたが、ルナ・ホワイトと名乗る者から二つのバンドが送られてきて、何か何かと研究者達が試してみると、旧式のWBはエネルギーを消費して翼を生やすのに対して送られきたバンドはエネルギーも何も必要としないで翼を生やすことができた。
研究者達はそのバンドを公表した。
そして、研究者と開発組織は正体不明のルナ・ホワイトの身元を探し求めた。未だ学生をしていることを知らずに。
教室は賑わっていた。
「皆静まれ、自習は終わりだ。転校生を紹介する」
皆の目線は遥の隣にいる紫蔭に向けられる。
「ほら、自己紹介しろ」
紫蔭はチョークを持つが、ここで自分の字を書いてしまったら正体がバレるのではないかと考える。バレると厄介なことになると思い至り、口で紹介した。
「風薙 紫蔭、WBで空を翔ぶことが出来ない。以上」
そこで紫蔭は、自分の失態に気付いた。
今言った言葉は自分の正体を明かしている。
ある日プロのエア・ライダーの少年は自然の事故で空を翔べなくなった。
「くくく、「「あははははははははは」」」
皆はそんなことは覚えていないようで馬鹿にするように笑った。
笑っていない者は紫蔭本人と教師の遥、そしていつの間にか紫蔭の隣にいた少女の三人だけだった。
「星倉 星菜です。私も翔んだことがありません」
教室内の空気は一気に凍り付いた。
翔ぶことが出来ないなら一度は翔んだことがあり、空が怖くなったと察せられるが、翔んだことがないというと、今までの人生の中で一度も翔んでないということになる。普通は七歳で皆自由自在に翔んでいる。そんなことより、本当にいつの間にいたんだろう。
「あ、そうそう忘れるところだった。紫蔭、星菜にWBでの翔び方を教えてやってくれ」
「え、は、はあぁーーーーーーーー!!」
◇◆◇◆◇◆◇◆
「んで、お前に翔び方を教えることとなった紫蔭だ」
紫蔭は怠そうに自己紹介する。実際、やる気はなく欠伸を先程から何度もしている。
そんな態度の紫蔭に対し星菜は機嫌を悪くしていた。
「なんですかこの態度は、私、何かしました?」
「ん、いや、ただ俺は空が嫌いなんだよ、だから教えるのに気が進まないんだ」
空を見上げながら言う紫蔭、その顔には何かの感情があるように見える。星菜はそんな紫蔭の顔に疑問を持った。でも、それよりも気になった空が嫌いという言葉の意味について訊ねる。
「なんで空が嫌いなんていうんですか?」
星菜には、紫蔭は空を嫌っているようには見えなかった。ただ、翔びたくないから言い訳をしてるようにしか見えなかった。
「翔べないから、」
その言葉に星菜は納得がいかないようで、もう一押しする。
「じゃあ、翔べない理由を教えてください」
紫蔭は大きく溜息をついた。そして、右腕に巻いた包帯をほどく、現れた腕には肩から指先にかけて想像を大きく裏切る黒い傷が禍々しく現した。
「っ!!」
星菜は口を押さえ、息を飲んだ。
言葉が出なかった。いや、言葉に出来るようなことではない。喩え言葉にしていても逆に彼を傷付けるだけではないのかと、そこまで考えが至った。
「気持ち悪いだろう。俺は幼い頃に右腕を裂くことになる事故に遭ったんだよ。」
───何故、
「当時の医者の医療技術では一度真っ二つになった腕を完全に治すことが出来ずの中途半端に──、いや、大分裂けた状態の腕だ」
───何故、
「何故、それだけで空を翔ぶことを諦めるんですか」
そこで星菜は、一人の人物を思い出す。
彼は事故に遭うまでは、どんな強敵であろうと屈しないで立ち向かいそして、勝利を自らの手で掴みとった。小さな身体で自分よりも遥かに大きい相手に勝った。誰もが負けると予想していた人物は、全ての人を裏切るように勝ち進んだ。
大人相手に、まだ小学生であろう者が、体格差で負けている小さき子供が屈せずに前だけを見続けて魅力的な空の舞いで相手を圧した。
と、剣姫の称号を与えられた少女らしき少年、そして彼のプレイスタイルを思い描いた。
「剣姫は諦めずに勝ち進んだ。事故が起きなければ優勝間違いなしだった。なのに紫蔭さんは──」
「これでどう翔べばいいんだ」
「腕は治っているはずです」
紫蔭は苛立ちが隠せない。諦めるなと言うこともそうだが、何より紫蔭を腹立たせたのは、星菜自身が昔の自分と重なることで、昔の自分が何より大嫌いだ。
「だから、もう鳥みたいに自由に空を翔べるはずです」
その言葉は紫蔭の夢、二度と再現することが出来ない夢、紫蔭は怒りを忘れ、顔から色が無くなり暗くなる。
「さっきから言っているだろ。裂けた腕はまだ、治ってない、と」
とてつもなく小さい声、下を向いている所為で表情が見えない。
「やる気失せた。今日はもう解散」
「えっ!」
星菜は突然のことに意見することが出来なかった。
◇◆◇◆◇◆◇◆
───何故、それだけで空を翔ぶことを諦めるんですか
「翔ぶことを諦めるのか、か」
紫蔭は諦めたくて諦めた訳ではなく、諦めなければならなかった。
───剣姫は諦めずに勝ち進んだ。
それは、勝てる可能性がゼロじゃなかったから、諦めなかった。
でも、これは違う。この右腕は翼を生やすことは出来ても翔ぶことが出来ない。
ふと、あの頃の記憶が蘇る。
───なあ紫蔭、出来ないんだからもういいじゃないか。
───嫌だ、諦めなければ絶対に出来る。
───SLに無い技を編み出すなんて、十年に一人の選手が試合中にポロッと無意識に生み出すぐらい難しいんだぞ。
───じゃ、技を編み出した数だけ願い事を一つ叶えてくれる?
───出来るならな、そのときは編み出した数だけお前の願いを叶えてやる。
───言ったなぁ、見てろよ十は編み出してやる。
───はは、やれるもんならな。
そして、紫蔭は十とは言わず幾つもの技を編み出した。
あの頃も今も紫蔭の才能は底が知れない。
今も紫蔭はSLに登録されていない技を次々と編み出している。しかし、紫蔭は右腕を負傷しているため、実践する事が叶わない。
「今だったらこの腕を治す事が出来ただろうな」
紫蔭は制服の内にある首にかけたペンダントを取り出した。
幼い頃に自分が創った白いバンドに赤いラインが入ったWB、それと交換で授かった物。
同時に約束らしきことをしたはずだが、それが何なのかは紫蔭は忘れてしまった。
「翔んでる最中に酷い激痛に襲われなければ、血が出ても翔んでいたんだが」
WBはバンドから翼を生やし、羽ばたかせて翔ぶ道具。
つまり、手首から翼を生やす構図。身体を支える腕には大きな負担がかかってしまい、完治していない腕が悲鳴をあげてしまうのだ。
この話の続きは明日書こうかな