願い事。
人の流れのまま拝殿までたどり着くと、賽銭箱を前に手を合わせる。
私と花咲の間でお兄ちゃんもワンテンポ遅れながら手を合わせ、長いまつげを伏せた。
今年は何をお願いするのかしら。
小学校にあがる前からお兄ちゃんの願いごとはほぼ同じである。
最初のお願いは「友達がたくさんできますように」だった。
それは他の小学校にあがる多くの子供たちが願うものと同じで、夢と希望に満ちたお願いごとだった。
小学校にあがって間もなくしてそれは叶った。
お兄ちゃんのまわりには、女子も男子もたくさん集まった。
もちろんそのまま順風満帆に行っていれば今のお兄ちゃんはないわけで。
入学して最初の夏休みが明けて間もなく、廊下に「うらぎりもの!」という声が響いた。
見ると、女子数人の真ん中で、紺色のセーラー柄ワンピースを着たお兄ちゃんがきょとんとした顔で立っていた。
その女子たちは全員泣いていた。
中のひとりが、
「私、ノブくんのこと幼稚園のころから好きだったのに! 知ってたくせに!!」
と言ったことで状況は飲み込めた。
お兄ちゃんには一ミリの悪意も一グラムの罪もない。
ただノブくんとやらが、お兄ちゃんを勝手に好きになってしまっただけの話。
私の記憶する限りこれがお兄ちゃんの悪夢のようなモテ期というかモテ人生の始まりであり、同時にぼっち生活の始まりだったと思う。
友達だと言った相手は、皆ことごとくお兄ちゃんに恋していた。
また別の友達だと言った相手は、お兄ちゃんに対して勝手に劣等感を抱いては、最後にはお兄ちゃんの悪口をふれ回った。
友達はお兄ちゃんの部屋で拾い集めた髪の毛をノートに挟んで持って帰ろうとした。
友達はお兄ちゃんのノートをゴミ箱に捨てた。
友達はいつだってお兄ちゃんを困らせた。
お兄ちゃんにとって何もしなくても仲良しの友達ができるというのは本の中に出てくる物語で理想。
宝くじを買えば一等が当たるというのと同じくらいの理想。
だから私やまわりの人間が、初めて出会った人間とうまく交友を深めていくのを、当時のお兄ちゃんは不思議そうな目でぼんやり眺めていたのを覚えている。
そういう経緯から、小学二年の初詣、つまりは小学三年にあがる年の願い事は、
「友達をつくれるようになりますように」
になった。
お兄ちゃんは自分には友達を作るスキルが備わっていないと判断したのだ。
しかしスキルを身に着けるには経験が必要で、小一でそのとっかかりを掴み損ねたお兄ちゃんに神様がそれを授けることはなかった。
だからその翌年の願い事は、
「クラスでもう少し普通のお話ができますように」
だった。
それでも状況が変わることはなく一年は過ぎ、
去年の願い事はとうとう、
「誰にも嫌な思いをさせませんように」
になってしまった。
嫌な思いをしているのは自分なのだが、それは他人に嫌な思いをさせてしまった結果なのだというのがお兄ちゃんが最終的に達した結論だった。
そしてまたそういった嫌味のない性格が女子には嫌味と取られ、男子からは聖人のように扱われ、だから女子に嫌われ、それを男子がかばい、さらに女子に嫌われ、男子がそこにつけこみ……本人の意図しない方向には面白いくらいに転げていってしまうのだ。
ただそんなお兄ちゃんも、去年は思わぬ偶然から花咲という友達を得た。
だから今年の願い事は何だろうと思って例年以上に私は聞き耳を立てた。
まさかお兄ちゃんが、「もっと友達ができますように」なんて欲張るとはとても思えない。
お兄ちゃんは一度伏せた金色のまつげをそっとあげると、左隣で同じように拝んでいる花咲にちらりと見遣る。
それから薄く顔を赤くしたかと思うと、蝶がささやくようなとても小さな声で呟いた。
誰にも聞こえないように。
しかし、私は対お兄ちゃん用の読唇術を駆使してそれを読み取る。
十一年もだてにお兄ちゃんの唇を狙っているわけではない。
頭の中でお兄ちゃんのテンポ、唇の動き、秒数、朝リビングで見たパンツの色などと照合して、解析に取り掛かる。
「ずっと」「セリカちゃんのことが」「す・き」
バカッ! 私バカ!
絶対言ってないよ!
それ願い事じゃないし!
私は拝みながら、もう一度頭の中の先ほどのお兄ちゃんの映像をスロー再生する。
ずっと。
「ずっと仲良しでいられますようにぃ」
なるほどね。
ふふふ。
…………許さない。
許さないよ?
何で私の方は見なかったの?
妹だからって安心してるの?
油断してると兄妹の垣根飛び越えちゃうぞ?
ナンバーワンになれないなら、もっともっと特別なオンリーワンになっちゃうぞ?




