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ランドセルを脱がさないで。


 新学期。


 憂鬱な気持ち歩く私の前を、五年も使っているとは思えないきれいな赤いランドセルが歩く。

 そのランドセルの上を朝の光を反射させた金髪がきらきらとはねる。

 鼻歌も聞こえてくる。

 私ですらこんなに憂鬱なのに、友達もろくにいないお兄ちゃんは学校に何をそんな楽しみにすることがあるのだろう。


「やっぱり今日寒いねぇ」


 くるりとこちらを振り返ったかと思うと、白い息を吐きながらはにかむようにしてお兄ちゃんは笑う。

 私はその白い息を一気に吸い込む。

 ああ……肺が洗われるようだ。

 

「だからもうちょっとあったかい格好した方がいいって言ったのに」


 ベージュのトレンチコートの上に、白のリボン付きケープを羽織っているお兄ちゃん。

 見た目はそうでもなさそうだが、気温が0度近い今朝なんかはダウンコートでもないと芯から冷える。

 実際私は迷わずダウンコートを選んだ。

 お兄ちゃんにもダウンを勧めたが、「んー」とか「そうだねぇ」とかはぐらかして結局最後にはダウンを拒否された。

 一昨年、お姉ちゃんに買ってもらったダウンがあるはずだけど、お兄ちゃんがそれを着ている姿を見たのは買ったその店の中だけだった。

 はっきりとは口にしないが、お兄ちゃんはダウンのもこもこした見た目がどうにも受け入れられないようだ。

 雪山で遭難してたまたま見つけた山小屋に、ほぼ単色のダウンジャケットとウサギの耳がついたふわふわダッフルパーカーが掛けてあったとしたら、お兄ちゃんは迷わず後者を選ぶだろう。そして死ぬだろう。

 しかしここは雪山ではないので、お兄ちゃんのそのかわいさへの探求心には単純に頭が下がる。

 私には無理だ。


 しかし……あのリボンケープはかわい過ぎる。

 『かわいい』が『過ぎる』。

 うちの学校は服装にはかなり自由な方なのでそこら辺は何の問題もないが、ああいう格好をしていくと男子が色めき立ち、女子が殺気立つ。

 だからと言って、お兄ちゃんにもっと当たりさわりない格好しなよとは言えないし、それこそお兄ちゃんからかわいい物を奪ってしまったら、死んでしまうかもしれない。


 学校までの短い道のりを半分まで行ったところで、朝の挨拶が聞こえてくる。


「おはようございます! あ、おはよー。はい、おはよー」 


 新学期の朝から信号の待ちの女子児童にのみ声掛けする不審者を発見。

 運の悪いことに信号はちょうど赤に変わったところだ。迂回路を通ろうかと思うより先に、私の先を歩いていた純真無垢が声を掛けてしまう。


「おはようございます!」


「ふわー! セイラちゃんおはよう! その白いリボンケープものすごくかわいいねえ。セイラちゃんの白い肌にぴったり。白雪姫みたいだね。あ、でもほっぺが少し赤くなってるよ。今日寒いもんね。僕ポケットの中でずっとカイロ握ってたから、手あったかいよ。ほらっ」


 そう言って、お兄ちゃんの頬に触れようとする手を私が横からはじく。


「こらカス。何どさくさに紛れて女子児童に触ろうとしてるんだ」 


「あ、セリカちゃんおはよー! ダッフルの下から見える膝小僧がかわいいね」


「ひとの話無視してどこ見てんだ。新学期の朝からこんなところで犯罪行為に勤しみやがって」


「逆逆ぅ、防犯パトロールの一環じゃないか」


「こんな朝から必要ないだろ。登校ボランティアのお年寄りが立ってくれてる」


「それはそれ、これはこれ」


「ロリはロリか」


「ボクは純粋に地域の女の子の安全を守りたいんだよ」


「何で女の子に限定する」


「でもねセリカちゃん。僕がこうやってパトロールするようになって、不審者が随分と減ったんだよ」


 これはカスの言う通りだ。こいつが女子児童がどの時間にどの場所にいるのかを、徹底的に追及してパトロールしているので不審者が出没することはほとんどなくなった。世の父兄も先生も大変感謝していたりする。

 ただ、その実はロリコンによる縄張り争いでしかないことを皆は知らない。

 変態をもって変態を制すといったところか。

 まあ、結果平和なのでいいのだが。いや、いいのか?


「それにねセリカちゃん、冬休み明けの気持ちが緩んでいるときなんかが一番危ないんだよ」


「そうか。冬休みはパトロールしても、通学路に女子児童はいないからな。寒いから皆外に出たがらないし」


「そう! そうなんだよ! 長い冬休みだったよ! 三か月くらいあったんじゃないかって思ったよ! 本当に何のために仕事してるかわからなかったよ!」


「本当、お前何で生きてんの?」


 そこで私の袖がくいっと引っ張られる。

 振り返ると少し怒ったお兄ちゃんの顔があった。

 本当にかわいい者は、喜怒哀楽その他諸々全方位どこから見てもかわいいものだ。

 ちょうど子猫が何をしていてもかわいいのと同じように。

 そのかわいき者が、桃色の唇を尖らせて言う。


「セリカちゃん、あんまりそういうこと言っちゃダメだよぉ」


 あまりのかわいらしさに一瞬何のことかと思ったが、どうやらカスに対する私の口の利き方が気に障ったらしい。


「ああ、いいんだよセイラ。これはこの人にとってご褒美なんだ」


「ごほおび?」


 私の発言内容とご褒美の意味がつながらなかったのか、お兄ちゃんが眉を寄せる。


「いやいや、セリカちゃん僕にそんな趣味はないから。素直に褒められて育つタイプだから」


「そっか。じゃあ……」


 私はお兄ちゃんにそっと耳打ちする。

 なので自然と髪の毛に顔を寄せることになる。

 ものすごくいい匂い。


「えぇー、そんなのダメだよぉ。失礼だよぉ」


「いいからいいから、試しに呼んでごらん」


 私の提案に困惑しながら、口を開く。


「カ、カス……さん?」


「ダメだよ。さん付けしたら」


「カ……ス?」


 すると目の前の変態はおもむろにスマホを取り出した。


「セイラちゃん、録音するからもう一回言ってくれない? メールの着信音にするよ」


「気持ち悪いからやめろ」


「じゃあ、お写真一枚撮らせてよ。待ち受けにするから」


「何が、じゃあなんだ。セイラが怖がるからやめろ」


 お兄ちゃんはすでに私の背中に半分身を隠している。


「ご、ごめん。嫌だった? ごめんね」


「あの……嫌じゃないんですけど、あ、でも、あの……ごめんなさい」


「スマホなんかで写真を撮られまくる恐怖はお前にはわかるまい」


「そっか、ごめんね。じゃあ、今度似顔絵描かせてよ。僕、最近通信で絵画教室を習い始めたんだ」


「お前、頑張るベクトル完全に間違ってるだろ」


 本気で上手そうで怖い。


「でもあれだね、セイラちゃんもセリカちゃんももうすぐ六年生なんだね」


「そうだな」


「卒業したら中学生だよね」


「そうだな」


「そしたらもうランドセル背負うこともないんだよね」


「そうだな」


「じゃあさ、もしよかったらその」


「やだな」


「ランドセルを僕にくれないか?」


「……直球かよ」


「違うんだよ! これには深い理由があるんだよ。本当だよ。やましい気持ちとか全然ないんだよ。大丈夫だよ」


「言葉を重ねる分だけ、後ろめたさが滲み出てるぞ」


「いやいや、実はね世界の恵まれない子供たちにランドセルを寄付するんだよ」


「で?」


「え、で? とは」


 こちらがもう少し食いついてくると見越していたようで、狼狽するカス。


「仮に私のランドセルをお前に渡すとしよう」


「ありがとう」


「仮にだ。仮の話。仮定。仮想。仮釈放。わかるか?」


「あ、うん。最後の以外は」


「仮にお前にこの小学一年から六年までのそのときそのときの背中の汗を吸い込んできた私のランドセルを渡すとする。でだ。一度手にしておきながらお前は手放せるのか? ランドセル寄付しなくても代わりにお金寄付しておいたらいっかと思ってランドセルは自分のものにしたりしないか?」


「……こ、心を鬼にすれば何とか」


「鬼になるところ間違ってるだろ」


「わかったよ。そうだよね。大事なものだもんね。女の子が六年間背負ってきたランドセルは、そのまま六年間の人生を背負ってきたのと同じことだもんね」


「だから『女の子』って限定した時点でただのロリコン発言だってことに気付けな」


「あ、そうだ。じゃあ、ランドセルじゃなくてもいいよ。上履きとか、シャーペンとか、セリカちゃんとセイラちゃんがいらなくなったものちょうだい。あ、寄付するから」


「早くも欲望のたが外れてんじゃねえか」


 ましてやお兄ちゃんの使用済みの品なんてリアルに売れそうだし。


「安心しろ。私もセイラもランドセルは海外に寄付することになっている」


「え、もったいない」


「おいこら」


 寄付するというのは本当の話で、元々私はそんなつもりはなかったのだが、お兄ちゃんに付き合うような形でそうなったのだ。

 昔テレビでそういう活動があることを知ったお兄ちゃんが卒業後はランドセルを寄付すると決めたのだ。またそれを決めたのが小二のときで、最初は今使っているランドセルをすぐにでも送るようにお姉ちゃんにお願いして困らせていた。

 物の扱いは丁寧なお兄ちゃんだが、五年も使ったランドセルが異様にきれいなのはそういう理由からなのだ。


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