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マーメイド。

 私は潜水が得意だ。

 潜水の記録だけは校内で一番だ。

 おそらく花咲でもこればっかりは私にはかなわない。

 友達からは人魚姫と呼ばれている。

 呼ばれ方は「よっ、人魚姫!」といった具合で憧憬の的というものからは程遠い。まあ、人面魚と言われないだけマシだけど。


 ただ、これは努力に努力を重ねて伸ばした記録というわけではない。

 必要に迫られて続けている内に気が付けば二分以上潜っていられるようになったのだ。


 人間、嫌いなことは成長しにくいが、好きなことには限界の壁を次々と突破していく。

 ましてや、呼吸を止めるだけというシンプルな能力ならなおさらだ。

 もちろん、呼吸が止めることが楽しいわけではない。

 そんなことに楽しみを覚えている小学生がいたらおっかない。

 つまりは何の話かと言うと、潜っている間は堂々とお兄ちゃんの肢体を眺めることができるということだ。


 仰向けで股の間をくぐってもまったく不自然ではない。

 お兄ちゃんはセリカちゃんすごいすごいと喜んでくれるし。

 私は私でお兄ちゃんすごいすごい(眺めだよ)と喜べる。

 これを無心で繰り返している内に私の肺活量は小学生離れしたものになっていた。  


 プールと水着という組み合わせを考えた奴はとんでもない助平野郎に違いないが、紙一重の天才とも言える。

 白く細く伸びた足の付け根、タンキニパンツの裾が水流で揺れる度に中の白いショーツが見え隠れする。真下から見るこの光景は、水の中の静けさと施設のガラス天井から漏れる太陽光線。それに水面で輝く金髪とが相まって極楽浄土とはここではないかと思えるほどだ。

 お兄ちゃんこそ人魚姫にふさわしい。

 いやしかし、人魚になったら下半身が魚になるからこの素晴らしい光景は拝めなくなる。

 生足魅惑のマーメイドということで手を打とう。

 しかしまあ、バタ足を後ろから眺めるのとは違い、神秘と創造に溢れていて気持ちが落ち着く。

 何だかもう煩悩を通り越して、生物として次のステージに到達してしまいそうだ。


「セリカちゃん!」


 遠くでお兄ちゃんが私を呼んでいる。

 いつの間に着替えたのか、白いワンピースを着ていた。

 っていうか、今冬なんだけど……まあ、かわいいからいっか。

 

「セリカちゃんセリカちゃん!」


 お兄ちゃんがこんなに必死に私の名前を呼んでくれるなんて、どういうことだ。

 距離は五十メートル以上は離れているのに、声だけは妙に近い。

 「お兄ちゃん、どうしたの?」そう声にしようとするも、音として出てこない。

 声を失ってしまった?

 私は本当に人魚姫になってしまったのか?

 しかし、あの話は人間の手足を得る代わりに声を失ったのであって、元々人間であった私は……どういうことだ?

 思考がうまくまとまらない。

 とりあえずお兄ちゃんの方へ向かおうとするも足は宙を掻くようにふわふわしていて、思うように前に進まない。


「セーリカちゃん! 起きて!」


 起きて?

 もしかしてこれは……。

 夢?

 夢ならこうはしていられない。

 早くお兄ちゃんの元へ行ってあんなこといいなできたらいいな。そう簡単には起きてなるものか。


「セリカちゃん……」


 何だかお兄ちゃんの声が湿っている。

 辛いことでもあったのだろうか?

 そう思ったとたん、唇に柔らかいものが触れる。

 遠くにいたはずのお兄ちゃんはいつの間にか私の目の前にいて、私の頬に両手を添えた状態で唇を合わせていた。

 王子様ならぬ、お姫様の目覚めのキス。

 幸せ過ぎる。

 もったいないから起きるのはもう少し待とう。

 もう一度、二度、三度キスしてくれたら起きよう。

 そう思った次の瞬間、頬に鋭い痛みが走る。

 お兄ちゃんが私の頬を張っていた。

 どういうことだこれは? アメとムチにしても極端すぎるじゃないか。意味がわからない!

 まあ、夢とはそんなものか。


「起きろ! セリカ!」


 もう一度、頬を強く張られ、またキスをされる。

 ん?

 セリカ?

 呼び捨て?

 そして、急に喉の奥から何かがこみ上げてくる。


 かはっと水を吐き出すと目の前には人の顔がいくつもあった。

 お兄ちゃんにお姉ちゃん、花咲親子だけではなく、他の知らない顔がたくさんあった。

 そしてどういうわけか私はプールサイドで横になっていた。

 お兄ちゃんが私の首に抱き付いてくる。

 ものすごく良い匂いだ。

 プールの塩素でもこの匂いは掻き消えないのか、などと思ってるうちに私は担架に乗せられどこかに運ばれていく。

 医務室のベッドでようやく意識がはっきりして、自分が溺れていたことを知った。

 危うく本当に極楽浄土に行くところだったようだ。


「すぐに応急処置したので、大したこともなさそうですね」


 と、医者が言った。

 大きな複合施設だけあって医者まで配備しているのかと、まだ若干ふわりとした頭で考える。

 応急処置……。

 私は自分の唇に指で触れる。

 そして、ベッドの脇で未だ心配そうに見守るお兄ちゃんを見る。


「お、お、お、」


「落ち着いてセリカちゃん。ゆっくり喋っていいからねぇ」


 私はこくこくと二度頷くと、


「応急処置ってその……」


「うん。人口呼吸だよぉ」


 やた……やった……やったぞー!

 マウストゥーマウス。

 口と口。

 唇と唇。

 意識はなかったけど、ビジュアルは夢の中で補完できてたし、問題なし!


「何嬉しそうにしてんだお前……」


「ああ、心配かけて悪かったな花咲。だが、私の心は今最高MAXだ」


「あのな、あくまで人命救助だからな。変な勘違いすんなよ」


 こいつ何怒ってんだ?

 いや、待てよ。

 お兄ちゃんに人工呼吸なんてスキルが備わっているというのは少々無理がないか?


「花咲さん、本当にありがとぉー。命の恩人だよぉ」


 ああ。

 うん。


「セリカちゃん、あのね、花咲さんが」


「うん。言わなくていい、聞かなくていい、知らなくていい。花咲も心配してくれたんだね、ありがとう」


「セリカちゃん! もっとちゃんとお礼言わないとぉ」


 あーあーあー、もー夢なら夢のままでいさせてよ。

 これだから嫌なんだよリアルは!


 それからもうしばらく横になっている間に皆、一旦退室したかと思ったら、二十分くらいすると水着から着替えて戻ってきた。

 今度こそお兄ちゃんの生着替えをと楽しみにしていただけに、チャンスをものにできなかったことに悔しく思ったが、まだ昼過ぎだというのに帰らなければいけない理由を作ってしまった申し訳なさがすぐに追い抜いた。


 帰りはタクシーで家まで帰った。

 花咲父との時間を奪ってしまったお姉ちゃんには特に申し訳ない気持ちでいっぱいだった。


「ごめんね」


 と謝ると、


「ごめんですまないわよ」


 と返ってきて、


「セリカにもしものことがあったらもう……」


 と泣き出してしまい、私はもう一度ごめんねを言い直した。

 そばでつられて泣き出してしまったお兄ちゃんには、これまた何とも複雑な気持ちでごめんねと謝った。


 まあ、そんな踏んだり蹴ったりな具合で私の冬休みは終わったのだった。


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