待ち人はサンタクロース。
金髪を耳にかけると、箸でつままれた麺がかわいくすぼめたお口にちゅるちゅる吸い込まれていく。
ああ。
ああ。
私は麺になりたい。
箸になりたい。
ってか、人工呼吸したい。
などと願いながら、玉子麺が吸い込まれていくのを眺めていると、そのかわいいお口が「ねえねえ」動いた。
ねえねえの宛先は花咲だ。
「ねえねえ、花咲さんはサンタさんに会ったことある?」
私は思わずむせ返り、喉を通る前の麺が鼻から出そうになった。
とっくに乗り越えたと思っていた年末の難関イベントが、このタイミングでぶり返してくるというのか……。
目の前ではお姉ちゃんがわずかに頬を引き攣らせているのがわかる。
話を振られた当の花咲はきょとんとした様子で、すでにラーメン鉢の底をさらっていた箸の動きを止めた。
「サンタ?」
「あー……あのな花咲、そのだな、サンタ云々はさておいて、クリスマスプレゼントは何もらったんだ?」
「え、セリカちゃん何言ってんのぉ? サンタさんだよぉ。花咲さんはサンタさんとお話したこととかあるのってボクは聞いてるのぉ。だって、毎年クリスマスにはサンタさんからプレゼントもらうでしょ?」
すぐさま全力で訂正を求めてくる我が兄。
サンタサンタって……もう三が日明けてるんだぞ。
ツリーどころか、門松もそろそろしまおうかって時期に。
純粋も度が過ぎると少々めんどくさい。
しかし、こんなところでお兄ちゃんのサンタ純信記録を途絶えさせえるわけにはいかない。
せめてあと一年、小学校を卒業するまでは持ちこたえたい。
何より、お兄ちゃんから『サンタさんへ』のお手紙に怯えながらも毎年楽しみにしているお姉ちゃんのために、ここは何とかせねばなるまい。
「花咲、知ってるか? サンタは実在するんだぞ。フィンランドにはサンタクロース村というのがちゃんとあってだな、」
「おいおい、セリカ何言ってんだお前」
「いや、待て。ちゃんと最後まで私の話を聞くんだ。お前のそういうところはよくない。いいか? あのだな、ひとえにサンタクロースと言っても、」
「いやいや、セリカお前の方こそちょっと落ち着け。あたしたちもうすぐ小六だぞ? 小六にもなろうかってのにサンタがいるなんてことをそんなマジになって話すか普通?」
くっ……何とも言えない屈辱。
しかし、お兄ちゃんのため。
ひいては我が家の幸せのため。
この無駄に艶っぽい唇はまた余計なことを口走るに違いない。
学習能力がないから勉強もできないんだこいつは。
などと思っていると、花咲ははっきりした声で言い切った。
「サンタクロースはいるに決まってんだろ」
……?
眉根を寄せ、困った奴を見るような目で花咲が私を見る。
「まさかセリカは、未だにサンタはいないとか言ってる系か?」
「え、あ、いや私は……」
未だに?
未だにって何だ。
いや、もしかしたら花咲はこの空気を察してくれているのかもしれない。
「いいか、セリカ。サンタがいないなんて言うやつはクズだ。クズだからサンタがやってこないんだ。そういう家には仕方ないから親がプレゼントを買ってくるんだよ」
花咲のその目は嘘をついている目ではなかった。
ドリームズカムトゥルーな目だった。
そして、すごいオリジナル論だった。
「じゃあじゃあ、花咲さんもサンタさんと会ったことあるのぉ?」
お兄ちゃん、目らんらん。
「いや、残念ながら会ったことはない。ほら、サンタってちゃんと寝てないと来ないだろ? 何でもサンタになるための一番難しい試験ってのが、子供の寝たふりを完全に見抜けるかどうからしい。毎年九割のサンタ候補がその試験で落ちるらしい」
何言ってんだこいつ。
「で、あたしはこないだのクリスマスに考えたんだよ。部屋に入ってきたらすぐにわかるようにしてやろうって」
「どうしたのぉ?」
「ベッドの周りに画びょうをばら撒いて寝たんだよ」
やり方がえげつなさ過ぎる。何だそのサバイバル術。
サンタに対する敬意というものはないのか?
「ところがさ、夜中に大きな音がしたから布団から飛び起きたんだけど、何と親父が画びょう踏んじゃっててさー。もうサイアクー」
花咲父の方を見ると苦い笑顔で鉢の中のラーメンをかき混ぜていた。
中途半端にメルヘンな腕白娘を持つと大変だ。
赤毛のアンとトムソーヤを足してハイジぶっかけたような面倒くささだ。
一方、それを聞いたうちの小公女はふふふっと可憐に含み笑いをする。
「花咲さんあのねえ、サンタさんはそんなことしなくても会えるよぉ?」
「何だセイラ、その会ってきたような口ぶりは」
「会ってきたんだよぉ。サンタさんはね、クリスマスは忙しいけど、年末になると会えるんだよぉ」
そして、花咲に負けない持論を展開するお兄ちゃん。
「セリカちゃんもお姉ちゃんも会ったんだよぉ。ねえー?」
百点満点の笑顔で同意を求められて、何とかにっこりと返す私たち。
私とお姉ちゃんは夢と魔法の国では働けない人種だ。
もちろん、お兄ちゃんにこちらのそんな機微を悟る感度はない。
そんなものがあれば、学校で女子ともっと仲良くやれている。
「それがねそれがね、すごいホテルでお料理食べてたら、サンタさんがプレゼント持ってきてくれたんだよぉ。でも、英語だったからあんまりちゃんとお話できなくって、だからボク、最近英語の勉強してるんだよぉ」
それでか……。
年末から妙にお兄ちゃんは日常の中に英単語を挟んでくるのだ。
「トゥデイの晩御飯もデリシャスだねぇ」とか、
「グッモーニング! ミスセリカちゃん」とか、
「ハリアップしないとスクールに遅刻しちゃうよぉ」とか、
ルーな感じで妙にイライラする。
そして話の最後に、
「だから今年は花咲さんも一緒に行こうよぉ!」
と、天使は天使独特の無邪気さで言った。
お姉ちゃんがとうとう両手で顔を覆ってしまった。
こないだはお兄ちゃんの『サンタさんへのお手紙』に心打たれて決行したけど、おそらくあのディナーはかなりのお値段に違いない。
数年に一回すればいいような贅沢を下手すればこれから毎年しなければならなくなるのだ。
しかも毎年サンタを手配しなければならない。
現実から夢を守るというのはそう簡単なことではないのだ。
ねえ どうしてすごく愛してる人に
愛してると言うだけで 涙が出ちゃうんだろう
泣きそうなお姉ちゃんを見ながら私の頭の中で往年のヒットソングが流れるのだった。




