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風物詩。


 更衣室を出ると、そこは常夏の島を意識した造りになっていて

 花咲は結局そのままではさすがに公の場に出せないので、お姉ちゃんが受付でレンタル水着を借りてきたことでピンチを乗り切った。

 それでもジュニアサイズに当てはまらないどこまでもわがままなボディは結局大人サイズのビキニにパレオを付ける形になった。


「おお、ハワイみたいだな! なあ、セイラ!」


 どんな格好をしたところで、頭の中身は小五男子な花咲にその発言に、


「南国チックだよねぇ」


 とやんわり否定するお兄ちゃん。

 とりあえずヤシっぽいものがあれば「ハワイ」とか「グァム」とか言ってしまう人間は確実に行ったことがない。

 中にはハワイとグァムは車で移動できると思っているバカもいるのだから恐ろしい。

 ちなみに我が家はハワイにもグァムにも行ったことはない。

 しかし、お母さんが若い時分にかなり遊び倒した話をよく聞いていたので、私たちは幼いころからハワイとグァムとサイパンのイメージを明確に分けることはできた。

 お母さんの話の最後には、「結局フィンランドが一番なわけよ」と締めくくるのが定番で、お母さんの里帰りのフィンランドになら何度かついて行った記憶がある。

 私の知っているフィンランドの風景は自然が豊かでどこか牧歌的で、お母さんの血を色濃く継いだお兄ちゃんの容姿はその風景に溶け込むようだった。

 考えてみればサンタクロースもムーミンもフィンランドだ。

 サンタクロース・ムーミン・お兄ちゃん。

 ん。違和感ないな。


 先ほどのロッカーでは少々がっかりしたものの、お兄ちゃんのタンキニ姿はめちゃかわいい。

 白のサロペットにパンツ(ショーツではない)、そこから伸びる細っこい女の子女の子した手足が最高にキュート。

 髪型もお団子をツノみたいにしていて、かわいいったりゃありゃしない。

 あの髪型はどうやって作るんだろうか。

 お兄ちゃんは女子の私でも知らないことをよく知っていて、自分が女子をさぼっていることをときどき悟らされる。


「あれ? 充、そんな水着持ってたのか?」


 私たちと合流した花咲父が娘を見るなりそう声をあげる。


「すみません、ミチルちゃんのサイズに合う水着がそれくらいしかなくって……」


「いやいや、いいんですよ。いいですよ。なかなかこんな格好を見せてくれないんで」


 花咲父がお姉ちゃんの返答に大きく手を振って否定する。

 そして、再び自分の娘の方に向くと、


「いいじゃないか! うん、いい! いいな充! お前はやっぱり美人さんだから、ちゃんとそういうものを身に着けた方がいい! いや、ほんといいよ!」


 そのあともあらん限りに言葉を用いて娘の水着姿を持ち上げる花咲父。

 この日、スカートタイプのビキニを選んだお姉ちゃんの勇気は何の意味もなさなかった。


     ☆


 プールに来てまず最初にするのは何か?

 バカまじめに準備運動を終えたお兄ちゃんに私はしぼんだビニールの浮き輪を持っていく。


「お兄ちゃん、これふくらませてよ」


「ええー。無理だよぉ。いっつも途中でセリカちゃんに代わってもらうことになるんだもん」

 

「でも浮き輪がいるのはお兄ちゃんでしょ? だったらちょっとは頑張ろうよ」


「うぅ~。わ、わかったよぉ」


 そういうとお兄ちゃんは目いっぱい頬をふくらませて浮き輪の空気穴に口をつける。

 もちろん、お兄ちゃんの肺活量で浮き輪を膨らませることは不可能なのはわかっている。

 何より、ぶふぅ~ほとんどの空気が口の端からもれていき、あれでは一時間かけても浮き輪は膨らまない。

 報われない努力を一生懸命するお兄ちゃんの姿は見ていて実にかわいらしいが、そろそろな加減を見計らって、ようやく私が声を――


「よかったらあたしが」


「花咲は引っ込んでて。これは兄妹の問題だから」


「そ、そうなのか……」


 こいつはいつもいつも私の特権を横からかっさらおうとする。

 邪魔が入る前に、私は一心に浮き輪の端っこをくわえ続けるるお兄ちゃんからそれを受け取るべく声をかける。


「もういいよお兄ちゃん。私がやったげるから」


 すると、ぷはっとはずした浮き輪とお兄ちゃんの口にキラキラとした糸が伸びる。

 きれいだ。

 きっとあれを編み上げたものが天使の羽衣と呼ばれるものになるのだろう。


 そして、私はこれまたキラキラと輝く浮き輪の空気穴をまじまじと見つめると、怪しまれないうちに、冷めないうちに、不純物が混ざらないうちにそこに口をつける。

 ビニール独特の風味の中に甘いものが混じっている気がする。

 続いて、息を吹き込む。

 前に、

 吸い込む。

 中にわずかに残っているお兄ちゃんの息を取り込むためだ。

 肺の中が幸せで満たされるのがよくわかる。

 お兄ちゃんの吐息があれば、酸素なんかなくても生きていける。

 

 夏の風物詩であるはずのこの味をこんな新年早々味わうことができるなんて、いい一年になりそうだ。


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