3-9 臆病風に吹かれて
説明の礼を残して、津島と空はシフォー・カロユの家を出る。
見覚えのある金髪が視界に入ったのは、それから借り家がある方向への道を歩いている途中でのことだった。
「エグバリーさん!!! おはようございます! 先ほどぶりです!!!」
「あれ。お前ら……あっ、うん。おはようございます。これからどこかへ?」
「今用事を終えて、借りている家へ戻るところなんです!! エグバリーさんは?」
「準備運動に今から一狩り」
エグバリーは言いつつ、背負っていた武器を少しだけ持ち上げる。それは刀身だけでも160cm近くある大きな鉈だった。空の使う剣もなかなかに大柄だが、エグバリーの持つ鉈は幅も長さも比にならない。
エグバリーの言葉に空と津島は互いに顔を見合わせ、声をそろえる。
「ついていってもいいですか!!!」
「えっ…………あー……俺の狩りに?」
困惑気味の問いかけに頷く二人へ、エグバリーは頭を掻いた。
「悪いが俺一人でお前らを連れて行くと後でチオリに拗ねられそうだ。諦めてくれ。
付いてくるなら午後のに来い。皆で行くから」
その言葉に空と津島は目を丸くする。
空が「本当にいいんですか」と目線で伺いを入れるが、エグバリーはその視線の意図がよく読み取れなかったらしい。すこしの間首を少しかしげてから、思い出したように口を開いた。
「……ああ。昼食。昼食を食べにくるといい。わたしはお菓子だけじゃなくて飯も食べてもらいたいんや〜!わたしは〜! ってチオリが朝食の時に言っていた。俺らの家は役所の隣の道を広場に背を向けてまっすぐ歩いた先にある。当然気が向いたらでいいが」
そこまで言うとエグバリーは、言うことは全部言ったぞ。と片手を上げて踵を返した。
二人は一度借家へ戻り、各々別行動で時間を潰すことまもなくして天が一番明るい時刻になる。エグバリーの誘いに甘えるべく二人は先ほどとは一部違う装いで——津島は腰に刀を、空は肩に剣を背負って——家を出た。そしてさくさくと枯れ葉を踏み木々の間を縫って進んだ先、辿り着いた一つのログハウスの前で歩みを止める。
集落の外れにあたる場所なため、広場の周囲に比べると建物の密度が少し低い。ログハウスの脇には腰程度の高さまである棚があり、その隣にある小屋の中では初めてチオリと出会ったときに彼が乗っていた魔物が「プピィ」と鼻提灯を膨らませていた。
空がステップを上がり、玄関扉に拳を二度叩きつける。こんこんと、軽い音が鳴り
「はいはいはいはい待っとったでーーーーー!! 上がって上がって!!!!」
音が内側から扉が開けられると同時に、嵐を連想させる声が二人に降りかかった。まるで玄関先で待ち構えていたかのような反応速度に、正面へ立っていた空は目を見開く。チオリは二人が入りやすいよう、扉を大きく開けた。
「ほらほら二人ともそんな薄着で、寒いやろ? あんさんたちが昼を食べに来るかもーって聞いて、急いでご飯準備したんや。まだ出来上がるまでちっとだけかかるから、中でゆっくりしといて!!」
その勢いに圧倒されながらも礼を言い、おじゃまします。と頭を下げる二人にチオリはどーぞと返しながら奥へ入ってゆく。
男が三人入れば狭く感じる広さの部屋を一つ挟んで、リビングダイニングへ。
スパイスのツンとした匂いが満ちた暖かい室内には大きなカーペットがひかれており、手前にテーブルが、そして奥に硬そうなソファーと背の低いテーブルがセットで置かれている。別の部屋へ続く扉のそばには剣やら槍やらが立てかけられており、狩猟民族感を惜し気もなく放出していた。
突然、空が歓声を上げる。彼の視線の先にはこの部屋に満ちた香りの発生源であり、リビングと直接繋がっているキッチン。
そこには普段の家庭に揃えられているようなものから、普通であればなかなか使うことのないような本格的なものまで調理道具がずらりと並べられていたのだ。借りている家へケチをつける気は一切無いが、設備がきっちり揃っているキッチンを見るのは感激するというもの。
まるで一部だけが違う家かのようにリビングと床の素材が変わっているそこは、空のテンションを引き上げるのには十分だった。
「すげえ! ふわ!!! 食材庫でっけえ、鍋大きい!こんろ三つ!! 火力どんくらい?? あっ、これ!これもしかしてグリル? こっちに来て初めて見た!!!!」
顔を赤くしてふわふわしはじめた彼へ、チオリは顔を得意げなものにする。
「頑張って金稼いで揃えたんや!! わたしの努力の結晶といっても過言やないで! 全身骨が砕ける直前やってん。床の素材が変わってるとこからは、そこに置いてある靴に履き替えてな」
チオリの言葉通り靴を履き替え、棚を一段一段物色しはじめる空。遠慮のえの字も伺えないその行動へ、津島はハラハラしつつ横目でチオリの様子を伺う。しかしそれは杞憂だったようで、隣の彼はなんとも言えない嬉しそうな顔で空の一挙一動を燕色の瞳で追いかけていた。
しばらくして、再び空の歓声が響く。
「 ……あっ、ちょっと待って。すごいもの見つけちゃった!! チオリさんってすごいぜ……」
収納の奥から引っ張り出してみせたのは、蒸し器。
「見てよ津島!!これ使えばもっと楽に肉まん作れそう!」
「あっ……そういえば一度作ろうとして道具不足に挫折したね」
「にくまんってなんや」
突如チオリの低い声が部屋に響き、津島がギクリと顔をひきつらせる。顔もなんだか真面目になって、とたんに空気が固くなったように感じられた。蒸し器を棚に戻す空に、再びチオリは口を開く。
「聞いたことない料理名や。 教えて、それ」
「うーんとな、肉まんっていうのは……ふわふわの皮に、肉とか野菜を細かく切って調理したものをつつむ料理。って言えばいいのかな……? 定期的に食べたくなるんだ。中毒性高いぜ!! 美味いのは確かなんだけど作り方をよく覚えてなくてな!!」
「覚えてないんか……それ、サンドウィッチとかとは違うんよね?」
残念そうに言う彼に、空は頷く。
「全然違う!! ごめんな。俺もそこまで料理に詳しくなくて、作り方とか覚えてたらチオリにも教えられたんだけど……」
空がそこまで言ったところで、家の奥に繋がる扉が静かに開けられた。
扉の奥から控えめに顔をのぞかせたのは、眼鏡をかけた一人の女性。
「チオリ。 お客さんは来たの?」
「あっ、メリィ!! 」
メリイと呼ばれたその女性は空と津島に顔を向けた。背中の真ん中で半分に折り畳んで結われた長い金髪と、その気の強そうな紫の瞳はチオリの兄、エグバリーと良く似ている。
左の側頭部に可愛らしい花の髪飾りをつけ、白いブラウスの上に桃色の襟付き上着を羽織り、藍色で染められた膝丈のズボンは日本の袴を連想させる造りになっている。見覚えのある服だった。それは昨日立ち寄った、この集落の総合施設で働く女性達が来ていた制服である。
職員さんだろうか。と考える二人を観察するように眺めたメリィは、ニッと歯を見せ口を開いた。
「どーも、こんにちは! わたしはメリィ・ターナっていいます! エグバリーの妹で、チオリの姉です! どっちがカズくんでどっちがソラくん??」
「こっ、こんにちは。おじゃましてます。じ、自分が津島 和音です」
「こんにちは!!! 宓浦 空です!! すみません、押しかけてしまって!」
頭をぺこぺこと下げる二人に、メリィはけらけらと軽い笑い声を上げる。
「あっはっは!! 別に敬語使わなくていーよ!チオリと話すのと同じ感じで話して」
そして、彼女はリビングの椅子を二つ引いた。
「ここの椅子にどーぞ。 もう、チオリもエグバリーも君達のこと気に入っちゃって気に入っちゃって。まさか家に呼ぶとまでは思ってなかったけど、会えて良かった。話には聞いてたんだよ」
「メリィ。兄貴は?」
「さあ、木にでも登ってんじゃない?」
そう軽く答えつつメリィもテーブルを挟んだ正面に座り、まじまじと二人の様子を眺めた。チオリが「ほうか」と苦笑しながら再び鍋に向かい合う中、メリィは口角を上げる。
「もしかしてカズくん、人にこうやって見られんの苦手? さっきから目を合わせようと頑張ってんのにめっちゃ逃げられる。目線が」
「……あんま人で遊ぶのよくないで」
「ごめんごめん。随分前にエグバリーが“パナーダで気になる子を見つけた”って言ってた子が、その上チオリが一発で懐いた子達がここに居るとおもうと気になっちゃってさ」
そのメリィの言葉に津島はわずかに肩をこわばらせた。気になる……というのは一体どういうことだろうか、と。確かにパナーダの資料館では寝るだけでなく本を落としたりもしていたのだから、当然といえばそうだろう。そりゃ怒る。もう資料館には来ないでほしいということかもしれない。
みるみる顔を青くさせる津島にメリィは目を丸くした。
「ちょっとどうしたのカズくん! 大丈夫だよー、とって食われるわけじゃないんだから。なんで気になったのかお昼のときに直接聞いてみよ! わたしも気になるし」
チオリが「懐くってどういうこっちゃ」とブツブツ言いいながら皿を出しはじめる中、メリィは鼻から息を吐いた。
「ほーんと……こんな子達がぽぽーんの関係者なんて珍しい」
口の中だけでつぶやかれたその言葉は誰の耳に入ることも無く、玄関の扉が開く音に上書きされる。
津島はびくりと肩をふるわせ、チオリは笑顔を大きくさせた。
「兄貴! ナイスタイミングや。 丁度お昼が出来る頃やで〜〜」
そうして帰ってきたエグバリーが席に座るタイミングでチオリが「召し上がれ」とテーブルに並べたのは、チキンのスープとパン、そして干し魚を細かく刻んで乗せたサラダだった。いただきますと挨拶をした二人は、一口食べて感嘆の声を上げる。
さすが、料理人を目指す男の料理だと言ったところか。それからひたすらに食べることへ集中した二人は、食後の挨拶をするまでの間一言も喋らなかった。
————
食後の休憩を終えた五人は、軽い準備を終えて集落を出る。とうとうやってきた狩猟の時間だ。
葉に遮られた光が雨のように降り注ぐ森の中を早足で進む。その森に息づくものすべてを見下ろすかのように天高く伸びた木々に圧倒される余裕は、残念なことに今の津島には無かった。
「まあ今日はそんなに大変なモン狙わんから。腕試としては最適やで、きっと」
だからそう硬くなる必要はあらへんって。と、前を歩くチオリが振り返ることなく口を開く。
今回の標的は群れで移動する雑食の魔物だ。こちらから危害を与えなければ穏やかな性格だが、少しでも危害を与える素振りをすれば最後。身を守るために襲いかかってくる。力が強い魔物なため、全力の突撃を受ければ大人の男性でも簡単に吹き飛ばされ、そのまま踏み潰されてしまうことも少なくない。
そんな説明に空は思わず自身が踏み潰されるところを想像し眉を寄せる。津島が魔物に踏み潰されたときのことを思い出してしまったのだ。慌てて首を左右に振り、その記憶を振り払いつつ顔を上げる。
それから三十分ほど歩いたところで、木の先に開放的な草原が見え始めた。津島と空がエリギへとやってきたときに横断したところとは、また別の草原である。
整えられているかのように錯覚してしまうほど、平らに続く青い大地。背の低い木が所々に生えていて、白い木の実をぶら下げている。地平線に近づくにつれ標高が上がっているようで、薄ぼやけた空気を超えた先に緑の傾斜が見えた。
緊張を隠すことなく顔に現す津島はともかく、あまりに心もとない表情を浮かべているメリィが気になったが、空はあえてそれに触れることなくチオリの視線の先へ顔を向ける。同時に草原へ埋もれる茶色い物体に気がつき声を上げた。
「今日狩る魔物ってあの魔物ですか???」
空が指をさしたことにより、津島も「あっ、あれか!」と声を上げる。想像していたものより体が小さくて安堵している声色だ。わかりやすい。
「せや! 思ったほど怖くないやろ。あんま気張る必要ないで。
ただ強くない魔物とはいえ危険なことは変わらんし、厳しいと思ったらすぐ下がりや」
チオリは自分の言葉に津島と空が頷くのを確認し、犬歯を見せて笑う。
「ほいじゃ、行きますか!!」
それにそれぞれが返答をし、それぞれの武器を構え、力一杯地を蹴った。
草を踏み潰して群れへの距離を縮め、
「どらあああああ!!!」
気合いで満ちた声が、平原に響きわたる。同時に魔物が「ブビィ!!!!」と驚きの声を上げた。
見た目は太り気味の小さいイノシシだ。四本脚で歩き、皮の色は大半が茶色。時折黒だったり、黄土色に似た色のものが居る。
一つの群れは平均十頭。この魔物から取れる皮や爪は頑丈で、幅広い装飾品に使われているために高需要。副産物となる肉も、癖はあるが調理方を工夫すれば問題なく食べることができる。
空も皆に負けじと剣を振るった。後ろから飛びかかってくる魔物を横に躱すと同時に体をひねって斬り上げる。
剣を握ることを許してもらった最初の頃は、その手に伝わる感触や吹き出る血に怯みもしたが、彼は彼自身が驚くほどの早さでそれらに慣れを感じはじめていた。
力を込めて刃物を振るい、地を踏ん張って魔物を切り裂く。その間に、メリィによって唱えられる魔力への命令文は、ドンと音を立てて風の塊を破裂させた。
——そんな中。
戦う際に起こる様々な音を声を耳に入れつつ、津島は息を深く深く吐き出していた。
地面に落とした視線を少しだけ上げると、人による奇襲に未だ頭が追いついていないのか、目を白黒とさせている魔物が一体。
——戦わねば。後ろで見ているだけのもどかしさは、もういやだ——
まぶたの裏へ映るのは森の木漏れ日と、前を進む軍人の広い背中。そして誰かの、冷たい瞳。
柄へ手をかけながら、津島は愛くるしい顔の魔物へ一歩踏み出す。
「ごめんなさい……!」
まずは一体、急所をつく。そして別の魔物による、後方からの突進をかわしながら唇を噛んだ。一本に結われた黒い髪が、尻尾のように揺れる。
魔物に背を向けないよう姿勢を整え借り物の刀を振り下ろした。魔物が血を流しながら地面に倒れるのを途中まで眺めて、顔を上げる。
頭の中で、声のない誰かがささやいているようだ。それは戦えば戦うほど大きさを増し、今では頭がすこしだけジンジンと痛むほどにまでなっている。声が大きくなればなるほど、普通の自分が押しのけられて、違う自分が場所をとる。それが怖い。
しかしそんなことは言っていられない。声のままにもう一体、明らかにこちらへ照準を当てている魔物へ刀の切っ先を向け、体ごと距離を詰めて眉間に刀を突き刺し、そのまま引き抜く。血を吹き出させながら、苦しそうな鳴き声を上げた魔物は間もなく息絶えた。
「っし……次」
こんなんじゃ戦い足りない。と、しきりにささやき声が響く。
しかし、もうあたりに魔物は見当たらなかった。もたもたしている間に、目標としていた群れはほぼ狩りつくされてしまったのだ。
離れたところに小さく見えるエグバリーと空が、ワイワイと最後の一匹を追いかけているのが見えた。
安堵と落胆を一緒に感じつつ視線を他の場所へ動かすと、武器へ付着した血や肉を落とすチオリとばっちり視線が合い、同時に彼の隣でうずくまる人影が視界に入った。
ぎょっとすると共に、あわてて二人へ駆け寄る。
「メ……メリィさん!? どうしたんですか? ひ、貧血とかですか……??」
先ほどまで彼女は何事もないように魔法構文を読み上げ空気の破裂を巻き起こしていたはずだったが、今は長い髪を地面にべたりとつけてしまっている。
しかしチオリは、慌てる津島を落ち着かせるように、ゆっくりと首を横に振った。
「体調とかじゃないから心配いらんよ。ありがとう。
ほら、メリィ。兄貴とソラくんが追っかけてる奴が最後だから帰る支度しとこ。カズくんにも心配かけちゃ悪いでしょ」
チオリはズボンのポケットから小さく折り畳んだ麻袋を取り出した。ポンと背を叩かれたメリィは、小さく肩を揺らして顔を上げる。その顔は青く、家で見たような元気さは欠片も残っていなかった。
――
エグバリーが最後の一体を殺めた所で、今日の目的は達成した。群れは全部で十三匹。
必要な処理をしたそれらを五つの麻袋に分けて入れ、チオリ達の家へ持ち帰る。
津島は背負った重みに息を吐き出しつつ、前を歩くチオリ達の背中を視界に入れた。
今まで経験してきた数度の戦闘全てで起きた“自分の身体が反射で勝手に動く現象”は、従来通り今回も起きてしまった。唇を噛んで、鼻から息を吐き出す。戦闘という命を奪う行為に対し心が高鳴るような感覚にも、どうしても慣れることができない。いつまで続くのだろうか。いつになったら消えてくれるのだろうか。
そうやって悶々としていると、ふと誰かが隣に並ぶ気配を感じて顔を上げる。
「あっ、メリィさん。体調、大丈夫ですか?」
先ほどまでうずくまっていた彼女は津島の声にゆるりと首を横に振り、ニッと歯を見せた。もう顔色は随分と良くなっている。
「大丈夫。心配してくれて、ありがとーね」
「いっ、いえいえ! そんな、お礼なんて! ……よかったです。なにもなくて」
「……へへ。恥ずかしいところを見られたなあ。次もまた、私が同じように潰れていたら放っておいていいからね。
私、魔物が怖くって。克服する為、仕事のない日にこうやって狩りに連れて行ってもらってんだ。今日も途中で耐えきれなくなっちゃったってだけなの」
「魔物が……」
ごくりと息を飲む津島の背を、メリィは軽く叩く。
「そんな思い詰めた表情しないでって!」
「あっ、ご、ごめんなさい。仕事って、何をしてるんですか?」
「普段はギルセンでの依頼受付やってんだ。暇なとき、よかったら遊びに来てよ。ソラ君と一緒にさ」
ギルセンは集落の中央広場に隣接する総合施設の中にある。
先を歩くチオリ達に並び大きく笑っている空を横目で確認した津島は「はい!」と頷き、小さく笑った。




