1-16 提案
この世界の天には太陽も雲もない。しかし、色だけは夕方の時間になると地面に近い方からオレンジ色へと変わってゆく。
港で空を眺めているとやはり夕焼けは雲があってこそだと津島は強く感じた。
ただ平たい、奥行きの無い空の夕焼けはつまらない。そう思えば思うほど帰りたい気持ちと焦燥感が大きくなる。
しかしこの潮の匂いと市場の方から聞こえる話し声、遠くに見える灯台やカモメのような生き物の鳴き声を、津島はとても気に入っていた。
お気に入りの景色の中で、津島は縁に腰掛け海のほうへと足を垂らす。水面は案外下のほうにあって、靴が水に浸かることはなさそうだ。
いっそこのまま飛び込みたいと思う。体が勝手に動く不快感と人を殴ったときの爽快感が強く腕に残っていて、それに対する罪悪感と嫌悪感に潰されそうだった。噛みすぎた唇が痛い。心が、痛い。
そこでふと、隣に人が立つ気配がした。顔を上げると、いつもの緩い笑顔を浮かべた軍人フォーンが津島を見下ろしている。片手にはいつも通りおにぎりが握られていて、同居人よりも少しだけ高い場所にあるベージュの短髪が夕日の色になっていた。
どうしようかと思い悩む。非常にタイミングが悪い。今口を開けば、変な鼻声が出てきてしまいそうだった。いい言葉も思い浮かばない。そんな無言の空気のなかフォーンは隣に腰を下ろした。
「カズくん、今日はお疲れ様でした。今先ほど報告書を提出したから、じきに臨時会議が行われると思う。そこでいろいろ質問してくるからそれまでの間、待っていてよ」
「フォーンさん……ありがとうございます。本当に、なにからなにまで。あのときフォーンさんが止めに入ってきてくれなかったら、自分たちは多分ボコボコにされていました」
なんとか声を整え、体を小さくする津島。フォーンはその顔に「ふむ」と息をつき、津島の頭に右手を伸ばした。控えめなそれは不器用に、しかし力強く津島の黒い髪をかき回しはじめる。
「どういたしまして! ……不思議だね。カズ君はここ数日間の間で知り合った人っていう感じがしない。ずっと昔から知ってるような感じがするよ。大丈夫、無理して笑わなくてもいいさ。不安なことは不安だと言ってもいい。僕はカズくんが心の底から笑ってる顔の方が好きだよ」
喋ってる間もわしゃわしゃとなでられる頭へ不快感を感じないことに驚きつつ、津島は俯く。
「あ、ありがとうございます」
「どうしたの? なんか顔が赤……あっ…… 好きってそういう意味じゃない! 弟みたいだって意味だから安心して、引かないで……!」
「わっ、わかってますよ! なんでフォーンさんも赤くなっているんですか」
制服の襟ですっぽりと顔を覆い隠してしまったフォーンに気恥ずかしさを感じながら、津島は改めて頭をさげた。
「気を使っていただいて、ありがとうございます」
離れる手に、名残惜しさすら感じた。ぐしゃぐしゃになってしまった髪を軽く直しながら津島は慣れない息苦しさに瞳を伏せる。出会ってからたった二回目なのに、この落ち着く感じはなんなのだろう。
——心の中の全部を吐き出してしまいたい——
そんな衝動が湧きあがったのはそのときだった。自分は女だと。そして、この世界とは別の場所から来たのだと。早く、いますぐにでも元いた場所へと、普通へ帰りたいのだと。
「カズ君? どうしたの??」
「い……いえ! 何でもないです。ただ、明日一人でパナーダに行かないといけなくなってしまって。自分から行くと言ったのですが、ちょっと不安だなって思って」
とっさに出たのは真意とはわずかに外れた言葉だったが、嘘ではなかった。フォーンはさらに顔をしかめる。
「一人で? ソラ君とは一緒じゃないのかい?」
「はい。お仕事をもらってるところからのお使いなんです、種を受け取りに。学問が発達している街だって聞いたのですが、種となんの関係があるんでしょうね」
「あー、パナーダは言う通り学問が発達しているから、植物を研究してよりよい品質のものにしようとしてる人達もいるのさ。研究の成果を持った種はパナーダで買うのが一番安い。ブラウからだと転送門代もそんなにかからないからね。待ち時間が長いのが辛いけど……」
言い終わるや否や、突然唸りながらあごをさすりはじめた。今度は津島が眉を寄せる。
「フォーンさん? ど、どうしたんですか?」
「いや、パナーダに一人かぁと思って。パナーダね……パナーダ……よし決めた」
フォーンは左手のおにぎりを口の中に放り込み、ほぼ丸呑みした。
「僕、ついて行くよ。行きたい用事があるんだ」
一章終了です!
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