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序章 1



 近くで携帯電話が低く唸り声をあげているのが分かった。


 アラーム機能が作動しているのだ。朝を告げる振動音が枕元でこだまする。


 設定時間は午前の六時半。一分刻みで五回振動する設定にしており、その四回目で彼女は蒲団からのろのろと這い上がり、寒っと身を縮こまらせた。


 寝ぼけ眼を擦りつけ、眠気覚ましに吐いた欠伸は周りの温度のせいで白くなった。


 ペチャンコになったせんべい布団の掛け布団を小脇にどけ、敷き布団を綺麗に三等分に折りたたみ、その上に掛け布団を四つ折りにして重ね、最後に枕をその中央に置いて押入れに押し込んだ。


 「はぁ、しんどい」


 彼女はそう言いつつも台所に向かう。台所と洗面所を兼任しているシンクで口を濯ぎ、歯磨きをしゃこしゃこと動かしているうちに次第に目が覚めてきた。


 しばらく水を出しっぱなしにし、お湯になったところで洗顔を開始。寝癖をとかし、化粧水をつけて自分の顔をまじまじと見る。


 「特に異常はー、ない? かな」


 顔色を見るだけで自身の体の健康チェックができるのが、彼女の人に言わないささやかな自慢だった。


 ぺちんと両手で顔をはたき、「気合注入」と小声で呟いた瞬間に電話が鳴った。


 「もしもし」


 電話に出て名乗らないのは、この時間掛けてくる人間が一人しかいないからだ。


 『綾? あんたもう起きた? 二度寝とかしてないでしょうね』 

 「してないよ、ねぇ。ちゃんと起きたてるってば」


 相手は予想通りの人物だった。

 綾、乙鳥綾つばくらあやには親がいない。


 去年の暮の五月に交通事故で亡くなった。以降姉の頼子と二人暮らしをしている。


 「ねぇが出張でいないからってさすがに寝坊とか、もう高二だしねえ」

 『あんたずぼらだから。信用できないのよって、言ったら怒る?』

 「どっちでもいいや」

 『つまんない妹ね』

 「朝だからねぇ」


 そう言って一言二言交えて電話切った。

 過保護な姉は自分が起きているかどうかモーニングコールしてくれたのだ。その心遣いに感謝するし、同時に出張で夜が遅かったに違いない姉に、そんなことをさせてしまったと思って申し訳なくも思った。


 「しかしまあ、今日は私が自炊か。だれるなぁ……」


 でもまあ、と微笑み。


 「頑張るか、今日一日くらい」

 さっそく朝食作りに励むのだった。



 雪も溶け、花が咲き、季節は春に近づいているのに一向に暖かくなる気配がない。


 「おかしい。地球の気候はどこかおかしくなってしまったのでは……」


 綾はぶつぶつと愚痴りながらダウンの襟で首元を温める。

 学校に着いたのは午前の七時四十分くらいだった。


 住んでいる家が近いので、もう少し遅くに行っても支障はない。しかし綾は人気が少ない校舎に朝早く行くのが好きなので、敢えてこの時間を選んでいた。


 下足で靴をスリッパに履き替える間に吹く風が冷たい。


 急いで履き替えてから教室ではなく職員室に向かう。このくらいの時間ではまだ誰も来ておらず、教室の鍵が開いていないのだ。


 「失礼します。二年七組乙鳥つばくらです。教室の鍵をお借りします。失礼しました」


 一連の流れで、学年中の鍵がかかっている棚から「二年七組」とシールされた鍵を取って職員室を出た。

 階段を昇って、一棟から二棟に渡る廊下を歩く。


 職員室は一棟。綾の所属する教室は二棟だった。


 かつん、きゅ。かつん、きゅ。


 空気が乾いているのか、一歩踏みしめるごとに甲高い音が廊下に響き、スリッパのゴムが摩擦を生んでどうにも間抜けな音も発する。


 歩きながら、こうやって誰もいない空間で一人だけという時間が綾は好きだった。

 物思いに耽るにはちょうどいい時間だからだ。


 渡り廊下の真ん中部分に差し掛かると、左右とも大きなガラス張りの窓となっており、上から登校する生徒と、反対にはだれもいない中庭が見えた。


 中庭の方の窓を見ていると、突風が吹き、びりびりとそのガラス窓が振動した。


 そういえば、あの日も強い風が吹いていたな、と綾は思った。


 あの時は本当にびっくりした。

 天変地異の前触れかと本気で心配したほどだ。


 かつての思い出に耽りながら教室の前まで着き、二年七組の鍵を開けた。


 まだ薄暗い教室。一番初めに蛍光灯の明かりをつけようとして綾はピタリとその動きを止めた。


 「………………ん?」


 何かおかしい。

 いつもなら感じない人の気配がするのだ。しかし教室を隈なく見渡してもそんなことはなかった。そもそも鍵はしまっていたのだ。中に入れるはずがない。


 「気のせいか」

 「あ、いえ気のせいではありませんよ」


 ふいに、なんの前触れもなく、その手はポンと綾の肩に置かれた。


 「うおぉぉぉぉぉおおおっ!?」


 そのまま年頃の女子あるまじき悲鳴をあげて綾は飛び退り、扉にぶつかった。


 「いっつぅ……」

 「大丈夫ですか? 怪我とかしてません? あんまり気にしてないですが」


 そこにいたのは、白い球体だった。

 ふよふよとどういった理屈で飛んでいるのかは不明だが、ハンドボールくらいの大きさのそれは、大体一メートル強くらいの位置で綾を見下ろしていた。


 「だったら訊かないでって、誰よ? つか、君何者よ?」


 異常なものを取りあえず置いておいて、まずは正体をと尋ねる綾は並の神経ではなかったであろう。


 「いきなり私が現れてもあんまり取り乱さないところは昔と同じですか」

 「はい?」


 不可解な事を言うボールだと綾は思った。そして実は綾はこの時から、この白い球体の生物の存在に対して、少なくともこういう生物がいるということに対しては、何の疑問も抱いてはいなかった。


 「あーあーあー、やっぱりあなたって相当変わってますよ。はい。普通ビビりますって。はい普通はね、なんであなた平気なんですか?私こう見えても人間じゃないんですよ? でも喋るんですよ?」

 「そういう生き物もいるって適用に思ったってだけ、なんだけど?」

 「そういえば昔も似たようなこと聞きましたね」


 昔? そう尋ねようとしたが、途中で白い球体に遮られた。


 「私のこと覚えてます?」

 「それだよ、君何者なんだい? なんで私のこと知ってるさ」

 「ヒントを出しましょう。九年前、庭の隕石です」


 なんだそれ。なにかの映画のキャッチコピーか? などと考えていたが、あっと思い当たる節があった。

 まさか、いやでもそんな。

 恐る恐ると言った口調。確かな確証はなかったが、彼女は尋ねた。


 「ボール?」

 「お久しぶりです綾さん」

 懐かしい友人はそう言った。



 ―――


 「ごめんね舞、藍子。今日ちょっと……」

 「あー、そうなんだ。うん、いいよ。家の事情だもんね。また誘っていい?」

 「お願いできるかな?」


 おーおーと両手を振って彼女たちは自転車を漕いで行った。


 「あーあ。まーた断っちゃった」


 綾は溜息混じりに夫婦イチョウにもたれ掛った。


 綾の家は神社だった。

 鳥居の前の夫婦イチョウは秋になれば綺麗な紅葉を見せるが、今の綾には暗い陰鬱な木陰が差しているようにしか思えなかった。


 本当に悪いことをしてしまった。


 舞と藍子。二人とも学校でとても仲のよい友人だ。

 今日は彼女たち三人で映画にいってそのあとどこかでぶらぶらと時間を過ごす予定だった。


 しかし綾は当日になってキャンセル。理由は家の事情。


 「家の事情って、事情ってただのオカルト教室じゃんかよお!」


 綾は叫びながら鳥居の柱をを殴った。ごずんと鈍い音が鳴り、皮膚を擦りむいて血が出た。


 「痛ぇぇええ! ぷくぷく血が出てくんなぁ。ああもう!」


 綾は叫んだ。こんな家大嫌いだ。そう込めて。ほとんどヒステリックに近かったが、綾はそんなこと構わなかった。周りに人がいなくてよかったと、あとになって、冷静になってから綾は冷や汗を垂らすことになるのだが、この時はこの世のものをすべて憎むかのように、一歩一歩、どすどすと音を立てて石段を登って行った。



 石段を抜けるとその先に広がるのは一面の石畳。


 その先を行くと赤と白を基調とした、賽銭箱が置かれてある拝殿が見え、その左右に大きな銀杏の木がそびえ立っており、その両の木には太い縄紐で右から左と拝殿の間に通っている。綾にはよく分からないものだらけだ。


 段を登ってきて少し頭が冷めたのか、綾がいつも通りやる気なさげに境内に入ると、拝殿の裏からちょうど母が出てきたのが見えた。

 「あ、母さんだ」


 綾が手を振ると、向こうもそれに気が付き、逆に手招きをしてきた。


 「なに? 母さん」

 「綾、あなた今暇?」


 近づいていくと、母はどうにも機嫌が悪いということが分かった。

 ジーンズパンツに藍のタートルネック。その上に所々料理の汁で黄ばんだエプロンを着用した母、良子は切れ長の目をさらに細めて娘に尋ねた。


 「えーと、いや、奥行って「練習」しなきゃいけないんだけど。ていうかそれで舞と藍子にドタキャンした感じで――」

 「ていうことは暇になったのね。そうなのね」


 昔、所謂スケ番だったという良子は娘の頭をがじがじとアイアンクロー気味に揺さぶり、嬉々として残った手で掴んでいたそれを娘に手渡した。


 「あの、母さん。これは?」

 「命令。掃除。以上」


 必要最低限のセリフ三つで締めくくり、良子はすたすたとまた奥に引っ込んでいく。歩くたびに揺れる母のポニーテールを眺めて綾は一言、


 「…………最低だなぁ」


 手渡された箒を老人の杖のようにし、顎を先端に乗せて母が去りゆくのを見つめた。

 母さんはな、昔不良だったんだ。

 父の言葉だった。


 だったらなんで結婚したんだよ、と綾は時々思う。

 良子の押しの強さはある意味異常だ。相手の了解を得る頃には既に自分の仕事は相手に移っている。


 「大方ばあちゃんにでも無理やり押し付けられたんだろうなぁ。だったらそう言えばいいのに。変わってあげないこともなかったのに」


 母の学生時代を知っている祖母は良子に対してあまりいい思いを持っていなかった。が、第一子である頼子が産まれてからころっと態度が軟化した。それでも人使いが荒いのは変わらないらしく、時々良子をいいように使っている。


 黙っていれば美人。それが母の認識。


 口を開けば帝王。それも母の認識。


 綾は浅い溜息を吐いて落ち葉を掃き集めることに専念した。


 実を言うと良子には助かっている節もある。その理由が「練習」。


 「あれ嫌なんだよなぁ。痛いしさ」


 ざっざっざっざ、と。落ち葉を拾いながらぶつくさ独り言をつぶやく。


 季節は初春。


 まだまだ寒いが、落ち葉の数も減って、すぐに集まり終わった。秋が近付き、冬間近という時は本当に勘弁してほしいほどの量が境内に落ちていたものだ。上手い例えは思いつかないが、言ってみるならイモ虫が一億匹いても食いきれないほどの量と言えば少しは分かるかもしれない。今はまだ石畳が見えるぶん可愛いものだ。


綾はるんるん気分で竹箒を操っていた。実は掃除は嫌いではない。手際よく一か所に集め、後は火をくべるだけである。


 よっしゃ終了、と綾が額の汗を拭う真似ををしたその時、突如突風が吹き、落ち葉はばらばらと空中で飛び回った。


 「うおおお。すげえ風! って、面倒だなぁ……」


 またやり直しかよと思っていると、次の瞬間、大地が揺れた。突然の出来事だった。


 マンガのオノマトペなんかじゃこんな時「グラグラ」なんて音を発するんだろう。


 冗談じゃない。


 感じたのはそれ以上。爆発だ。

 綾は大地震は経験したことはないが、震度四の地震は経験したことがある。あの時は部屋が揺れて本当に怖かった。


 それの比較にならないほど大きな揺れが綾を襲った。


 近くの木に止まっていた小鳥は逃げ出し、銀杏の木はわさわさと揺れた。


 揺れはすぐに収まった。

 時間にして約三十秒。しかし感覚的には三十分以上だった。


 ばくばくと今にも心臓が破裂しそうだと、ペタンと石畳にお尻をつけたとき、衝撃波が襲いかかってきて綾は座ったままずっこけた。

 ごんと頭を打ち付けてずきずきと痛んだ。


 「な、な、な……」


 なんなんだ一体。

 そう思って再び立ち上がった綾は言葉を失った。代わりに思ったことが一つ。


 なんだこれ?


 それはボールだった。

 直径二十センチくらいの、ハンドボールに使いそうな、白い球体が地面にめり込んでいた。


 「…………」


 綾は言葉なくそのボールの周りを眺めると、ボールの周りがひび割れて大変な惨事と化していた。


 「うわ、石が粉々じゃん。地面抉れて、うわ、うわわわ。ちょ、母さんに怒られてすむかなこれ……」


 綾が様子を確認するため一歩足を踏み出したその時、ボールがぽんっとワインの栓を開けた時のような音を出して地面から抜け出た。


 「うわびっくり!」


 さっきからいろんな現象が起こりすぎて、綾の感覚も麻痺しているのかもしれない。綾の反応は普通なようで異常だった。


 ボールは空中で静止した。


 そこにどんな物理法則が加わっているのか不明だが、不思議と綾はそこに疑問を抱かなかった。


 自分に理解できないところは黙って受け入れる。それが綾のもっとうだった。


 「…………」


 しかしまったくの恐怖がないと言えば嘘になる。

 徐々に綾も頭がクールダウンしてきた。

 何だこれは。何なんだこれは。ていうか、なんだよこれ!


 冷や汗が止まらない。まだ気温は一〇度を超えていないのに、体に溶けた鉄でも入れられたかのような熱さを感じる。


 ぐにょ。


 ボールの一部分がそう音を立てて変形した。

 見るからにグロテスクな描写に綾は最早考えるのを止めた。


 こういうものも、あるんだろう。


 綾はこの生物かどうかも不明な物体を受け入れることにした。一種の自衛本能だったのかもしれない。


 変形はすぐに終わった。結果として出来たその形は口だった。恐らくそうであろうと解釈できる物ができた。人の口ではなく、どちらかというと埴輪の様なただ丸い空洞ができただけだが、そこから息の漏れる音が聞こえるので、口だろうと推測した。


 ボールの口が、ゆっくりと動くのが見て取れた。


 「いててて。ブレーキ掛けたんですけどねえ。まあ被害はプロテクトしたんで問題ないでしょうか」


 ボールは呟きつつ、綾を見た。


 「はじめまして。私は魔法使いの使者です」

 「……はぁ」


 綾は曖昧に頷いた。

 これ以上どういう反応をしたらよいか迷っていた。

 これから起こることが綾には想像もつかなかった。


 互いに何もしゃべらない時間が続いた。

 数分の後、ようやくボールは口だけをにんまりと動かしこう言った。


 「魔法使いになってみませんか?」

 「嫌です」


 そこだけはきっぱりと断った。



 ――――




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