九月×日
「では、また、な」
「『また』があるのか」
「ああ。君が思うような形ではないだろうがね」
* * *
夏休みが終わり、学校の授業が始まった。
高校二年生ともなれば受験を意識してくる人もいるのだろうが、夏休み明けの教室の空気はまだどこか休みの間の浮き立つ気配を残していた。
そんな少しざわついた教室で、教卓にこのクラスの担任の先生が立った。
いつものショートホームルームにしては少し早い時間で、意識するまではいかないかすかな疑問が思考をかすめた。
「この学校の生徒である――さんが亡くなりました。休学していたため、所属としては一年生になりますが、みなさんと同級生だった方です」
担任の先生が口にしたのは、知っている名前だった。
小学校、いや、たぶん幼稚園から高校まで同じ学校の同級生だ。
取り立てて仲がよかったわけではない。話したこともきっと数えるほどしかないし、その記憶も自分の中に残っているわけではない。
だが、幼稚園から小学校、中学校まではほぼ同じ顔ぶれだったから、顔見知りとは呼べるくらいの関係だろう。
同じ中学出身の人の中で、この高校に進学した人数は十人に満たないくらいだったから、幼稚園から高校まで同じというのはそれなりに珍しい方だと言えるかもしれない。
本当に、彼女が? と、同じ名前の別人なのではないかと混乱しながらも、教室の前方にいる担任の話を聞く。
そうして続けられた話によると、病気、だったらしい。
病気がわかったのは一年の途中で、それから闘病生活を続けていたらしい。
一年の途中から休学扱いになったから、学年としては自分たちの一つ下ということになるらしい。
そんな経緯の説明があって、葬儀の日時と場所が告げられて話は終わった。
担任の話が終わると、教室内の空気は元に戻る。
一年のときに彼女と同じクラスだったり、俺と同じように小中学校から同じだったりしない限りは、同じ学校の生徒とはいえ、顔も名前も知らない存在が亡くなったというのは、他人事でしかないのだろう。
授業もショートホームルームも終わったあとの教室は、いつも通りの日常と変わらず、放課後の予定を話すクラスメイトたちの声で、ざわざわとした雰囲気に満たされていた。
席を立ち、教室の前方へと向かう。
黒板の隅に、他の案内のプリントと同じようにして貼られた、先ほどまで担任が読んでいた文章を読む。
書かれている内容はさっき担任が話していた通りだ。記載されている名前は、漢字も、同級生であるあの彼女と同じもので、同姓同名の別人と偶然にも一致したなんてことでもない限り、亡くなったのは彼女なのだろう。
記載されている葬儀の日時と場所を見つめる。
出席するべきだろうか。
出席、してもいいのだろうか。
迷いながら自分の席に戻り、どうするべきか決めきれないまま、書かれていた日時と場所のメモだけは残した。
* * *
最後に彼女の姿を見かけたのは、高校に入ってから、一年生のとき、学校内の廊下かどこかだっただろうか。
昔から変わらない、腰まで届くくらいの長い黒髪の彼女の姿を見かけたことを、ぼんやりと覚えている。
幼稚園くらいからずっと、つややかな黒髪を腰くらいまで伸ばしていて、短く切った姿は見たことがなかったから、印象に残っていた。
そういえば、最近姿を見ることがないな、と、いつだったか思ったことがあった気がする。
二年になれば文系と理系でクラスが分かれて、教室も少し離れるから、自分は理系で、話したことはないけれど彼女はなんとなく文系のイメージがあるから、だから見かけないのだろう。
そうやって、自分の中で納得のいく説明をつけて、その先を考えることすらなかった。
葬儀会場の片隅で、周囲の様子をぼんやりと眺めながら、そんなことを考える。
結局、行くべきか、行ってもよいのかと迷っていた葬儀には、出席することにした。
同じように出席することにした同じ中学出身の同級生たちとなんとなく近くに固まって立つ。
少し離れた場所には、別の高校の制服を着た、中学の頃によく見た顔の女子たちが、同じようにまとまっていた。
泣いている姿も見える。
ああ、そういえば、中学のとき、彼女と話す姿をよく見かけた人だな、とその顔を見て思う。
彼女たちは、きっと、病気のことも、彼女が闘病していたことも、知っていたのだろうな。
何も知らなかった、俺とは違って。
こういう場所で涙を見せるほどには彼女と親しくなかった、自分も含めた男の同級生たちは、会場の片隅でぼそりぼそりとお互い話をしながら、どことなく居心地の悪い思いをしていた。
しばらくして、ご焼香をあげにいくことになって、順番に列に並ぶ。
前後を同級生たちに囲まれ、少しずつ列が進む。
遺影の写真が、その顔が、よく見えるようになって、ようやく気付いた。
ああ、そうだな。「また」会えたな。
確かに、俺が「思うような形」ではなかったな。
その遺影の中には、肩につくかつかないかの長さの黒髪の、あの『推定』少女の顔があって、その表情は、いつもあいつがしていたこちらをからかってくるときのものではなく、少しはにかんだ、彼女のものだった。
泣き出しそうで、笑い出しそうな、自分でも自分がどんな感情をもっているのかわからない、そんな色々なものが混ざった感覚が身の内に渦巻き、ぐっと奥歯を噛みしめて耐える。
ぐるぐるとどうしようもない感情が渦巻いていても、順番はやってきて、前に並んでいた他の同級生たちと同じように、ご焼香をあげた。
あの写真は、いつ、撮ったのだろうか。
いつ、髪を切ったのだろうか。
そんなことも、知らなかったな。
何も、知らなかった。
知らなかった。だから、気付けなかった。
それでも、あの夏の日々は、あの姿は、俺の中に、確かに記憶として残っている。