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八月××日 プール




「甘酸っぱい青春の一ページや二ページの思い出くらい、つくってみたいものじゃないか」




 * * *




「今日はプールだ!」


「…………あ?」


 今日も今日とて俺の家へと来たそいつがのたまった台詞せりふを聞き返す。


「なんだい。ご機嫌斜めだね。こんなにも暑い日はプールに行きたくなるものじゃないか」


 夏の日差しは相変わらずじりじりと焼き付くようで、なるほど確かにプール日和と言えるかもしれないのだが――。


「せめて事前に言えよ。何も準備できてねーぞ」


 突然来て言うような台詞ではないだろうという話だ。


「まあまあ、そこはこの美少女の顔に免じて許してやるのが、粋な男ってもんだろう」


「そうかぁ……?」


 片眉を上げ、思い切り疑念に満ちた声を返せば、俺の前で腰に手をあてて堂々とした姿勢で立っていたそいつは、ふふんと笑ってから、ずずいと俺の方へと足を踏み込み、俺の顔を下から見上げるようにのぞいて来る。


「……気付いていないと思ったのかね? 今日は随分と僕に見とれていたじゃないか。こういう服が好みとは知らなかったなァ……君ィ?」


「っ……」


 ぐっと言葉に詰まり、思わず後退あとずさりする。


 にやにやと笑うその顔から目をそらし、その勢いのまま背後を向き、家に戻る。


「忘れ物ないようになー」


 プールに行く準備をして戻ってくることを前提としたその言葉には返事をせずに家の中に入り、玄関の扉を閉める。


「はー……」


 早く部屋に戻ってプールにもっていく荷物の準備をするべきとはわかっていても、思わず玄関先に座り込んで顔を覆っていた。


 あれ以上追及されなかったからよかったが、確かに今日のあいつの姿には見とれてしまっていたのだ。


 ……いや、だって、あれはないだろう。


 上はなんだかふわふわした感じの白い服で、下もふんわりとした形の膝下くらいまでの長さの水色のスカート。足元は細くてキラキラしたサンダル。


 手にはプールの道具を入れているのだろう、かごのバッグをもっていて、そのバッグは内側がビニール生地となっているのか、中に別のバッグを入れているのか、少しだけその素材がのぞいている。夏の日差し対策は大きな麦わら帽子で、濃紺のリボンがついていた。


 語彙力がないとか言うな。こちとら女子の服の名前なんざ知らないんだよ。


 何というか、「清楚」を形にしたらこんなだろうかという完璧な見た目だったのである。見た目だけは。


「あいつ、ほんと、美少女は美少女なんだよなぁ……」


 口を開いたら台無しだが。


 扉の向こうには聞こえないであろう小声で、ぼそりと口の中でつぶやく。これが聞こえていたら調子に乗らせるに違いない。


 はあ、と、もう一度だけ大きく息を吐くと、勢いをつけて立ち上がり、部屋へと向かう。


 あいつが待つのに飽きてまた何かおかしなことを言いだす前に準備をして来なければならない。


 * * *


「それで? プールってどこのに行くんだ?」


 準備をして家から出て、特に追加でからかわれることもなく、こいつの選んだバスに乗って揺られていた。


 バスの行き先は市街地の方向だったが、どこのプールに向かうつもりなのかの話はまだされていなかった。


 このあたりの人間が夏にプールに行くと言えば、一つは学校のプール。これはまあ、小中学生ぐらいまでだろう。


 高校のプールは、部活で使っている人間はいるかもしれないが、普通の生徒に開放されているという話は聞いたことがない。


 だから、学校のプールという可能性はないだろう。


 それ以外となると、水泳の大会などが開催されるときに使用される公営のプールか、民間のプール施設――こちらは俺も小学生の頃に親に連れられて行ったことがあり、たしか流れるプールとかウォータースライダーとかもあったはずだ。


 あとはスイミングスクールといった場所にもプールは備えられているだろうが、あそこは一般に開放されているのだろうか。


 そんな風に行き先の予想を立てていると、並んで吊革につかまって立っていたそいつが口を開く。


「そりゃあ、遊びに行くと言ったら、あそこしかないだろう」


 そうして口にされたのは民間のプール施設の名だった。まあ、遊びに行くというなら妥当なところだろう。


 このあたりで夏休みに子ども連れで遊びに行く先の一つとしてよく選ばれる場所である。


「ふーん」


「ほら、降りるぞ」


 そうして乗り換えたのは路面電車である。そういえば路面電車に乗るのも随分と久しぶりな気がする。


 住んでいる場所から市街地に出るのにも、高校に通うのにも、バスが主な交通手段であり、市街地に出てしまえばたいてい歩いて用事を済ませてしまうため、わざわざ路面電車を使う機会はないのだった。


 黙っていれば美少女の、清楚な格好をしたヤツと隣同士で座り、路面電車に運ばれる。


 何年か前に緑地化が進められたとかいう話で、窓の外に目を向ければ、夏の日差しに照らされた木々の緑や植えられた花が鮮やかに視界を彩る。


 ふわぁと欠伸が出る。寝不足というわけでもないのだが、空調の効いた電車の中、特に会話もなく動かずにいると眠気が出てくるのは仕方がないだろう。


 そうしてうっかりと眠ってしまったらしい俺が次に目を開いたときに視界を占めたのは――。


「っ……」


 どうにか声を出すのはこらえて、身を後ろへと引く。


「お、なんだ起きたのか。もう少し寝ていれば、いたずらの一つもできたのになァ」


「……」


 わざとらしく残念そうにそう言いながら、にやにやと笑うそいつの顔から目をそらす。


「んん? 起き抜けに美少女の顔を見ることのできた感動に打ち震えているのかい? いやぁ、僕も罪作りだねぇ」


「……誰がっ」


 どうにか言葉を返すが、手で口元を覆ったまま、視線は合わせられない。


 本当にこいつは、顔だけは美少女なのである。


 考えてもみてほしい。その美少女の顔が目を開いたら視界いっぱいに広がっているのである。


 起き抜けに刺激が強すぎるというものだろう。


 ぐぬぬと意味の分からない悔しさに口の中でうなっていると、俺をからかうのにも飽きたのか、電車の降車口へと向かって歩みを進めながら、急かされる。


「ほらほら、感動に打ち震えるのもそれくらいにして、そろそろ行こうじゃないか」


 憎まれ口の一つでも返してやりたいところなのだが、起き抜けの頭は回らず、無言であとをついて歩く。


 そうして電車を降りて少し歩いた先に着いたのは、民間のプール施設である。


 小学生のときに来て以来だから、何年ぶりになるだろうか。こんな風に来る機会が訪れるとは思わなかったな、と思いながら、所定の料金を払い、施設の中に入る。


 施設に入場する料金もそれほど高くないため、夏の遊びの行き先としては人気な場所だ。昔来たときも人が多くて、夏休みの子ども連れを多く見かけたような気がする、と、そんなかつての記憶も思い出された。


 施設内に入ると、別々の更衣室へと向かう。


 あんな話し方をしているからつい忘れがちだが、一応あいつは生物学的には女なのである……そのはずだ。


 とりあえず俺は適当にもってきた水着――高校の水泳の授業で使っていた普通の水着である――に着替える。


 プールに入る際に使うもので何か忘れたものがあっても貸し出しや購入ができるところが施設内にあった気がする。まあ、昔の記憶のため、今は違う可能性もあるが。


 俺の方が先に着替え終えたようで、あいつが出て来るのを待ちながら、軽く準備運動をする。足でもつったらかなわないからな。


「待たせたな!」


 そう言って出てきたそいつが来ていたのは、黒色の水着だった。


 競泳水着と言うのだろうか。上と下で分かれていて、上はノースリーブのベストのような形、下はショートパンツのような形だ。縁の部分が紺色でそこがおしゃれなのだろうか。


 ……俺の純情を返してほしい。


 いや、人の水着に口を出す気はないし、絶対に口に出す気もないのだが、今日着ていたあの清楚系の服装を見たら、期待してしまうのが普通ではなかろうか。


 なんか、ほら、清楚な感じのフリフリでひらひらの可愛らしい感じの水着を着て来るんじゃないかって……!


「おやおやぁ? なんだい、エッチな水着でも期待していたのかい?」


「んなわけねーだろ」


「ふふん。まあ、そういうことにしておいてあげようじゃないか」


 相変わらずにやにやと笑ってそう言ったそいつは、プールに入る前に真面目に準備運動を始めるようだった。


 体を動かすと上下の服の隙間から肌がのぞいて――。


 ぐるりと体ごと別の方を向いて、とりあえず俺ももう一度準備運動をすることにする。


 ……俺は何も見なかった。


 * * *


「いやあ、極楽、極楽~」


「その入り方は違くないか……?」


 借りてきた浮き輪をつけてプカプカと浮きながらご機嫌に口に出された言葉に思わず、言葉が口をついて出た。


「ほらほら君ィ。暇ならこれを引いてくれたまえ」


 そう言って浮き輪に付けられた紐を示して見せられる。紐を引いて浮き輪ごと運ぶことをご所望らしい。


「へいへい」


 適当にそう返事をして紐をもつ。それほど深くもないプールの中、浮き輪の紐を引いて歩く。


 しばらく歩いたのだが――飽きた。


「なあ、流れるプールにでも行けばいいんじゃないか」


 振り向いてそう声をかけると、浮き輪につかまったまま、水面をパシャパシャと手で弾いて遊んでいたそいつが顔を上げる。


「んー?」


 ふむ、と少し考えるようにする姿を眺めながら、紐を引っ張ってゆらゆらと浮き輪を揺らす。


 流れるプール――真ん中に陸地があり、緩く楕円を描いた形のプールは水の流れがあり、浮いていると自然に流れに沿ってぐるぐるとプールを回り続ける形になる。


 そこなら浮き輪で浮いていれば勝手に流れていくだろうから、俺がこうやって紐を引く必要もないに違いない。


「ふむ。それもそうだな。よし。次は流れるプールに行くぞ!」


 ざぶりと立ち上がり、プールの縁へと向かう後ろ姿を見送っていると、プールから上がる前に振り向かれる。


「何をぼうっとしているんだい。君も来るんだろ」


「……ああ」


 紐引き係としてはお役御免になったはずだが、まあ、ここでぼうっとしていても仕方がないし、ついて行くことにする。


 プールの水で足跡をつけながら歩く。少し視線を上げれば、黒い水着を身にまとったそいつがいて、いつもよりも肌の面積が多い姿が視界を占める。先ほどまでプールに入っていたために水滴が肌を伝って落ちるのが見えた。


 この水着も、これはこれでいいのかもしれない、と、なぜかそんなことを考えてしまっていると、視界が浮き輪で遮られる。


「そういうの、むっつりスケベって言うんだよ」


 手にもっていた浮き輪を俺の視界を遮るように後ろ手にもつ形に変えたようだった。


 ちらりと少しだけ振り返った顔に、なんとなく言葉が見つからずに視線をそらす。


「……悪い」


「……ん」


 それきり会話もせずに二人でプールに向かって歩いた。




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