その一
その夏、私はひどく疲れていた。
年々、歳を重ねる毎に夏が暑さが辛くなる。
もっと歳を取ると、夏よりも冬の寒さが辛くなると聞くが、少なくとも今の中年の私には厚着すれば平気な冬なんぞよりも、涼しい空調の効いた屋内以外に逃げようのないくそ暑い夏がとにかく辛い。
風の無い重苦しい猛暑の八月は、私のもとより頼りない気力体力を根こそぎ奪い去っていった。ましてや、過去にないウイルスとの見えない戦いを否応なしに強いられての日々である。
四六時中、地獄に居座る鬼にも似た八月がようやく去って九月の中旬から下旬になると、昼間はまだ暑くも、夕方からやっと涼しい秋らしい夜の風が吹いてきたのだ。
その風の雰囲気というか香りというか、大丈夫だ、少なくとも今年の夏は乗り越えたぞという、それこそ気配とでも言うしかない空気には、先日までの夜昼問わぬ常軌を逸した暑苦しい空気の流れと全く異質な大気の流れの移り変わりがあった。
あからさまな大気の変動に、来る日の猛暑と日々のストレスで魂の抜けかけた死にぞこないの私はやっと終わりを迎えつつある暑さとの別れに、ただ疲れはて脱力していた。それこそ五体五感でもって呆然と阿呆のように風を感じていたのだった。
泥のように沈澱した疲れにこの僅かな一時は、何も考えられず、ただぐったりと、風に身を任せるばかりだった。
何分たっただろう?右手に缶ビールを握ったまま、目を閉じたまま。
いささか柔く、からっと乾いた夜の涼しい静寂の風がひたすらに心地好い。
出来ればいつまででもここにじっと佇んでいたい。
やっぱり私は秋が四季のなかで最も好きである。
全身から、やれやれとしか出てこない。
安堵と日々の疲れからくる脱力感を全身から放出するように、やけに濃厚なため息を幾度も繰返し、安らかな気持ちになる。
いっそこのまま天国に連れて行かれてもよい、寧ろこのまますぅっと楽になれたらどんなにか良いだろうかとさえ思われた。
涼しくなり精神に若干のゆとりができれば、そこに湧いてくるのは悲しいかな憂鬱な心模様ばかりである。
うだつのあがらない日々に、これまでの、また来年からも続くであろう夏の暑さに、これからの、いや明日からの仕事の先行きに、行き場のない重苦しい私生活に、大袈裟に言えばぱっとしない人生そのものに、私は流石に疲れはてていた。
面倒くせえ。
それが見も蓋もない唯一の本音であった。
ただ、ささやかな救いもある。酒である。
秋になると、安酒でも外で飲む酒がやたらと美味い。
少なくとも居心地の悪い家や居酒屋で飲む酒よりも三割は美味く感じる。
傍目にはやさぐれているようであるけれども、十時近い閉店間際のスーパーマーケットで酒と小さな乾きものを買い、外の休憩用のベンチで風を感じ、大きな月を眺め、どこか切ない虫の音を聞きながら目を細めてチビチビ飲むのが涼しい秋の何よりの醍醐味である。
静かな居酒屋で飲む酒もそれは美味しいが、やはり大気の流れをを体に感じながら飲む、風流の酒は格別である。
それこそ利休の言う詫びさびの極みかも知れない。
どうせ家に帰っても楽しい事など何もないのだ。不機嫌そうな妻の顔を見て、互いに言葉もないまま目を背けて自室に向かう。
着替えて飯を食って風呂に入って満ち足りない睡眠の果てに疲れの取れない体を無理やり起こして、また着替えて腰や内臓の鈍い痛みに唇を噛み締めながらまた満員電車にもみくちゃにされて、また会社である。
果てしないルーチン的な日々。
駄目だ。やはり思考が陰鬱に引きずられて行く。
こうしてゆっくりと外で酒でも飲まなければ、とてもじゃないがやっていられない。
肉体も疲れていたが、涼しさと軽い酔い心地と己が空虚さに私の精神的疲労のダムが決壊してしまった。
少し眠い。
いわば魂の生命力とでもいうべき精神の力はその時、限り無くゼロに近かった。
砂を掘るような徒労感。
先行き不透明なまま、疲れた心を置き去りに、季節ばかりが流れてゆく。
もう静かに一人にしてくれ、と思いつつ、一人もいささか寂しくもある。誰かと細々話したいような、いやいや誰とも口を利きたくないような。誰でもたまにはそんな感傷的な気持ちになるものだ。
曖昧な、なすがままの無意思の虚ろさが酒のほろ酔いによって大きく増幅されていた。
すみません。
その女の子は不意に、いきなり背後から私に声をかけてきた。
この辺に猫いませんでしたか?
え、猫?
か細い声に極めて慌てふためきながら素早く振り向くと、日頃の運動不足に凝り固まった首がグキッと鈍い嫌な音を立てた。
痛みに顔を鬼のようにしかめながら女の子の顔を見上げた。背後に立ち尽くす彼女の小さな顔は、逆光のせいか子供らしいあどけなさよりも、深い陰影がやけに際立った、やたらと無表情に冷たい硬質感を持っていた。
一言でいえば、まるで石膏の彫刻みたいな第一印象であった。
多分荒くれたおっさんに勇気を振り絞って声をかけてみたものの、不安と恐怖に表情が強張ってしまったのだろう。それとも、余程の訳ありなのだろうか。
よくよく見れば顔も小さく腕も足もヒョロヒョロの、本当にまだ小柄な子供の女の子である。
十時近い夜更けなのに塾帰りだろうか、小さな背中に大きな重たそうなリュックを背負っている。
多分小学校高学年生か中学一年生辺りだろうか、その位の小柄な女の子がむさい疲れたおっさんにいきなり話しかけてきたのだ。
なかなか普通ではない。
余程困っているのだろうか。
しかし、私には笑顔で応じるだけのゆとりは無かった。
険しい表情で、え?いや知らないですけど、と言ったまま、次の言葉に継げなかった。
彼女はやはり硬い表情のまま、さっきと同じ様に、この辺に猫は居ませんでしたか?家からいなくなってしまったんです…。と同じ意味の事を早口に言って、まるで私に怒られたみたいにシュンと俯いてしまった。
首の痛さもあって、振り向いた首をそっと正面に戻して、ううん等と唸りながら私もシュンと俯いた。
さてさて、一体どうしたものだろう。
今日日の世知辛い世の中では、おじさんはあまり子供とは関わらない方が身の為であるという。
下手をすれば口を利いただけでも、後でいわれなき不審者扱いを受ける可能性もあるという。
下手をすれば道を訊ねただけで警察沙汰になるという。警察沙汰は厄介である。
ここは曖昧に微笑しながら首をかしげて無視するのが最適解ではなかろうか。
いや、それよりも、さっさと立ち上がって私がその場より歩き去れば最も良いのであろうが、最前からの疲労と感慨にどっぷり浸かった私には、今すぐ立ち去り家路に着くのはいささかしんどかったのだ。
もう少しここで風を感じながら一杯飲んでいたいのだ。
どうかそっとしておいて欲しいのだ。
願いも虚しく、彼女は無言の私の背後に立ち尽くしたまま動こうとしない。
参ったなぁ…。面倒くせえなぁ…。
どうでもいいや。そうだ。適当な事を言って何処かに彼女を追い払おう。
時間を稼いで、その間にゆっくり立ち上がり帰路に着こう。それだ。それがいい。
私は疲れに任せて、ふと、でたらめを口走った。
知らないけれどもね、この辺探せばいるかもしれないね、等と眼前の植え込みとその奥にある小さな森を指差しながらいい加減な事を言ってしまった。
実際そのスーパーの敷地にはベンチの向かいにこぢんまりとした芝生の広場がありその奥にはこの辺を造成する以前からあるのだろう小さな森が残っているのだ。
植え込みには四季折々の綺麗な草花がプランターに咲き乱れ、古い森の木々も爽やかに手入れをされていて、スーパーに来る客だけでなく散歩の犬を連れた人も近所の子供らも当然ここいらの野良猫達も、皆がこの小規模ながらも豊かな緑の空間でのんびりと日々笑顔で寛いでいるのだ。
彼女の猫とやらも、ひょっとしたらここにいるかも知れないというのは、無責任な放言ではあってもあながち全くのでたらめでもなかったのである。
あ、ありがとうございます。
所詮は子供である。
彼女は私の当てずっぽうな放言を見抜けなかったらしく素直に驚きつつ焦燥を隠しきれない小走りで広場に行き、芝生の植え込みをしゃがんで覗き込んだりトラ~トラ~等と多分猫の名前らしきものを呼んでみたり中腰で忙しなく動き回っている。
よし、今だ!
ようやく立ち上がる元気を回復した私は、彼女が広場を捜索している隙にそっと逃げるようにベンチから立ち去った。
作戦成功である。
暗い帰路には右側に新興住宅地が嬉しげに並び建ち、左側にはどこまでも続く田畑が広がっている。今は稲刈りされたばかりの藁の芳香を辺り一面に漂わせている。その田畑に水を供給する用水路にそって、全く疎らな街灯が百メートル位の間隔で点在していて、どこまでも続くかのような無人の一本道を果てなく薄暗くあくまで淡々と照らしている。
ザァザァと用水路の流れる水の音を聞きながら、全く面倒くせえなぁ…等と呻きながら、ひたすらに俯いてまた嫌な面倒臭い妻のいるマンションへと鉛のように重い足取りでよろめきながら歩いていた。
他に行く場所も無いのである。
足を引き摺るように帰宅して、とうに寝ている妻を起こさぬようにそっとインスタントラーメンとその残った汁に炊飯器の冷飯を入れたものを食べて、さっとシャワーを浴び、寝室には入るなと言われているので、居間の隅に布団を敷いて横になる。
暗い居間に目を閉じて横たわっていると、色々な音が耳に入ってくる。
冷蔵庫の音、扇風機の音、遠く走る車の音、新聞配達のバイクの音、ねぐらを失ったのだろうか、カラスの鳴く声、ようやくの秋に命を燃やす数多の虫達の鳴く音色、赤ん坊の夜泣き声、自身の呼吸と、それに合わせた心臓の音、風に草木の葉が揺さぶられる音、自分の心のきしむ音。
あの娘はあの後どうしただろうか。諦めて帰っただろうか。悪い事をしたかな?まぁ仕方無いかな?
目を閉じて、そんな事をぼんやり考えながら追いたてられるように、泥のような短い眠りについた。
しかし翌日、また懲りずに彼女は現れたのだ…。
やはりベンチにぐったりしていると、おじさん、猫を見かけなかったですか?
振り向かなくとも、声でわかる。昨日の彼女である。
しつっこい奴だな。私は俯いたまま小さく舌打ちをした。子供の執念というものを、侮っていた。
お父さんかお母さんと一緒に昼間に探しに来た方が良いよ…。暗いし、一人じゃ危ないよ…。今日は帰った方が良いよ…。
絞り出すような私の声は彼女には届かなかったのか、背後から動く気配はない。
一体この娘の親は何を考えているのだろう。
十時過ぎに大事な娘がその辺をうろうろしていても心配じゃないのだろうか…。
閉店後のスーパーのベンチで怪しく酒を飲んでいる私に、他人の親子の心配もないものだが、鬱陶しさと同時に、こんな不審なおっさんに尋ねてでも迷子の猫を探したいという一人ぼっちの彼女の境遇や心痛もそれなりに感ぜられて辛くもあった。
しかし私は無力だ。何も彼女の力にはなれない。
俯いたまま虚ろにため息を吐いて、私は目を閉じた。
お母さんはいません。
背後から彼女の力無い声が聞こえてきた。
お父さんは猫が嫌いです。私のことも嫌いです…。猫探しなんて手伝ってくれません。
か細い声に、哀れを覚えつつも、いや、油断ならない、この位の子供は平気で嘘もつくからなぁ…、等と無言で黙考していた。
目を開くと、彼女は黙々とまたスーパーの庭園の木々の隙間を掻き分けては覗き込んでいる。
やはり、どこか哀れな後ろ姿であった。
ベンチに座り続けて彼女を眺めていても、自身がまるで無慈悲な冷徹なおじさんであるみたいで、少しも酒は旨くない。五分十分経つにつれ、いたたまれない気持ちにすらなってくる。
やれやれ。
立ち上がり、彼女の横にしゃがみこみ、植え込みや木々の合間に目を凝らしてみる。
何もいない。
何も動く気配はない。ただ風に草木の葉が揺さぶられる音が吹き抜けてゆくばかりである。