9.秘策
激動のメイドデビューを終えた紅玉は、着替えをすませて休憩室にやって来るなり机に顔をうずめた。
先に賄い弁当を食べていた希夢は、勇気を振りしぼり声をかけてみる。
「だ、大丈夫ですか……?」
しかし、エネルギーの底をついた紅玉は一言も返せない。
「初日だから疲れちゃったよね……私も同じ。明日から、やっていけるかな……」
独り言のように希夢が呟くと、重たげに顔を上げた紅玉は虚ろな目で言った。
「……お前は、問題ねえだろ」
「えっ──?」
「結構、一人で接客してたじゃねえか。初日であんだけできりゃあ上出来だ。アタシにも、お前みてえな誠実さが備わっていたらな……」
(み、見ててくれたの……? 私の、こと──)
思いもしない言葉に、希夢の胸は不意にジワっと熱くなった。一方で、何気なく言ったまでの紅玉は「アタシ、もう帰るわ」と席を立つ。
「あっ、べ、弁当は?」
「いらねえ、欲しけりゃやるよ。じゃあな」
「ああ……うん、お疲れ様」
紅玉がヨレヨレとした足取りで休憩室を出る間際、希夢は咄嗟に声をかけた。
「また、明日ねっ!」
紅玉が背中を向けたままかすかに手を上げて応えると、希夢は不思議な温かさを感じて肩の力が抜けた。そして、ホッとしたように呟いたのである。
「文月……朱夏ちゃん──」
◇◆◇◆◇◆◇
アパートに帰り着いた紅玉は、よろめきながら部屋に入ると前のめりに倒れ込んだ。
「初日からこんなんじゃ、明日からが思いやられるぜ……なんで、どいつもこいつもあんなに感情を込めてメイドになりきれるんだ?」
もう、式神界に帰ることは叶わない──。
紅玉はそう諦めて目を閉じた。
しかし、その矢先に「ハッ!」と立ち上がると、今度は大きく目を見開いた。
「そ、そうだ、そうだよ! なんで気がつかなかったんだ……あるじゃねえか、アタシでもメイドをこなせる秘策が──!」
紅玉の高笑いが響き渡る中、翡翠は興味深そうに水晶に訊ねる。
「秘策……水晶様ならおわかりになるのでは?」
「ええ、チョチョイと心の中をのぞけば簡単なことです。ただ、今はやめておきます。楽しみはあとに取っておくとしましょう」
今すぐにでも心の中をのぞきたい衝動に駆られつつも、水晶は明日に期待するように笑ったのだった。
◇◆◇◆◇◆◇
メイドデビュー二日目──。
この日も紅玉は、引き続きルナの後ろにつくこととなった。「秘策」を思いついたこともあり、昨日とは打って変わりスッキリとした表情を見せる。
「なんか、今日はいい顔してるね?」
「まあな。もう、お前の手を煩わせることもねえよ」
「すごい自信だね、期待していいのかな?」
そう訊ねるルナに、紅玉はニヤリと返してみせたのだった。
──かくして開店時間を迎えると、この日も次々と客が入店してきた。
この日は平生よりも来客ペースが早く、とりわけ初見となる客の姿が目立った。
気忙しくメイド達が駆け回る中、また一人、また一人と客が来店する。
早い段階で席空きを待つ客も出てくる中、慣れない希夢ですらアタフタと一人で接客をしていた。それを見たルナは決断する。
「昨日の今日でごめん! くぅちゃん、新規のお客さんの対応いける?」
「おっ、おう」
紅玉は思いついた秘策を胸に「大丈夫だ」と自分に言い聞かせた。そして、新規客のもとに向かうと「スウッ……」と息を吸い込み言ったのである。
「オカエリナサイマセ、ゴシュジンサマ。ナンメイサマデゴキタクデスカ?」
「えっ⁉︎ あ、一名です……」
まるで機械が話しているかのような口調。
そして、完全無欠なる無表情──。
水晶と翡翠が「へっ……?」と拍子抜けしたことなどつゆ知らず、紅玉は心の中で手応えを口にする。
(よし、思ったとおりだ! こっちがロボットになりきって話せば余計な感情が生まれず、アタシの自尊心にも干渉しない──!)
紅玉の秘策とは、「完全に感情を排したロボットになる」というものだった。
「い、意外とシンプルな秘策でしたね……」
「まあ、シンプルイズベストと言いますから……」
昨日から期待値が高まっていた水晶と翡翠は、互いに苦笑いすることしかできなかった……。
「カシコマリマシタ、ソレデハショクタクヘゴアンナイイタシマス」
客を席に案内した紅玉は、無表情のまま客と目を合わせない。そして、流暢なロボット語はさらに勢いを増す。
「コチラガメニューヒョウニナリマス。ゴチュウモンガオキマリニナリマシタラ、ソチラノボタンヲオシテオヨビツケクダサイ」
「あ……はい」
戸惑う客などお構いなしに、紅玉は早々とその場を離れた。そして、ホールの隅で「いける、これならいけるぞ!」と、客に背を向けてほくそ笑んだ。
……しかし。
そこへ忍者の如く素早くやってきたのは充永だ。
「く、くぅちゃん、ちょっといいかな?」
「あん?」
「いいよ、昨日よりは全っ然いい。……でも、今の、なに?」
「なにって、ちゃんと接客してただろ?」
「いや、そこじゃなくて……なんで、あんなロボットみたいな喋り方なのかしら?」
「うるせえな、ちゃんと習った接客ワードで言ってんだから文句ねえだろ?」
「そういう問題じゃなくて、なんかこう……もっと、普通にかわいく言えないかな?」
「接客ワードは習ったが、言い方まで習った記憶はねえ」
「そ、それはそうですけど、そこはもう暗黙の了解というか……メイドたるもの、かわいく言うのが普通ですから!」
その返しに、紅玉は「フッ」と笑う。
「そうか。それじゃあ、さっきのが『アタシのかわいい』だ」
「はあ……ああ言えばこう言う……」
充永が溜息をつく中、意気揚々と帰還してきた紅玉をルナが出迎える。
「お帰り、くぅちゃん。上手くいった?」
「ああ、外野からくだらねえイチャモンは入ったが問題ねえ」
「イチャモン?」
「気にすんな、もうカタはついた」
「ああ、そう……」
やけに自信たっぷりな紅玉に、ルナは不思議そうにも納得したのだった。