7.くぅちゃん、発進!
ついに迎えたメイドデビューの日──。
紅玉は、しかめっ面でピュアスパイラルのドレッシングルームにやって来た。
「あ……おはよう」
先に着替えをすませていた希夢が挨拶するも、気の落ち着かない紅玉は一言も返さない。
希夢が気まずそうに目を泳がせる中、紅玉は耐えがたい怒りと恥辱にまみれながらも「ポニーテールメイド」へと変身していく──。
今にも爆発しそうな顔の紅玉に、希夢は勤務初日の緊張をも忘れるほどの緊迫感に圧殺されたのだった。
◇◆◇◆◇◆◇
開店時間が間近に迫る。
ホール中央に前半シフトのメイド達が集結すると、さっそく充永は集合挨拶を始めた。
「おはようございます。今日から新人のお二人がホールに入りますので、皆さんフォローをお願いします」
先輩メイド達が「はい」と返すと、充永は紅玉と希夢に今日のミッションを言い渡す。
「接客ワードは頭に入っていると思いますが、まずは先輩メイドの後ろについて生の現場を体感してください。今日の目標としては、一件でも多く自分一人で接客をしてみることです」
「は、はい!」
希夢が肩をガチガチにして返す一方で、自分の身なりが気になる紅玉はそれどころではない。集合挨拶などそっちのけで、「絶対領域」を隠すべくミニスカートの裾をつかんで膝元に引っ張り続けていた。
「……いや、引っ張ってもスカートの丈は伸びませんよ。……っていうか、ちぎれるのでやめてください」
呆れ顔でツッコんだ充永は、仕切り直すようにひとつ咳払いをする。
「くぅちゃんはルナ、ヒメちゃんはマリンにそれぞれメインで指導をお願いします。それでは、今日も一日がんばりましょう!」
紅玉以外のメイド達が「はいっ!」と応えると、店の扉の鍵は開き、ついに紅玉はメイドデビューの時を迎えたのだった。
開店と同時に、さっそく数人の客が入店してくる。
背中に紅玉を携えたルナは、いち早く二名の客の対応に当たった。
「おかえりなさいませ、ご主人様! 何名様でご帰宅ですか?」
「えっと、二名です」
「かしこまりました、それでは食卓へご案内いたします!」
客をテーブル席に案内したルナは、手際よくメニュー表を差し出す。
「こちらがメニュー表になります。ご注文がお決まりになりましたら、そちらのボタンを押してお呼びつけください。それでは、ごゆっくりお選びくださいませ!」
あざとくこなすルナの後ろで、紅玉の顔はワナワナと強張る。
(こ、こんなの、できるわけがねえし、言えるわけもねえだろうがっ……!)
歯をギリギリと食いしばる紅玉に、ルナは気さくに話しかける。
「くぅちゃんだっけ、この仕事は初めて?」
「お、おう……」
「緊張で顔がやばくなってるよ? 数をこなせば以外と早く慣れるもんだよ。気負わず楽しくやろうね」
「い、言われなくてもそうしたいぜ。この先、正気を保つためにもな……」
「あはは……だ、だから、顔やばいって」
ルナが苦笑いする中、ホールメイド達のイヤホンに厨房から連絡が入る。
「二番テーブルからお呼び出しです、よろしくお願いします」
「はい、ルナ、対応します」
ルナは紅玉を連れて二番テーブルに向かうと、軽やかに注文受付用のハンディ端末を取り出した。
「お待たせいたしました、ご注文はお決まりでしょうか?」
「えっと……『モコモコ・ロコモコアイランド』と『秘密の森でレッツ・パーティ! ジュース』を」
「僕は、『ギュッとはさんじゃうぞ⭐︎恋の牢獄ホットサンド』と『甘キュン片想いレモネード』で」
「かしこまりした。どちらもお得なデザートセットをご用意できますが、それぞれ単品のご注文でよろしいですか?」
二人組の客が同時に「はい」と頷くと、ルナは「ありがとうございます。それではすぐにご用意いたしますので、今しばらくお待ちくださいませ!」と華麗にさばいてみせた。
その後も次々とスマートな「お給仕」を披露するルナの背中を、紅玉はプルプルと震えながら見つめるのだった──。
◇◆◇◆◇◆◇
すると、開店から一時間ほど経過した頃だった。客の会計処理をすませたルナが、徐に紅玉に言ったのである。
「くぅちゃん、お見送りのご挨拶、お願いしてもいい?」
「な、なにっ──⁉︎」
「大丈夫だよ、まずは挨拶だけだから。お見送りフレーズはわかるよね?」
「ぐっ……!」
『行ってらっしゃいませ、ご主人様! またのご帰宅をお待ちしております!』
そのお見送りフレーズを思い出したとたん、紅玉の葛藤がうなりを上げた。
(い、言うのか……⁉︎ こんなヤツらに、アタシはあんなふざけたフレーズを言ってしまうのか……⁉︎)
しかし、いつまでも悩むことは許されない。
ルナは客を出口の扉まで誘導すると、紅玉を見て頷いた。それは、お見送りフレーズ発動のサインだった。
もう逃れられないと悟った紅玉は、「き……」と一言しぼり出した。
「き……?」とルナが不思議そうに復唱した次の瞬間、紅玉は衝撃のフレーズを放った。
「き、気ぃつけて、帰れやっっっ──!」
その瞬間、ルナの時は止まった。
顔を引きつらせて固まること約三秒、ようやく「ハッ……!」と時を取り戻したルナは慌ててフォローに入る。
「も、もも、申し訳ありませんっ! こちらは今日からやってきた新人メイドでして、まだ上手く言葉が脳内変換できないんです!」
自分なりにしぼり出したポジティブワードを否定された紅玉は「な、なにい⁉︎」と不服そうな顔をする。
「行ってらっしゃいませ、ご主人様! またのご帰宅をお待ちしております!」
ルナは渾身の笑顔で客を送り出すと、出口の扉を閉めるや否や紅玉に迫った。
「ちょ、ちょっと、な、なに、今の⁉︎」
「なにって……見送りの言葉をかけてやっただけだ」
「ち、違うよね⁉︎ 今のは完全に、学校帰りの近所の子どもに声をかける関西のオッちゃんだったよね⁉︎」
「そ、そんなことねえだろ?」
「あるよ! ありまくりだよっ!」
深い溜息をついたルナは、呆れるように続ける。
「初日だし、緊張するのはわかる。でも、接客ワードは覚えてるよね? とりあえず、私が接客してる時にくぅちゃんも一緒に言いながら練習してみて。今度はもう、変なこと言わないようにね」
「る、るせえな……」
紅玉の反応に、ルナは再び深い溜息をついた。
しかし、ルナはめげずに接客する己の背中を見せ続けたのである。改心する様子が微塵もない新人の心に少しでも響け──と。