6.「ミト」
ドタバタながらにメイドネームが決まると、続くフェーズはメイド服の衣装合わせだ。
ドレッシングルームの試着室からまず先に出てきたのは希夢だった。
「わあ、かわいい! よく似合ってますよ!」
「そ、そうでしょうか?」
充永が目を輝かせて褒めると、希夢は頬を赤らめながらモジモジとする。
「サイズもバッチリですね、腰回りとかも苦しくないですか?」
「はい、大丈夫です」
非日常的な己の姿に希夢が気分を高揚させる中、隣の試着室から紅玉がなかなか出てこない。
「文月さん、大丈夫ですか?」
充永がそう声をかけるも返事はない。
しびれを切らした充永がソロリとカーテンを開けると、そこにはすでに着替えを終えた紅玉がプルプルと震えながら立ち尽くしていた。
「あれ? もう着替え終わってたんですね。こちらに振り向いてもらっていいですか?」
紅玉は「くっ……!」と歯を食いしばりながら振り返った。すると、希夢と充永は同時に「か、かわいいっ──!」と感嘆の声を漏らした。
そして、式神界でも──。
「はあぁぁん……!」
そう甘い吐息を漏らして身悶えたのは水晶だ。
「ど、どうなさいました、水晶様っ⁉︎」
すかさず声をかけた翡翠に「危ない、危ない……」と言わんばかりの表情で水晶は答える。
「な、なんという破壊力……私がもし人間だったら、鼻血を出して気を失っていたことでしょう」
「は、はあ……」
翡翠は思った。(このお方、実は紅玉のことが大好きなのでは……)と。
一方で、紅玉はメイド服を身にまとう己の姿が恥辱すぎて顔を上げることができなかった。
「文月さん、めちゃくちゃかわいいですよ! 背も高くてスタイル抜群だし、これはあっという間に人気が出ること請け合いですね!」
「う、うるせえっ!」
充永は興奮気味に話したが、臀部がすっぽりと隠れるほど長い紅玉の髪を見て、冷静にある指摘をした。
「でも、その髪の長さではさすがに束ねたりしないとまずいですね。それだけ綺麗な黒髪ロング、本当はそのまま活かして清楚感を出したいところですけど、ウチは飲食サービス業ですからね。髪の毛が料理などに触れないよう、まとめないとダメかな」
「ちっ、メンドクセーな……」
「そこはご理解ください」
「後ろで一本にくくっときゃいいのか?」
「うーん……それだけの長さですから、おさげチックな一本くくりより、ゴリゴリのポニーテールの方がいいんじゃないですかね?」
「は、はあ?」
「まあまあ、そこに座ってください!」
「あっ、おい!」
気持ちが整わない紅玉を無理やり鏡の前に座らせた充永は、両顎のラインに「垂らしの部分」を作りつつ、手際よくゴリゴリのポニーテールに仕上げた。
「はい、出来上がりです。立ってこちらに向いてもらってもいいですか?」
紅玉が渋々と立ち上がって振り向くと、希夢と充永はまたしても「わああっ! か、かっわいい──!」と感嘆した。
そして、式神界でもまた、やはり──。
「は、はあぁぁぁっ……んっ!」
水晶は気を失うように体をぐらつかせ、フラリと後方に傾いた。
「だ、大丈夫ですか、水晶様っ⁉︎」
慌てて受け止めた翡翠に、水晶は弱々しい声で呟く。
「か、かわとい……」
発せられた謎の単語に、思わず翡翠は訊ねる。
「か、かわとい……と、申しますと?」
すると、水晶は焦点の合わない遠い目でこう答えた。
「か、かわいすぎて、尊い──」
「かわいすぎて、とうとい……かわとい……な、なるほど……」
ポニーテール姿のメイド紅玉に胸を撃ち抜かれた水晶は、翡翠の腕の中、恍惚の表情で笑みを浮かべたのだった。
◇◆◇◆◇◆◇
水晶が気絶寸前となる中、紅玉と希夢の衣装合わせが終わると、タイミングを合わせたように一人の女がドレッシングルームに入ってきた。
「あっ、お疲れ様です、ミト」
充永がそう挨拶したのは、ピュアスパイラルで不動の人気ナンバーワンであるミトだった。
「お疲れ様です。もしかして、そのお二人が新人さんですか?」
「はい、今日から仲間に加わった文月さんと由良さんです」
ミトと目があった希夢は、ピンと背筋を伸ばしてすぐさま挨拶する。
「はじめまして、由良希夢と申します! メイドネームはヒメです、よろしくお願いします!」
「かわいいメイドネームだね、こちらこそよろしく。肩の力を抜いて楽にいってね」
「は、はい、ありがとうございます!」
続いては紅玉が挨拶する番……とばかりに全員が紅玉の方を見やる。しかし、紅玉が挨拶などするはずがない。
「文月さん、挨拶を……」
「あん? なんでだよ」
「先輩メイドに挨拶するのは当たり前です、さあ!」
充永に急かされた紅玉は、「仕方なし感」全開に「文月朱夏だ」とだけ無愛想に言った。
そんな紅玉に、「それでは言葉が足りない!」とばかりに目で圧をかける充永──。
そのプレッシャーに押された紅玉は「……まあ、よろしく頼むわ」と付け加えた。
「……こちらこそ」
ミトはそう返したものの、声のトーンから不機嫌さがにじみ出ていた。
ピリついた空気を感じた充永は、「メイドネームは、くぅちゃんです。これから二人の指導をよろしくお願いしますね」と努めて明るく振る舞った。
ミトがかすかに頷いて着替えに取りかかると、充永は小声で紅玉を諭す。
「文月さん、あなたの『キャラ』は尊重しますが、ここではお客さんにも店のスタッフにも、丁寧かつ謙虚なコミュニケーションをお願いしますよ。ちなみに、ミトはウチの絶対的ナンバーワンメイドですからね」
「ちっ、だりい……」
何事も素直に応じない紅玉に、充永の頭には不安の二文字しか出てこなかったのだった。
──ほどなく私服に着替え直した紅玉と希夢は、この日の締めくくりとしてホールで接客するメイド達の様子を見学すると、オリエンテーションはつつがなく終了となった。
「本日説明した通り、明日は前半のシフトに入ってもらいます。余裕をもって出勤してください。あと、勤務後にはキッチンメイド手製の賄い弁当が毎回出ます。休憩室で食べてもいいですし、待って帰っても構いません。どちらにせよ、一食分の用意は不要ですからね」
「はい、ありがとうございます」
紅玉が返事しないことにもすっかり慣れた充永は「それでは、また明日お待ちしています」と、その場を解散とした。
◇◆◇◆◇◆◇
アパートに帰宅した紅玉は、部屋に入るなりドサっと仰向けに寝そべった。
「だいぶお疲れのようですね」
そう話しかけてきた水晶に「……放っとけ」と返した紅玉は、左腕で目を覆った。
「そんな調子で明日から大丈夫なのですか?」
「……うるせえ、大丈夫じゃねえって言っても無駄なんだろ?」
「ほう、よくわかってるじゃないですか」
「ちっ……」
「勤務の際は、きちんと今日のようにポニーテールにするのですよ?」
「はあ……うるせえ! もう寝る! 絶対に話しかけんな!」
紅玉はそう宣言すると、全身を覆う疲労感に勝てず「秒」で寝入った。
「やれやれ……まあ、がんばってみなさい」
まるで母親のように水晶が呟く中、紅玉は現実逃避するように爆睡したのだった。