5.メイドネーム
オーナー室を後にし、続いて紅玉と希夢が案内されたのは接客用ホールだった。
「ウチはホール面積が広いので、他店と比べても客席は多めです。あと、厨房との仕切りがガラス張りになっているので、調理する様子が見えるのも特徴です。ちなみに、ウチは厨房スタッフも全員メイドなんですよ」
「えっ、そうなんですか?」
驚く希夢に、充永は得意げに続ける。
「キッチンメイドと呼んでいます。厨房専門なので接客をすることはありませんが、きちんとメイド服を着て厨房に立ってるんですよ」
「す、すごい、こだわってますね」
「ここでおもてなしするスタッフは、ホールも厨房も関係なく『全員メイド』がコンセプトのひとつなんです。そして──」
充永が視線を移した先にあったのは、イベント用のステージだった。
「あそこがライブ用のステージです。ほかのイベントでも使用しますが、ライブの時は一段と華やかさが増す空間になります」
充永が誇らしげに説明する中、希夢はステージの奥になにかを映し出すように遠い目をした。
「ウチはライブパフォーマンスをしてるっていうのはご存知ですよね?」
充永のその問いかけで「あっ⁉︎」と我に返った希夢は慌てて返す。
「はい、お店のサイトでも拝見しました。『追伸プレシャス』と『追伸ストーン』ですよね?」
すると、それまでまともに話を聞いていなかった紅玉が「なんだ、それ?」と割って入った。
「文月さん、もしかしてなにも知らないとか……?」
「知るわけねえだろ」
平然と返す紅玉に、充永は溜息まじりに説明する。
「エンターテイメントのひとつとして、ホールメイドにはライブパフォーマンスをしてもらっています。メイングループの追伸プレシャス、そして、妹分グループの追伸ストーンです」
「なんだそれ? くっだらねえ」
「くだらない……?」
充永がムッとすると、すかさず希夢はフォローの言葉をはさむ。
「あ、あの、グループの振り分けはどのようにして決まるんですか?」
「……ああ、お客様アンケートで人気得票数が多かった上位五人が、追伸プレシャスのメンバーとなります。アンケートは三か月ごとに集計し、グループ編成は季節ごとで年四回行う形を取っています」
希夢は頷きながら質問を続ける。
「そうなんですね……ライブステージに立つメンバーはどのようにして決まるんですか?」
「各グループとも、一回のステージに立つのはシフトで調整した三人です。毎月一回はすべてのメイドがステージに立てるよう調整していますが、五人に厳選された追伸プレシャスの方が必然的に一人当たりの出演回数は多くなりますね」
「そう……ですか。それじゃあ、とりあえず全員が歌や振り付けを覚える必要があるんですね?」
「そのとおりです。お二人とも二週間後からは定期的にレッスンを受けてもらい、研修期間を終える一か月後にはステージデビューしてもらう予定です」
充永の説明に「メンドクセーな、アタシはパスだ」と紅玉は悪びれることなく言い放つ。
「パス……?」
どんどん表情が強張っていく充永を見かねた希夢は、パチンと手を合わせて再びフォローの言葉をはさむ。
「そ、そうだ! グループ名の由来ってなんなんですか?」
その一言で冷静さを取り戻した充永は、軽く深呼吸をし、表情からトゲを抜いてから答える。
「グループ名については、『プレシャスストーン』というフレーズを二つにわけたものです。ウチで働くメイド達は『光り輝く選ばれし宝石』……すなわち、『プレシャスストーン』であるという意味を込めています。ちなみに『追伸』というのは、店名でもある『ピュア』と『スパイラル』の英単語の頭文字を取ってつなげた『P.S.』を日本語に変換したものです」
「光り輝く選ばれし宝石……ですか。私に、そんな大それた光があるでしょうか──」
希夢は俯き加減で呟いた。
その様子がどこか物憂げに映った充永は、そっと励ますように言う。
「あなた方は、縁あってピュアスパイラルの仲間になった大切な『キラ星』です。大切なのはトップファイブに入ることではなく、お客さんに楽しんでもらえるよう誠心誠意を尽くすことです。気後れすることなく、楽しみながらがんばりましょうね!」
我関せずの紅玉の横で、希夢はどこか乗り切れない表情で「……はい」と答えたのだった。
◇◆◇◆◇◆◇
それから店舗内の案内も一通り終えると、オリエンテーションの場は会議室に移された。
「……接遇については以上です。それでは、お二人の店で使うメイドネームを教えてもらいましょうかね」
「メイドネーム……?」
不思議そうに訊き返した紅玉に、「採用通知に考えてくるよう記載していましたが?」と充永はキッパリと答える。
しかし、まともに通知など見ていなかった紅玉にはまるで初耳の話だった。
「なんだ? そのメイドネームってのは」
「店で名乗る名前のことですよ」
「はあ? なんでイチイチそんなもん決めるんだ?」
「非日常の空間を創るためですよ。お客さんにとって、ここで出会うメイドは現実世界にはいない特別な存在なんです。それに、あなた方にとっても仕事モードへのスイッチになりますからね」
「メンドクセーな……」
「はは……まあ、ちょっと考えてみてください」
呆れ気味に笑った充永は「それじゃあ、由良さんから教えてもらおうかな?」と質問の矢印を希夢に向けた。
「はい、えっと……『ヒメ』でも大丈夫ですか?」
「かわいいメイドネームですね。命名理由を聞かせてもらっていいですか?」
「はい。私、小さい頃から『かわいいお姫様』に憧れてて……メイドとお姫様って立場的には相反するんですけど、お店で出逢うお客さんにとって、自分がお姫様のような存在になれればいいな……と思って」
「なるほど、シンプルですがとても気持ちの伝わる理由ですね。そのメイドネームを使ってる人はいないので、ヒメで大丈夫ですよ」
「あっ、ありがとうございます!」
「それじゃあ、文月さん、なにか候補は決まりましたか?」
「ぐっ……」
険しい表情で考えあぐねる紅玉に、充永はたまらず助言する。
「難しく考えなくても、たとえば名前から一文字とってネームにする人もいますよ?」
それを聞いた紅玉は、これ幸いとばかりに言った。
「じゃ、じゃあ……『紅』でっ!」
「く、くれないっっっ──⁉︎」
予想の斜め上をいく回答に、充永の声は上ずった。
「え、ええっとぉ、な、なんでですかっ⁉︎」
「はあ? だってお前、名前から一文字とるヤツもいるって言っただろ?」
「い、言いましたけど、文月さん、名前に『紅』って字はないですよね?」
「ゔっ……!」
人間界では「文月朱夏」であることをつい忘れていた紅玉は「べ、別にいいだろ、なんだって!」と押し切ろうとした。しかし、充永も譲らない。
「いやあ、ちょ、ちょっと紅は、なんかハードボイルドな匂いがするというか……別のメイドネームを考えてもらえませんか?」
「うるせえな、もう紅でいいんだよ!」
「いや、ですから紅は……!」
目の前で繰り広げられる押し問答に、希夢は「あはは……」と、ただ苦笑いする。
すると、その時、突然ある妙案が充永の中に閃いた。
「そうだ──! それでは、『くぅちゃん』というのはどうでしょう?」
「く、くぅちゃん、だと……⁉︎」
「はい。紅だから、くぅちゃん。……うん、それがいい! それでは、文月さんはくぅちゃんでいきましょう!」
「ちょ、ちょっと待て、くぅちゃんは……!」
「よかったですね、いいメイドネームが決まって。よし、くぅちゃんで決まりだぁ!」
紅玉の反論を遮るように、充永は笑顔で言い放った。
不本意ではあったが、別の候補名が浮かぶわけでもなく、紅玉はもはや「くぅちゃん」を受け入れるしかなかった。
「く、くぅちゃん……ぶふっ」
笑いを堪えるのに必死な水晶を見て翡翠は思った。(こ、このお方はもしかして、紅玉を使って遊んでいるのでは……)と。