1.きっかけはリンゴ飴
古の時代、事あるごとに救いの祈りを捧げてくる人間を不憫に思った神は、己の代わりに人間を救わせる存在を創り出した──。
それが式神である。
「神」と言っても、あくまで召喚した人間の命に従う立場だ。言うなれば「召喚獣」にすぎない。
式神には、火・水・木・金・土から成る「五行」の属性を具現化する力が与えられた。その力をもって、人間の命に従ったのである。
かつて式神は人間に多用された。
しかし、文明の発達によりその有用性は衰退──。
今や、忘れられた存在になって久しい。
ここ、式神界では「人間に使役する」という存在意義を忘れた式神達が、今日も平々凡々たる日常を送るのだった──。
◇◆◇◆◇◆◇
「ちーっす、蛍のおっちゃん!」
「やあ、瑠璃ちゃん、いらっしゃい」
「へへー、じゃーん!」
瑠璃は、色とりどりの玉模様があしらわれたハンカチを得意げに広げた。
「おお、こりゃまた見事なハンカチだなあ」
「瑠璃、渾身の新作なんだ。またリンゴ飴と交換してもらえる?」
「いいのかい? こんないい物もらっちゃって」
「うん、大事に使ってね」
「もちろん! それじゃあ、この一番大きいリンゴ飴を持って行きな」
「わーい、ありがとう!」
満面の笑みで踵を返した瑠璃だったが、その矢先にドスンと何者かにぶつかった。
「……てめえ、どこ見て歩いてんだ?」
そう言って瑠璃を睨みつけたのは紅玉だった。
「ご、ごめんなさい、紅玉様……」
「そんなもん持って歩くから、こんな事になるんだ」
紅玉は瑠璃からリンゴ飴を乱暴に奪い取った。瑠璃が思わず「あっ!」と手を伸ばしたところで、慌てて駆けつけたのは蛍だ。
「紅玉、そいつを瑠璃ちゃんに返してやってくれ! 瑠璃ちゃんが作ったハンカチと交換してやったものなんだ」
「ハンカチ……? よくそんなくだらねえもんと交換したな」
悔しそうに俯く瑠璃に「どけ」と紅玉は告げた。しかし、瑠璃はせめてもの抵抗でその場を動こうとしない。
「だから、どけって言ってんだろ!」
紅玉は怒鳴り声を上げ、ついに瑠璃を思い切り蹴り飛ばした。
「あっ! だ、大丈夫かい、瑠璃ちゃん⁉︎」
蛍が急いで瑠璃に駆け寄る中、紅玉はシラけた目で冷たく言う。
「ちっ、真正面に寝そべりやがって……結局こっちが避けて歩かなきゃいけねえじゃねえか」
横を通り過ぎていく紅玉の背中に、蛍は荒ぶる視線を突き刺す。
「い、いつも好き放題しやがって……今日という今日は──!」
怒れる蛍は、握りしめた右手に激しく渦巻く青い水流をまとわせた。
すると、紅玉はリンゴ飴を唇に当てて振り返り、ただ一言、こう発したのである。
「……あん──?」
その瞬間、紅玉から強烈な威圧感が全方位に放たれた。
あまりの衝撃に蛍は一気に戦意を喪失し、右手に渦巻く青い水流も力なく消沈した。
「ふん……」と何事もなかったかのように去る紅玉の背中を、蛍は脱力しながら見つめることしかできなかった。
「すまねえな、瑠璃ちゃん。おっちゃんがもっと強ければ……また明日おいで、今日よりもでっかいリンゴ飴を作っといてやるから」
瑠璃は「うん」と弱々しく頷くと、涙を拭い帰って行ったのだった。
◇◆◇◆◇◆◇
式神界の界隈で起きた、この出来事──。
それは「式神長」である水晶につぶさに見られていた。
式神長とは、式神殿に常在する特別職である。式神界の秩序を守るべく、万事を意のままにすることができる「神属性」の力が与えられた最高権力者だ。
水晶と共に「リンゴ飴強奪事件」を見ていた側近の翡翠が徐に言う。
「同胞への蛮行、これで通算百万回目です」
その報告に、水晶の口調にも呆れた様子がにじむ。
「塵も積もれば百万回……ですか。よくもまあ、そんなに積み重ねたものです」
「私でよろしければ代わりに対処しておきますが?」
「……いえ、ここへ来るよう紅玉に伝えてください」
「ここに、ですか?」
「ちょうど百万回目の区切りです。以前から考えていたことですが、ここらで少し性根を叩き直してやりましょう」
「……なるほど、承知しました」
翡翠は頷くと、リンゴ飴を舐めながら歩く紅玉の前に「パッ」と瞬間移動してみせた。
「翡翠……なんの用だ?」
驚きもせず淡々と訊ねる紅玉に、翡翠は端的に用件を告げる。
「紅玉よ、至急、式神殿に来るのだ」
「はあ? なんでそんなとこに行かなきゃいけねえんだよ、お断りだ」
「水晶様がお呼びだ」
「っ──!」
紅玉はリンゴ飴を舐める口をピタリと止めた。
「……どうやら心当たりはあるようだな。すぐ来るように」
そう言い残して翡翠が姿を消すと、紅玉は気だるそうに舌打ちをしたのだった。