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王都を離れて、そろそろ一年が経つでしょうか。
マレディツィオーネから、いいえ、もう愛してはいないエウジェニオ王太子殿下から離れたおかげか食欲も戻り、私は辺境の小さな家で楽しく暮らしています。
だれかを好きになって、いつかその想いを失ってしまうのが怖いので、メイドは雇っていません。幼いころから一緒だった専属メイドにも別れを告げました。
家自体の管理などについては専門家に来てもらっていますが、日常のことはすべて自分でこなしています。掃除も、洗濯も、料理も──
「うん、やっと黒焦げじゃない料理が出てくるようになったね」
「失礼な! 食べ物を黒焦げにしてしまったのは最初の数回だけです!」
「そうだっけ?」
イタズラな笑みを浮かべるのはアルトゥーロ殿下です。
彼は王位継承権を放棄して臣下に降り、私が住んでいた王領を授けられました。
本当はエウジェニオ王太子殿下に似た彼となど顔を合わせたくないのですが、住んでいるところの領主ですし、幼いころからの仲で私の好みを知り尽くした彼が持ってくるお土産に釣られて、月に数回夕食を共にしています。
「ふふふ。まあ黒焦げのままだとしても、僕にとっては世界一美味しい料理なんだけどね」
「……」
不敬だとわかっていながらも、私は彼を睨みつけました。
こうしてふたりきりで会うようになって、私は彼のお顔も声も、思っていたほどエウジェニオ王太子殿下に似ていらっしゃらないことに気づきました。
アルトゥーロ殿下のほうが艶っぽくて色気がある気がするのです。そんなことを言ったら、僕のことを好きになって来たからそう思うんじゃない? なんて返されそうなので絶対に言う気はありませんが。
「僕はジェラルディーナのことが大好きだからさ、このまま一生茶飲み友達のままでもいいんだよ。……君が幸せで、いつも微笑んでくれていればそれでいい」
「その割に私が眉間に皺を寄せずにはいられないようなことばかりおっしゃいますが」
「うん。だっていろんな表情も見たいんだもん」
……人の心は変わります。
自分自身の心さえ思うようにはなりません。エウジェニオ王太子殿下を想う気持ちは永遠に変わらないと信じていたのに、そうではありませんでした。
アルトゥーロ殿下のお気持ちもいつかは変わってしまうことでしょう。
「ご馳走様! じゃあ僕が持ってきたお土産を食べようか!」
「お皿を片付けてお茶を淹れるので、しばらくお待ちくださいませ」
「じゃあ皿は僕が洗うよ。ふたりで分担したら、そのぶん長くおしゃべりできるでしょ?」
「……割らないでくださいね」
「あ、そっか。皿を割ったら、代わりの皿を届けるためにここへ来れるんだ」
「やめてください」
そう言いながら、私の頬は緩んでいます。
アルトゥーロ殿下と一緒にいると楽しいのです。
──昔、王子様達とかくれんぼをしたとき、私を見つけるのはなぜかいつもアルトゥーロ殿下でした。当時のエウジェニオ王太子殿下は、まだ婚約者としての私を大切に扱ってくださっていたのに、それでも彼は私を見つけてくださいませんでした。
人の心は変わります。
エウジェニオ王太子殿下や父のように、私とアルトゥーロ殿下の気持ちも変わっていくことでしょう。健康になって領地を得たアルトゥーロ殿下には、多くの縁談が舞い込んでいると聞きます。
この国の表舞台から消えたカルーゾ侯爵令嬢ジェラルディーナが、彼の心からも消え去るのはきっともうすぐです。
それでも……私が変わってもアルトゥーロ殿下が変わっても、彼に幸せでいて欲しいと願う私の気持ちだけは変わらないでいて欲しいと、私は思うのです。
この世界のどこかに、ひとつくらいは永遠に変わらないものがあれば良いのにと祈らずにはいられないのです。