癒しの時間(1)
「では、本日はここまでにしておきましょうか。こちら、明日の授業までに仕上げておいてください」
「……はい」
そう言い残し、王宮の一室を出て行った教師の背を見つめた後、セイディは目の前にある山積みのテキストに視線を移した。
高位貴族並みの気品を身に付ける。それは、言葉通り一筋縄でいくことではない。作法仕草など表に出る部分はもちろん、淑女の嗜みとして高位貴族が持つ一般的な知識まで。これを、たった二週間で身に付けろというのだから、あの神官長は鬼畜だ。そう思いながら、セイディは目の前のテキストを見つめる。一つ一つは分厚くはないが、束になればかなり分厚い。これは、徹夜になりそうだ。
「あまり、歓迎されている雰囲気でもないし」
教師たちは、セイディのことをあまり好意的には見ていない。それは、セイディ自身肌で感じ取ることが出来た。大方、あの神官長に言われたため渋々引き受けていると言ったところだろうか。冷たい視線と、何か失敗をすれば飛んでくる叱責。これでは、箱入り娘だった場合心が折れるだろう。まぁ、セイディはこれくらいではへこたれたりしないタイプなのだが。どちらかと言えば、むしろ「絶対に見返してやる!」と思うタイプだ。
そんなことを考えていれば、部屋の扉がノックされる。時計を見れば、もう寄宿舎に戻る時間のよう。ということは、リリス辺りが呼びに来た可能性が高い。そう思い、セイディは扉の方に声をかけた。すると、そこには予想通りリリスがいた。
「セイディ様、お疲れ様です」
リリスはその金色の目を柔和に細めながら、セイディの元に近づいてくる。寿退職を控え、こんな面倒な役割を押し付けてしまったことを、本気で申し訳ないとセイディは思っている。が、侍女にまで敵意を向けられたくない。それに、同性でも信頼のできる人が欲しかった。
「リリスさん」
「お茶、用意してきますね。お茶を飲み終わってから寄宿舎に戻られても、遅くはありませんよね?」
「そうですね」
「では、護衛の騎士様方もお誘いしましょうか。三人で交代とはいえ、立っていらっしゃるのも疲れるでしょうから」
リリスのその言葉に、セイディは静かに頷いた。クリストファーもルディも、オーティスも。まだまだ新米の騎士である。こんな大役を任され、緊張していないわけがない。ミリウスが何を思ってあの三人を護衛に任命したのかは分からないが、セイディの予想だけで言えば経験値を積ませるため、だろうか。何事も現場経験が大切なのだ。
「クリストファー様、ルディ様、オーティス様、休憩にしましょうか」
お茶を淹れに部屋を出て言ったリリスは、扉の前で待機している三人にそう声をかけているようだった。その声を聞いたからか、三人は部屋に入ってくる。三人の騎士服がほかの騎士よりも新しく見えることが、三人が新米に見える一番の理由だろうか。まぁ、その幼さ残る顔立ちも関係しているのだが。
「セイディさん、お疲れ様です」
ソファーに移動したセイディの側に立ちながら、クリストファーはそう言って笑う。最近ではクリストファーの態度が軟化したことに、誰もが慣れてしまった。もう、騎士たちの中に驚く者はいない。そんなことを思いながら、セイディは「どうぞ」と言ってソファーに視線を向ける。今までは、セイディの方が騎士に仕えているような立場だった。だから、こうやって逆に気を遣われるのには慣れない。騎士たちはセイディが来た当初から気を遣ってはくれていたが、それでも気の遣い方は全然違うのだ。
「ですが……」
「もう、代表聖女の私は閉店しました。今からは、いつも通りメイドとして接してください」
オーティスが渋るので、セイディはそう言って朗らかに笑った。セイディからすれば、騎士たちに敬ってもらうよりも、いつものように妹分のように扱ってもらう方が心地いい。もちろん、この三人は年下なのでどちらかと言えば『姉』のように見てくれているのだろうが。
「じゃあ、失礼します」
「……ルディ、お前本当に図々しいな」
セイディの言葉を聞いて一番に反応したのは、やはりと言っていいのかルディだった。ルディはソファーに腰を下ろすと「だって、疲れちゃった」と言って大きく伸びをする。その姿が可愛らしく、セイディは撫でまわしたい気分になってしまう。
「オーティス様も、クリストファー様も、どうぞ。ご遠慮なく。むしろ、私が立った方が良いくらいですし」
「いえ、それはダメです。立つなら僕が立ちます」
「……さすがに、冗談ですよ」
あまりにも真面目にクリストファーがそう返してくるものだから、セイディは少し引き気味にそう答えてしまう。そんな会話をしていれば、オーティスもさすがに疲れてしまったのかソファーに腰を下ろしていた。それを見て、クリストファーも渋々と言った風にソファーに腰を下ろす。
「こういう勉強の場って、どういうものでしょうか? 俺、貴族ですけれど実家子爵家なので……」
クリストファーが腰を下ろしたのを見て、オーティスがそう声をかけてくる。
高位貴族と判断されるのは、侯爵家以上の爵位を持つ家と、一部の伯爵家のみ。男爵子爵家は下位貴族という位置づけになる。もちろん、セイディの実家であるオフラハティ子爵家もそうだ。
「厳しいどころの騒ぎじゃないですよね。真面目に受けていたら、大変すぎて死にそうになります」
オーティスの問いかけに答えたのは、セイディではなくクリストファーだった。彼のその表情は、忌々しい記憶を引っ張り出してきたかのようであり、セイディは苦笑を浮かべてしまう。クリストファーも、騎士を志したというだけはあり、どちらかと言えば身体を動かす方が好きらしい。それは、最近よく関わるようになって知ったことだった。
10月から元の週に2回更新に戻す予定です(予定は未定とも言いますが……)
少年騎士たちのわちゃわちゃは書いていて結構楽しいです。
いつもお読みくださり、誠にありがとうございます。引き続きよろしくお願いいたします~!