トラブル発生(4)
◇◇◇
時計台にたどりついたオフェリアは、重厚な扉を開けた。
点検時以外は誰も寄り付かないため、内部はとても埃っぽい。せき込みつつ、明かりをつける。
「……異常はなさそうだけど」
螺旋階段を上り、一番上を目指す。
時計台の最上階は一部屋分くらいのスペースがある。中央を陣取る水晶こそが、結界を張るための道具だ。
オフェリアは水晶に触れた。
(――異常なし)
この水晶に触れることができるのは、光の魔力を持つ者のみ。つまり、聖女とヴェリテ公爵家の人間だけ。
オフェリアは水晶に触れ続ける。そのとき、耳に不穏な音が届いた。
「っ!」
慌てて振り返る。
そこには先ほど広場で見たものと同じ獣がいた。
「どうしてっ!」
ここにも個別に結界が張ってあるはずなのに――と思ったとき。
オフェリアは気づいた。
「水晶自体がすり替わっているんじゃあ――」
疑問を口にしたとき、エルがオフェリアの前に立った。毛を逆立て、獣の奥を見る。
ぼんやりと人影が見た。背丈からして、男性だろうか。
その人影が、剣を抜いた。オフェリアが反応するよりも先に、エルが飛びつく。
エルは素早い動きで、人影の攻撃をかわし、懐に飛び込んでいく。
真ん丸な瞳がオフェリアに向いた。エルは口を開く。
「オフェリア! ――逃げろ!」
瞬間、エルの小さな身体が吹っ飛ばされ、壁にぶつかった。
普通の猫ならば、すぐに立ち上がることなどできやしない。だが、エルは立ち上がった。
「随分と丈夫な猫ですね。……いや、あぁ、そうか」
足音がこちらに近づいてくる。姿を現したのは、精悍な顔立ちの男だった。
「それは猫じゃない。――妖精か」
男が剣の切っ先をエルに向ける。オフェリアは咄嗟に、エルの前に立ちふさがっていた。
「やめて。エルを傷つけないで!」
脚が震える。本気の殺気を向けられたことは、生まれて初めてだった。
「エルは私の大切な子なの。……だから、傷つけないで」
震える唇を動かした。できるだけ強く男をにらみつける。男はなにも言わない。
少々考え込むようなそぶりを見せ、床を蹴る。一瞬で間合いを詰めたかと思うと、オフェリアの紫色の髪の毛をつかんだ。
「きれいごとですね。そういうの大嫌いです。胸糞悪い」
冷え切った氷のような声だ。
冷たくて、温かみなどちっともない。
「妖精をかばうなんて、どうかしている。頭おかしいんじゃないですか?」
「……だって」
オフェリアにとって、エルは大切な子だった。
ずっと一緒にいて、ずっと守ってくれた。……エルは、ライネリオと同じくらい大切で大好きな存在だった。
「それに、見たところその妖精が契約しているのはあんたじゃない」
「……関係ないわ。私とエルの間に、契約なんて必要ない」
髪の毛がぶちぶちとちぎれていく。男は飽きたようにオフェリアを壁に向けて突き飛ばした。
エルが慌てて駆け寄ってきて、オフェリアの顔を覗き込んでくる。
「オフェリア、大丈夫じゃないよな。今、治療してやるから……」
「やめて、エル」
伸びてきた肉球を、振り払った。
「私は大丈夫、だから」
全身が痛い。けど、今、エルの力を使わせるわけにはいかない。
「エル。ライネリオさま……もしくは、ミリウス殿下を呼んできて。お願い」
「……俺にオフェリアを置いて行けと?」
眼差しが鋭くなる。オフェリアが首を縦に振ったのを見て、エルは顔をしかめた。
「無理だな。その役目はお前がしろ。……お前を放っていったなら、俺の存在意義なんてない」
「……けど」
「いいからいけ! 痛みはごまかしてやる。だから――な!」
エルがぺろりと舌でオフェリアの頬を撫でた。身体の痛みがわずかに引いたのがわかる。
「オフェリア、俺がこいつを引き留める。だから――いけ!」
大きく叫ばれて、気づいたらオフェリアは走っていた。
螺旋階段を転がり落ちるように走る。
(エル、お願い。どうか無事でいて――!)
オフェリアは走った。全身の痛みは、ごまかしきれない。でも、それでも。
「エルは私の大切な子だから――!」
その一心だった。オフェリアにとって、エルは――自分とライネリオをつないでくれた、かけがえのない存在だから。




