本質とリボン(1)
夕食を終えたセイディは与えられた部屋に戻る。
心ここにあらずの状態の食事となったせいで、味をよく覚えていない。昼食のときはあれだけ感動したにも関わらず――だ。
(はぁ。こんなにも悩むなんて)
もしかしたら、今までの人生で一番悩んでいるかもしれない。
窓から夜空を見上げる。雪がちらちらと降っていて、とても幻想的な光景だった。
「ダメ、こんな風にしていたら心配をかけてしまう」
自身の頬をパンっとたたいた。
実際、夕食時にはやたらとリオやクリストファーに心配されてしまった。笑ってごまかしておいたが、彼らもなにかに気づいているはずだ。
(明日からは通常通りに。平常心で過ごす)
自分に言い聞かせる。
窓を開けた。冷気が部屋に入ってきて、一瞬身体を震わせる。
手を伸ばした。もう少しで雪に触れることができそうだと、つま先立ちになって限界まで手を伸ばしたとき。
ノックの音が耳に届いた。
予想していなかった音に驚き、バランスを崩す。
大きな音が部屋中に響く。机に打ち付けた腕をさすっていると、部屋の扉が開いた。
「――なにをやっているんだ」
視線を向けると、そこには額を押さえたミリウスがいた。
「いえ、ちょっとバランスを崩しまして」
「そんなことを聞いてるんじゃない。……まず、どうしてバランスを崩した」
彼が遠慮なく室内に足を踏み入れる。
セイディは急いで立ち上がった。
「お前に怪我をさせてみろ。アシェルとジャックに俺がどれだけ怒られるか……」
「今回のことは、全部私が悪いじゃないですか」
「だったとしても、原因を作ったのは俺だと言われるのがオチだ」
それこそ『理不尽』というものだろう。
ミリウスはセイディのほうに近づいてくる。
「怪我なんてしていないな?」
「はい」
「だったらいい」
先ほど腕を打ち付けたことは黙っておこう。決意する。
「ところで、どうして突然いらっしゃったのですか?」
小首をかしげて問いかけてみると、ミリウスがセイディから視線を逸らす。
わずかな沈黙のあと、彼は大きく息を吐いた。
「昼間のあの態度はなかったなと思った。謝りに来ただけだ」
「……謝るなんて」
言い方こそきつかったが、謝るほどのものではない。
セイディが胸の前で手を横に振ると、ミリウスの視線がようやくセイディに向いた。
「これは私が答えを出すべきことですから」
誰がなんと言おうと、最終的に決めるのはセイディだ。
彼の言動はおかしなことではない。
「だったとしても、言い方があったと思ったんだよ。あのな、俺は――わからないんだ」
「わからない、ですか?」
「あぁ。こういうときにどうするのが正解か」
そんなものはセイディにもわからない。
「話はずれるが、聞いてほしい」
彼の言葉に静かにうなずいた。
「俺に用意された道は小さなころから一つしかなかった。――兄の役に立つことだ。兄に迷惑をかけてはならない。兄の役に立たなくてはならない。兄の邪魔になってはならない」
ミリウスの顔を見つめる。いつも飄々としていた彼は――今、とても悲しそうだった。
「兄や両親がどれだけ俺を自由にしようとしても、周囲は納得しない。有能であることを求めるくせに、兄より上になってはならない」
「……意味がわかりません。たとえ上でも」
「あのな、兄の上になるということは、俺を次期国王にしようとする輩が現れるということだ。そんなの絶対にごめんだ。兄を蹴落としてまで欲しいものじゃない」
王族にはセイディが想像する以上のしがらみがあるのだろう。
「俺にとって兄は尊敬するべき人間だ。優しいのに得体のしれない不気味さもある。……俺はああはなれない」
乾いた笑いが聞こえた。ミリウスの瞳は伏せられていて、セイディにはその瞳に宿った感情が見えない。
「だから、俺は全然別の道に進もうとした。けど、結局全部の道の最後は同じだった。全部同じところにつながっていた。選択肢がある風に見ていたのに、選択肢なんてはじめからなかったんだ」
ミリウスの言いたいことを薄々理解する。
「以来、俺は考えることを放棄した。流れに身を任せて自由に過ごす。そうしたらどうだ。こんな人間が出来上がった」
最後は妙に明るい声に聞こえる。しかし、声は震えている。
「長年考えることを放棄した。そのせいだ。――俺は今、必要な答えを出すことができない」
彼の自由奔放な態度の原因が見えた気がした。
こぶしを握って、セイディはミリウスを見つめる。
「……ミリウスさまは優しいんですね」
「は?」
「だって、常にお兄さまのことを思って行動しているじゃないですか」
今回のことも、そうなのだ。
セイディのことを考えるあまり、答えを出せないでいる。
「国王陛下がミリウスさまのことを大切にする理由がわかりました。――あなたさまは強くて優しい人です」
セイディがいったところで、彼の心に響くかどうかはわからない。
でも、伝えたかった。
「今、答えを出さないのは。あなたさまが私の人生に必要以上に干渉しないためでしょう」
「……セイディ?」
「結局、臆病なだけですね」
不敬罪かもしれない。
「でも、知っていますか。――臆病な人って、優しいんですよ」