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公爵家の屋敷(3)

「僕にとって、帝国時代の全部が悪い思い出というわけじゃない。悪い思い出のほうが多いのは間違いないよ」

「フレディさま」

「けどね、全部が全部嫌だった――そういう風に切り捨てることはできないだ」


 フレディの表情は儚くみえた。今、目を離すと彼が消えてしまうのではないか。根拠のない不安に襲われて、セイディは咄嗟に彼の手首をつかんでいた。


「――セイディ?」


 彼の目が真ん丸になる。


 はっとして彼の手首を離した。どう言い訳をしようかと迷う。


「い、いえ。大した理由はないのです。……ただ、なんだかすごく儚く見えて」

「儚い?」

「このまま放っておいたらフレディさまがどこかに行ってしまうのではないか――と」


 これではうまく伝わらない。自分でもわかっている。ただ、適切な言葉が浮かばなかった。


 しどろもどろになったセイディを見て、フレディは笑う。そして、セイディの手をつかんだ。


「大丈夫。僕はずっとここにいる。――約束だ」

「約束、ですか?」

「あぁ。僕の居場所はここだから」


 心からの笑みを浮かべた彼に、セイディは安心した。


「そう、ですか。よかったです」


 だったら、と彼から手を離そうとした。だが、フレディがセイディの手を離してくれない。


「フレディさま。手を離してくださいませんか?」


 彼の双眸を見る。


 今の彼の表情はまるでいたずらっ子だった。


「いやだ。どうせだし、このまま歩いてもいいんじゃない?」

「……ご冗談を」


 フレディとセイディの関係はただの友人――のようなものである。決して手をつないで歩くような関係ではない。


「僕は本気なのに」

「勘弁してください」


 そっけなくあしらうと、彼は「ちぇー」と声をあげて手を離してくれた。


(私も咄嗟に手首をつかんだこと、反省しなくちゃ)


 人によっては不快になるだろうから。


 その後、公爵邸の玄関にたどり着いた。フレディと相談して、別の廊下を進んでみることにする。


(あれ、そういえばこっちって――)


 あの建物の造りからすると――こちら側は。


 セイディがそれに気づいたとき、目の前から見知った顔の人物が歩いてきた。彼女はセイディを見て驚きの表情を浮かべた。


「あら、えぇっとセイディさん?」


 きれいな声にも聞き覚えがある。セイディはぺこりと頭を下げた。


「オフェリアさま……でしたね」

「そうです。覚えていてくださって嬉しいです」


 金の瞳を細めたオフェリアが、微笑んだ。


 彼女の足元にはかの黒猫がおり、オフェリアの脚に頬をこすりつけていた。


 黒猫の行動に気づいたオフェリアは、黒猫を抱き上げる。


「私、こちらの神殿に務めていて」


 オフェリアが振り返る。長い廊下の先には、神殿の入り口らしきものが見えた。


「今日はお休みだったのですが、来ちゃいました」


 どこか茶目っ気を含んだ声に、セイディの緊張がゆるんだ。


 同時に、自分が緊張していたことに気づく。


「にゃぁ」

「あら、エル。どうしたの?」


 黒猫の長いしっぽが揺れている。真ん丸の瞳はオフェリアに向いており、オフェリアは真剣に黒猫を見返していた。


「――そうね」


 オフェリアのつぶやきが耳に届く。


「よかったら、一緒にお茶でもどうですか?」

「え、ですが」

「そちらの方もどうぞ」


 離れた場所にいたフレディにも、オフェリアは声をかけた。


 普段の彼なら、すぐに誘いに乗るはずだった。セイディも彼は断らないと思っていたのに――。


「あ、あぁ。うん、ごめん。僕は遠慮しておくよ」


 フレディは胸の前で手を振った。


「遠慮しなくてもよろしいのに」

「……うん。でも、すみません、遠慮させてもらいます」


 なんだか彼らしくない態度だった。セイディがフレディを見つめると、彼の視線は黒猫に注がれていた。彼の表情は見るからに険しい。


「そうですか。残念です。セイディさんは?」

「セイディは行っておいで。僕のことなんて気にしなくていいから」


 戸惑うセイディの背中をぽんと押して、フレディは廊下を戻っていく。残されたセイディはぽかんとする。


(フレディさま、絶対に様子がおかしいわよね――?)


 けど、問い詰めるのはやめたほうがいい。直感が告げていた。


「では、私は一緒にお茶をさせていただいてよろしいでしょうか?」


 場の空気を変えたくて、了承の返事をする。オフェリアは笑顔でうなずいた。


「こちらにどうぞ」


 先を歩くオフェリアに続く。途中、黒猫がすたりと床に降りて、振り返る。


「エル、行きましょう」


 しかし、オフェリアに声をかけられ、黒猫は「にゃぁ」と鳴いて歩き出した。


 セイディは一人と一匹を見つめて、ちょっとした疑問が確信に変わっていくのを実感した。


(この黒猫ちゃん。――やっぱり、ただの猫ちゃんじゃないみたいね)

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