邸宅(2)
声には強い後悔がにじんでいた。
でも、セイディは思うのだ。それは仕方がないことだと。
(普通に考えて、お母さまがいなくなったのはクリストバルさまが十歳前後のころ。そんな年齢の子供がどうこうできる問題じゃない)
詳しい事情を知らない以上、下手なことを口にするのははばかられた。
「僕はもう一度でいいから、彼女に会いたかったんだ。……無理だったけどね」
うつむいた彼の表情が見えない。
どう声をかけるのが正解か。悩んだセイディに対し、彼がゆっくり顔をあげた。
「生きていてほしかった。また会いたかった」
「それは、その」
「けど、よかったよ。……キミが生きているということは、パトリシアの生きた証があるということだ」
「……そうですね」
気づいたら同意していた。
セイディは肖像画に手を伸ばす。額縁を撫でる。埃はかぶっておらず、掃除がしっかり行き届いていた。
「お母さまは、どういう性格の人で、どういう考えを持っていたのでしょうか」
彼女の生い立ちは教えてもらった。どうしてリア王国にやってきたのかも。
しかし、彼女の考え方などは彼女にしかわからない。
「――お母さまは、幸せだったのでしょうか」
こぼれた言葉に対する返事は求めていない。
クリストバルもそれはわかっていたらしく、なにも言わなかった。
「ただ、きっとお母さまのことですし。信念を見失うことはなかったのでしょうね」
実家の古い使用人たちから聞かされた話を思い出す。
母はしたたかで凛とした女性。なによりも強かったと。
「――ありがとうございました」
クリストバルを見て、頭を下げた。
「お母さまのお姿を見ることができて、嬉しかったです」
「……うん」
「多分ですけど、お母さまも嬉しいと思いますよ」
セイディの言葉にクリストバルが驚愕の表情を浮かべた。セイディは笑顔を作る。
「自分を慕ってくれている人がいることは、幸せなことです。人とは死んでもなお、他者の記憶の中で生き続けるのです」
穏やかに笑ったセイディを見て、クリストバルが額を押さえた。なにか、おかしなことでもいっただろうか?
「……なんだろう。キミが本当にパトリシアの娘だってよくわかったよ」
「元から存じていましたよね?」
「顔立ちはそっくりだからね」
なんだか含みのある言い方だった。
「ただ、キミはパトリシアと内面も似ているんだ――って、思っただけだ」
次に顔をあげたクリストバルの表情はすがすがしい表情だった。絵になるほどに美しいとはこのことか。
「突然呼び出してしまって、ごめんね。戻ろうか」
彼が立ち上がり、扉のほうへと向かう。
セイディは最後に肖像画をもう一度見つめた。
(私、お母さまに恥じない娘になりますからね)
肖像画に向かって心で告げて、セイディはクリストバルのほうに向いた。彼は扉を開けて待っていた。
「――それにしても、キミは大切にされているんだね」
突然の意味の分からない言葉にセイディがきょとんとする。彼は笑った。
「今、庭からとても強い魔力を感じる。――キミを迎えに来たようだよ」
リオは時間までは待っていると言っていた。彼が約束を破ったとは思えない。そして、一人を除いたほかの面々も。
セイディは慌てて玄関に向かった。玄関の重厚な扉を開けると、庭に一人の男がたたずんでいる。
「――よぉ」
彼が手をあげる。セイディの頬がぴくぴくと動く。
「どうして、ここにいらっしゃるのですか――?」
一応理由を聞こうと、冷静を装った。
「大した理由はない。ただ、公爵にあいさつをしようと思ってな」
「は?」
ミリウスがクリストバルと向き合う。
鋭いまなざしが、クリストバルを射抜いた。
「うちのが世話になったな。ヴェリテ公爵」
「他人行儀だね。もっと楽にしてくれたらいいのに」
対するクリストバルは柔らかな笑みを浮かべていた。
「……そうか。――にしても、前々から思っていたが、あんたは油断できない相手だ」
「あなたにそう言ってもらえて、嬉しいね。僕はミリウス殿下ほど強くはないからね」
「どの口がそれを言うんだか」
一触即発といった雰囲気に、セイディは一人ひやひやしてしまう。
「あんたほど敵に回したくない人間はいないな。力じゃない。あんたは相手をじわじわと追いつめるタイプだろう」
「……僕のことをどう思っているんだか」
眉尻を下げたクリストバルは、視線をセイディに移す。
「彼は僕に敵意を向けているようだ。嫌われてしまったかな」
目を細めたクリストバルの言葉にすぐに反応できない。
「できたら僕は彼と敵対したくない。ここは引き下がろうと思うよ。――またね」
クリストバルの手がセイディの背中を軽く押す。
「次は僕の屋敷で会おうね。――この国のトップ、公爵として」
彼はセイディたちを見送ることなく、邸宅の中に戻っていく。重厚な扉が大きな音を立てて閉まる。
その姿が見えなくなる。セイディは立ち尽くしてしまった。




