天国にはエアコンがない
「天国にはエアコンがないらしい」
え、エアコンが……ないだって――?
年々続く温暖化。炎天下からエアコンの効いた場所へ入った時の、『ああ、天国だー』の感動の一声は……偽りだったということになる。
天国なのだからなんでもありと思いがちだが、よくよく考えれば……そうなのかもしれない。純白のローブを身に付けた天国の住人や天使や神様なんかが、真夏に雲のソファーに座ってクーラーで涼んでいれば……ガッカリしてしまう。
……地獄に落ちやがれと願ってしまう。
だが、この御時世、エアコンがない天国なんて……天国じゃない――。
「熱中症で倒れる人も続出らしいぞ」
「マジっスか」
「ああマジだ」
先輩が煙草の煙をプーっと口から吹き出しながら答える。僕は煙草を吸わないので煙が嫌いなのだが、先輩に文句なんて言えない。
「天国には救急車もないから、住人や天使が肩車をして日陰まで運ぶそうだ」
「うわ、それもまた暑そうっスね。天国には木陰とかもないし」
なんせ、雲の上だから……行ったことないけど。
雲の上なら救急車があったとしても走れないだろう……凸凹過ぎて。
「それで肩車をしている人も汗だくになって、脱水症状になるってオチだ」
「ハッハッハ、天国で酒ばっかり飲み過ぎているせいですよね。お酒ってたしか、水分補給にはならないんでしょ」
「ああ。飲めば飲むほど小便で出てしまう」
「自業自得ですね。ざまあみろだ」
「ああ。だからエアコンは今、必需品だな……天国なんて、行きたくもない」
「……」
行きたくもないって先輩は強がって言うけれど、エアコンなんて代物は当然……、
「……地獄にもないんですよね。暑くてまさに灼熱地獄っス」
顎から汗がポタリと垂れ落ちる。
「上手い!」
先輩は煙草を吸い終わると吸殻をポイっと投げ捨て、そばに置いてあった鉄の棒を軽々と持ち上げる。それが休憩時間の終わりの合図だ。
やれやれ、また汗をいっぱいかかなくてはならない。いったいいつまで続くのだろうか。現場で肉体労働ばかりをさせられている僕達。ここはまさに……地獄だ。
渋々僕も立ち上がると、鉄の棒を持って先輩の後を追った。
「あーあ、僕も天国みたいなところで旨い酒を綺麗なお姉ちゃんと飲みたいっス」
「それならもっと沢山良いことをして、『日頃の行い』ってやつを貯めなきゃな。コツコツ地道に」
地道に……か。僕が一番苦手なやつだ。貯金すらできない。
「それって何年かかるんすか? チートできないんスか?」
「そんなこと言ってズルや楽ばかり考えていると、お前も地獄に落ちるぞ」
「落ちてるようなもんです。エアコンもないし」
先輩は持っていた鉄の棒を大きく振り上げた。肘か肩のどちらかからペキッと音が聞こえた。
「オラオラ、なにをサボっていやがる! さっさと針山に登れ!」
「「ギャー」」
先輩は大きい。背丈も僕の倍近くあり、見る者は誰もが怯えるような強面と強靭な肉体美。『進撃を繰り返す巨人』並みにデカい。鬼のようにデカくて赤い。
というか、赤鬼だ。
「「ギャー」」
ブンッと振った金棒が数百人の亡者をなぎ倒し、辺りは地面が真っ赤に染まる。しかし、血を流した亡者は痛みだけを感じるとフラフラとまた立ち上がり、針の山へと群がり登り始める。
どれだけ金棒で殴られても死ぬことはない……一度もう死んでいるから……。
「ま、すぐに天国にはいけないとしても、毎日真面目に働いていれば閻魔部長に『三途の川』ぐらいまでは出張させて貰えるかもしれないぞ。あそこは川に浸かれるから涼しくて気持ちいいぞ。石ころ積み上げるのを邪魔するだけだから仕事も楽ちんだ」
三途の川か……。
鮎が美味しいと聞いたことがあるのだが、
「……遠慮します。三途の川はなんか……メンタルがもちそうにないっス。可哀想で。それに僕、閻魔部長苦手なんですよ」
「なんでだよ、仕事もできるし美人で可愛いじゃないか」
「そう見えてるの先輩だけっスよ」
先輩は閻魔部長と同期入社らしい。先輩が入社したのって……何年前の話なのだろうか。令和の話じゃないのだけは確かだ。
「だいたい、最近は地獄に落ちてくる人間が多過ぎるんだ。「俺ファースト」なんて自分のことばーっかり考えている奴が多過ぎるんだ」
「そりゃ地獄に落ちますよね」
「三割近くが地獄に落ちてきているらしいぞ」
「えっ! 三割もですか」
「ああ。人口もどんどん増加しているからな。だから今日も残業だ。地獄の鬼にも「働き方改革」が必要だぜ」
「そうっスね。まさに地獄ですよね」
「ああ地獄だ、ハッハッハッ――」
バタン――!
大きな音と共に、会議室の扉が急に開かれた――。
涼しい風が入ってくる。ゆっくり目を開けると、そこには……。
――鬼の閻魔部長が仁王立ちしている~。会議室で先輩と仕事をサボって居眠りしていたのがバレてしまった……のか。
「ちょ、ちょっとあなた達! 大丈夫なの」
「ふへ?」
目の前には机にうつ伏せになって、汗だくで先輩が眠ている。汗の量が尋常ではない。額からダラダラ流れる汗が机上のA4用紙に染み渡っている。
「ムニャムニャ。もう食べられないよ~」
「典型的な寝言を言ってる場合じゃないでしょ! エアコンが壊れているからこの会議室は使わないようにと朝のミーティングで言ったじゃないの! 聞いていなかったの」
慌てて部長は目の前で大汗をかいて眠る先輩の首筋を触った。
ギトギトしていて僕は触りたくない。部長がよく平気だと感心してしまう。
「38℃を超えているわ!」
「部長、よく分かりますね。指先にサーモセンサーでも付いてるんですか?」
部長の指先に先輩の汗が付いている。……なんか鳥肌が立つ。
「冗談言ってる場合じゃないでしょ! 早く涼しい所へ運ぶのよ!
――労災になるでしょ――!」
労災? その一言で僕は事のやばさを知った。――労災だなんてとんでもない。もしそんなことになれば対策として……この会議室で仕事をサボれなくなってしまう~。
慌てて立ち上がると、足や手の指先がピリピリ痺れるような感覚が走った――。
「あれ……、なんか……」
うまくろれつが回らない……。
「なんか……僕も、ヤバいっス……」
目の前が薄暗くなり、立っている感覚が少しずつ薄れていく……。
どってーん。
「キャー、誰か! 誰か、救急車を呼んでちょうだい! 早く!」
部長のそんなキンキン声が遠ざかっていくように聞こえた。
天国にはエアコンがない。だが、ビルのオフィスにはエアコンがある。
万が一、エアコンがなかったら……眠っている間に壊れて止まったら……。
天国に行けるのかもしれない。
いや……地獄だろうか……。
病院に運ばれた先輩と僕は命に別状はなかったが、閻魔大王のような部長にこっぴどく叱られた……。
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