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宿星立ち 

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と、内容についての記録の一編。


あなたもともに、この場に居合わせて、耳を傾けているかのように読んでいただければ、幸いである。

 ぱぱんがぱん! あ〜神頼み〜、神頼み〜。もっとやっておけばよかったあ。

 ――何をもっとやっておけばよかったかって?

 受験勉強でござるよ。いよいよ半年程度の期間に迫ったからね。今のうちに願掛けというわけさ。

 ――まだ半年あるんだから、あきらめるのは早い?

 まあよく聞くよね、それ。実際に、親戚のおじさんが晩秋からバリバリ勉強して受かったから、信ぴょう性はあるな。

 人事を尽くして天命を待つ。だが、そんなのは受験みたいに、勝負の日がはっきり決まっているから口にできるもんじゃないかい? 

 尽くしきれずに下った天命。そこでのたうち引きずって、人事にもまれる自分がいる。動いても動いても、「尽くしたかどうか」なんて結果論でしか語れない。

 昔から、人は神頼みにさえ命がけだ。願掛けについての言い伝え、ちょっと聞いてみる気はないかい?

 

 戦国時代のとある領主の城で、待望の跡継ぎが生まれた。すでに母親は三十をだいぶ過ぎている。半ば諦めていた中での、待望の男の子だった。

 しかし、数年後。彼は痘瘡とうそう、天然痘にかかってしまう。今でこそ撲滅宣言がなされた病気だが、非常に高い感染力と、五割にも及ぶ高い致死率を持つ難病。過去に政治の柱となる人物を根こそぎにし、大混乱を招いた実績も持つ。

 付きっきりの看病が行われるが、知識を持たぬ武人であった父にできることは、神に祈ること。彼は息子の「宿星」へと願を掛けたんだ。

 宿星と聞くと、たいていの人が天文学を思い浮かべるだろう。天を二十八の領域、星宿に区分した星たちを用いて、様々な占いに役立てられたんだ。だが、宿星という言葉にはもう一つの意味が込められている。

 それは、闇に紛れた夜に宿る星。天にはその光が目に届かない、名もなき無数の星々がある。明るきものでなくとも、確かにそこに存在する力を、祈祷によって引き寄せる。叶った暁には、いかなる病も身体の外へと逃げ出さざるを得ないという。

 過去、実際に父親はその方法で、不治の病を治した宣教師たちの姿を見たことがある。

 その時から、いずれ役に立つ時がくるかもと、こっそり準備をしていたんだ。

 

 父親は南蛮から伝わった書に書かれてあった通り、狐狸の血を持って庭に円陣を描く。書に描かれている陣には、細かい字がところどころに浮かび上がっており、父親はそれも丁寧になぞった。

 そして次に、自分の親指の腹に刃を指し、そこから滴る血で持って陣の線に、新しい染め手を加えていく。

 自分の流す血は、狐狸のそれとすっかり交わらねばならず、乾いてしまってからでは効果を十分に発揮しないとある。父親は血が止まりそうになるたび、新しく傷を手にこさえていき、ようやく遂げた時にはすでに左手は、元の肌の色さえ判別がつかない状態になっていたとか。

 それでも血止めをするには、まだ早い。父親は陣の中心に正座をすると、自分の血で服や袴が汚れるのも構わず、あぐらをかいて経を唱え始めた。

 この経も、書に記されていた文句らしい。というのも、異国の言葉であって父親は読めるわけではなく、読まれた言葉を聞きかじり、それを本に書き写しただけなんだ。

 血なまぐささの漂う円陣の中心で、父親の唱える経は、星々がすっかり見えなくなってしまう夜明け頃まで、一晩中、庭に響き渡ったという。

 

 やがて父親は、縁側を伝ってやってきた侍女のひとりに声を掛けられた。息子の顔と身体に広がっていた膿疱のうほうが、すっかり引っ込んだというんだ。実際に見てみると、寝入っている息子の身体に、昨夜まで毒々しく広がっていた湿疹は、影も形も存在しなかった。

 ほどなく意識を回復した息子は、昨日までの苦しみようなどまるで嘘のようで、両親の顔を交互に見ながら、きょとんとしていたそう。それから父親は息子の快気を皆と喜びながらも、夜になると星々を見上げて、感謝の念を贈り続けたそうだ。

 

 それから十年あまり。息子もすっかり大きくなり、元服の時が迫っていた。父親の配下の中でも、文武に優れた武将たちが息子の指導に当たったけれど、いずれも優れた才覚を示し、このままいけば跡取りとして、申し分ない存在になれるという評価だった。

 あとは元服に加え、戦国の世のならいを身に染み込ませる必要がある。すなわち、嫁取りと初陣だった。

 家臣たちの中には、焦りすぎだと戒める声も上がった。特に戦に関しては、こと慎重に臨まなければいけない。討ち死にや怪我などもってのほかで、たとえ矢や弾がかするような事態さえも、起こすわけにいかなかった。

 この戦国の世において戦うことに対し、恐れなど抱こうものなら、その瞬間から生涯に渡る負け犬に堕してしまうからだ。

 けれど、父親は早く息子を育て上げたいという思いが強かった。ただでさえ遅く授かった息子。自分に何かある前に、ひとり立ちできるようにしておきたい。そう考えていたんだ。

 まずは元服、と日取りを決めるために、領内の僧侶たちが呼ばれたが、そのうちの数名がこう口にするんだ。


「失礼ながら、今のご子息では、成人足りえない。一人の力で歩けていない」と。


 過去に、何かよからぬものの手を借りましたかな、と尋ねてくる僧侶たちに、父親は自分の背中を冷や汗が伝うのを感じていた。

 話すべきか否か。頭の中で迷っていたが、その表に出ていたであろう顔色で、僧侶たちは事情を察したらしい。


「もしも心当たりがあるのでしたら、元服前にやらねばならぬことがございます。我々、用意の上でその時をお待ちいたしましょう。ご一報くだされ。しかし、もしも我々が信用ならぬとおっしゃるのであれば、無理にとは申しませぬ。どうか後悔をなさいませぬよう」


 そう言われて、気にならない者はいないだろう。父親は洗いざらいを吐き出して、僧侶に対策を乞うたところ、十日後、この屋敷の離れに息子と母親、そして父親自身のみが集まり、行われる儀式に参加してほしいと言われたらしいんだ。


 そして約束の日。離れの広間には、人の数倍はあろうかという大きさの、不動明王の像が運び入れられていた。

 室内の明かりは、中央に置かれた大きな燭台のみ。その中央にある陶器の皿に、火のついた長いロウソクが差してある。僧侶たちはそこを取り巻きながらぐるりと輪を作り、親子三人はその内側、燭台にほど近い場所へ招かれ、必要以上に騒がないことを戒められた。

 集まった中でも、一番の高僧から指示が出る。息子は畳の上に横たわり、母親はその近くに座って、息子の額に手を当てる。そして父親は刀を抜いて、中央の燭台の灯にかざすようにとのこと。

 刃を立て、空いた片手で峰を支えながら、ちろちろと燃える小さな明かりに近づける。そこから伸びる影は、実物よりも何倍も長く、離れの入り口の戸にかからんばかりだったとか。

 経を読み終えるまで、そのままの姿勢でお待ちくだされ、との声かけ。同時に、一拍の遅れもない、十数名の僧たちによる読経が始まる。それは法事や慶賀などで耳にするものとは、およそ別物だった。

 そわそわした空気を隠せない母と息子に対し、父親は神妙な面持ちで、刃と火をにらみつけていた。

 予め、父親は僧侶たちと打ち合わせていた。読経が終わる時、彼には大事な仕事が待っている。その時のため、ひたすらに己を高めるばかりだった。

 

 朗々と響く経の声は、すでに一刻以上に及んでいる。特に横たわるように指示された息子は、日中の稽古の疲れからか、うつらうつらし始めている。

 やがて広間の上部にはめてある格子から、室内のものとは別の光源が姿を現す。

 月だ。満月にはわずかに足りない、上弦寄りの月。

 雲がじょじょにどいていき、その全身がくっきりと浮かび上がったところで、ふいに読経の音が止んだ。唱える時と同じように、止まる時もやはり、余分に漏れる息などひとつもない。

 その沈黙から、数瞬おいて。「たっ!」という父親の裂ぱくの気合と共に、ロウソクの灯が消え失せる。その寸前には、片膝を立てながら燃え盛っていたロウソクの芯を薙ぎ切る、父親の姿があった。

 暗闇に包まれる広間。だが、かすかに差し込む月明りが、息子の胸の付近に当たっていた。

 すると、光の中を踊るほこりたちに釣られるようにして、ふうっと息子の胸から浮き上がるものがある。

 それは青色に輝く、顔一つ分にも及ぶ大きさの玉だった。月のものとは違う、それが自身で発する光は、その場に集う一同の顔をくまなく照らすほどの強さがあったという。

 青い光は固唾をのんで見つめる皆の頭上を、なめるかのようにゆっくりひと巡りすると、やがて格子のすき間を、こぼれ落ちるようにして外へ消えていったんだ。

 その姿が見えなくなってからも、しばらく皆は動けずにいたけれど、息子が急に激しくせき込み、かすかに血を吐いたこともあって、すぐに看病に当たったらしい。

 

 息子はどうにか命を取り留めたけど、向こう数年間は寝たきりにならざるを得なかった。

 その間、父親たちが僧侶たちから聞いた話によると、あれは父親の願い通り、飛来した星の力であると断定された。

 あの儀式以来、地上の穢れを寄せ付けない力として、息子の身体に宿り続けていた、まさに「宿星」。だが、地上にあるものを退けるとは、最終的に宿ったものさえも、地上にあるものとして退けることを指す。あのままでは、「星」として生きるより他になかったでしょう、と僧侶たちは語った。

 父親はかつて宣教師に命を救われた娘のもとへ向かったが、その姿はなく、年老いた両親がいるばかり。娘の行方を尋ねると、二人は黙って空を指さすばかりだったとか。

 そして息子は、これまで星に支えられてきたであろう身体の負荷を、いっぺんに受け止めたらしく数年間苦しんだけれど、やがてはすっかり克服。

 すでに二十歳を過ぎていたけれど、無事に元服、初陣を遂げ、嫁を迎え入れたそうだよ。



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