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如是我文  作者: 葉倉千緒
3/8

諸法無我

 午後三時、降主殿の内部。朝の儀式を終えた教主が畳の上で休息を取っている。儀式用の着物は既に脱ぎ、身軽な格好で毛布を引っ掛ける。


「……はぁ」 


 溜め息を吐く教主。


「メチャしんどい…… ダリィ」


 儀式の時に用いていた畏まった言葉遣いではなく、品がない蓮っ葉な女言葉だ。朝の神々しさとは打って変わって俗っぽく、下品な印象が見受けられる。


「教主様…… そのようなご格好は如何なものかと」


 偶々(たまたま)通りがかった、薄汚れた白の作務衣を着た中年男が進言する。


「うっさいわね、いいのいいの。あそこ、閉まってんでしょ?」


 後頭部で背後の扉を差す教主。儀式が終わった後直ぐに閉められたので、とっくに扉は閉ざされていた。


「信者連中はだぁれも来ないわ。連中、下の道場でしょ? 降主殿のここは今や密室、アタシとアンタだけ。誰も見てないから」

「ですが…… 御神前ですので……」


 中年男は教主の前方、大きな鏡を五本指で指し示す。その大鏡は眞理教の御神体である。磨かれて曇り一つない鏡が教主と中年男を写す。


「神様が見てるっての?」

「……はい」


 中年男は怖ず怖ずと頷く。


「……あーっはっはっはっはっはっは!!!」


 すると突然、教主は黄ばんだ前歯を見せながら大笑いをした。


「きょっ、教主様!? 如何なされましたッ!?」


 突然の教主の豹変に驚く中年男。


「如何ぁ? 如何も何も、可笑しくってしょーがないのよ」

「可笑しい……?」

「可笑しいわよ、アンタ」


 真っ赤なマニキュアが施された指で、中年男を差す教主。


「私の何が……?」

「何て言うのかなぁ、そう。アンタ自身が」

「私自身……?」

「うん」


 すっくと立ち上がり、教主は御神体の鏡に向かって歩み寄る。


「可笑しいったら、ありゃあしない」

「……具体的に教えて下さいませんか?」

「具体的に? そうねぇ…… アンタのピュアなところかな?」

「ピュ、ピュア?」

「そー、ピュア」


 鏡を覗き込み、髪を掻き上げる教主。


「アタシの旦那もそーだけどね」

「旦那……脇祖(わきそ)様もですか」

「そー。アイツもアンタも大概にピュアよー」

「は、はぁ……」


 眉根を寄せる中年男。


「こーんな鏡を有り難がっちゃってさぁ、こんなアタシを奉っちゃってさ、何かもう……ピュアすぎてカワイイの」

「カワイイ、ですか……」

「アタシ、カワイイのを見ると虐めたくなっちゃうから」

「…………」


 中年男の背中に冷たい汗が流れ落ちる。


「大体、臺様なんてどーでもいいのよね」

「……教主様!」

「だってさぁ、アタシと血なんか繋がってないし、100年近くも前に死んだ人間なんてどーでもいいし」

「教主様! 臺様は眞大理王主の……」

「何? 鼎脚(ていきゃく)の分際で、教主様のアタシに文句つけるワケ!?」


 怒りで握り拳を鏡に叩きつける教主。幸い、鏡に罅は入らなかった。因みに、教主の言う鼎脚というのは、降主殿で雑用をする役だ。教主は30代半ばくらいだが、鼎脚の中年男は教主より一回り年上だ。


「いっ、いえ! とんでもございません!」

「……なら、いいわ」


 教主は吊り上げた眉を下ろす。


「やっぱりアンタ、カワイイわ。虐め甲斐があるわね」

「そ、そんなお戯れを……」


 中年男の顔に脂汗が浮き出す。


「もっと虐めてあげる。アタシね、教主になろうって切欠はね……」

「しっ、失礼しま……!」

 すかさず、その場から逃げ出そうとした中年男の腕を掴む教主。


「逃がしゃしないわ。聞きなさい」

「いっ、嫌でございます!」

 

 教主は左手で中年男の顔を自らに向けさせる。緊張で中年男は動けない。


「アタシね、実は旦那を愛してないの」

「…………!?」

「だって、マザコンなんだもん」

「マ、マザコン……」

「そう。実際には臺様も愛してるみたいだから、ババコンかしら? 熟女趣味、臺様はとっくに死んでるから屍姦願望野郎ってところかしらね。墓掘り返して、骨壺にチンポでも突っ込むんじゃない?」

「こっ、言葉が過ぎます……!」

「いいの、聞いてんのはアンタだけなんだから。で、そんな糞野郎と結婚した理由は分かる?」

「それは…… 教主様が世界一切を救う器であって、その使命に発露(ほつろ)されたから……」

「んーん」


 怪しく微笑み、首を横に振る教主。


「違うわよん」

「じゃ、じゃあ……」

「お・か・ね」

「お金……?」

「そー。教主になれば(つくし)でいっぱいお金が入るでしょ?」 

「………………」


 中年男は二の句が継げなかった。


「最初はね、お坊さんにモーション掛けてたの、近所のデッカいお寺のね。檀家からいっぱいお布施が入るしぃ」

「教主様、旧依怙(ふるえこ)の仏教徒と……」

「そー。でもアタシ、お墓の近くに住むのは嫌だから諦めたのよ」

「しかし……では、何故にこの教えの……?」

「それはね、ある種の復讐も兼ねてよ」

「ふっ、復讐?」

「そう、復讐。アタシが大好きだった親戚のお婆ちゃんが、熱心な眞理教の信者だったの」

「お婆様が道人(どうと)だったのですか……」

「そー。でもね、盡のやりすぎで全財産をここにあげちゃったの」

「しかし、お婆様は相当の功徳を積めた……」

「功徳? ははっ、笑わせないでよ。お婆ちゃん、最期はどうなったと思ってんの?」

「きっと、眞大理王主と臺様の御胸に……」

「……アンタ、本当にカワイイわ」


 教主はせせら笑う。


「お婆ちゃん、全財産を拝み屋に巻き上げられたって親戚中から馬鹿にされてたのよ? 親戚連中も相手にしなくなって、食べるものにも困って、誰にも看取られずに餓死したの。近所のオッサンが偶然、死後数ヶ月経って腐乱したお婆ちゃんを発見したけど……」

「……それでも」

「それでも、何よ? 」

「我々の体は、神様からの借り物ですから……」

「……考えた末に出た言葉がそれなワケ? だったら、言わせて貰うけどね。借り物だったら、お婆ちゃんは腐乱死体で発見されたのよ? レンタルビデオ屋だったら弁償騒ぎになるわ。借り物だったら傷付かないうちに、赤ん坊のうちに自殺しなさいって話よ」

「……すみません」

「何でアンタが謝るのよ? それで、馴れ初めの続きだけど……」

 

 教主は強めた語気を再び和らげた。


「お寺に嫁ぐより、ここに嫁いだ方が金になると思ったの。中学生のときにお婆ちゃんが死んでから、復讐の気持ちは揺らいでないわ」

「……教主様、垢が着いてますな」

「ええ、垢まみれよ。アタシもアンタもね。八垢(はっく)だなんて教義にはあるけど、こんなんを祓い清められる人間っているのかしらね?」


 眞理教の教義には八垢という、心に付着する垢があるとされている。愛垢(あいく、愛着)・貪垢(どんく、貪欲)・憎垢(ぞうく、憎悪)・乱垢(らんく、乱暴)・怠垢(たいく、怠惰)・疑垢(ぎく、疑り)・痴垢(ちく、痴情)・欲垢(よっく、欲を持つことそのもの)の八つだ。これらを祓い清める「清浄拂禊業(しょうじょうふっきつのわざ)」というのもある。


「ところでアンタ、アタシと旦那が知り合った場所って知ってる?」

「……存じ上げません」

「教えてあげる。アタシの店でよ」

「店……教主様はどんなお店を営んでいらっしゃったので?」

「営んではいないわ、アタシはただの従業員で雇われの身だったの」

「では、どのようなお店で……」

「お水」

「お水……!?」

「そー、アタシはホステスだったの」

「そんな……不浄な!」

「嫌ねえ、職業に貴賤はないのよ。アンタも行ったことあるでしょ?」

「…………はい、遠い昔に」


 中年男は小さく肯いた。


「でも、まさか…… 酒のような心を乱し惑わす魔性なものを、脇祖様が自らお飲みになることは……?」

「全然。強いお酒をガンガンだったわよ?」

「そっ、そんな……!」

「追加。それも一度や二度じゃなかったわ。週6で、定休日以外は皆勤賞よ」

「私は教主様と脇祖様がご成婚なさる前から、この教えに帰依する身ですが…… 脇祖殿(わきそでん)でもお務めをさせて頂いたこともありました。しかし、脇祖様……そのようなことが」

「信者の手前だからじゃない? しっかし、気持ち悪い男だったわよ」

「気持ち悪い……」

「うん。酔ったら赤ちゃんみたいに甘えてくるの。アタシがお気に入りだったみたいね、アタシがママよ〜」

「脇祖様……」

「気持ち悪い男でも客だから、テキトーにあしらってたの。でもね、ある日アタシに言い寄ってきたワケ」

「何と脇祖様は仰って……?」

「『君は美しい、僕の女神になってくれ』だって。そのときは随分と大袈裟な表現だと思ったけど、まさか、こういうこととはね」

「脇祖様、何と安直に……」

「酔った勢いもあって言ったのよ。素性も知らない、どこの馬の骨とも分からない女と寝たのよ、アイツ」


 左手を中年男の顔から離し、自らの胸に当てる教主。


「脇祖様……あんまりでございます。教主様、お願いです。もうこれ以上はお止め下さい……」

「嫌よ。ていうか、既成事実を作った脇祖を恨むなら恨みなさいな。一介のホステスから女教祖様へ華麗なる転身、シンデレラストーリーね。ちょっと窮屈だけど」

「脇祖様……何故、このような下賤な毒婦などと……」

「あはは、アンタも言うねぇ!」


 黄ばんだ前歯を見せる教主。


「まあ、信者連中の前でキチガイのフリして金を貰えるんじゃ、こんな旨い商売辞めらんないわよ。言霊もテキトー言やあ良いし」

「……何ですと!? 今、何て仰いました!?」

「言霊は口から出任せって言ったのよ、デタラメよデタラメ」

「……眞大理王主の御言霊もデタラメ、離せッ!」


 中年男は教主の腕を振り払った。


「教主……いや、この女狐! 阿婆擦れ! 公衆便所めが!」

「あはははは!!! 何とでも言いなさいな! 痛くも痒くもないわ!」

「貴様、心が無いのか!? 悩める信者を騙くらかして良心が痛まないのか!?」

「心ぉ? そんなんとっくに捨てちゃったぁ」

「くっ……」


 踵を返す中年男。


「あーあー、そうそう!」


 中年男の背中に教主は言葉を投げた。


「とっておきの事実を教えてあげようかぁ?」

「黙れ!」

「嫌だねぇ、言うよ? ズバリ! もう、赤ちゃん出来ませーん!」

「……なっ、何だと!?」


 振り返る中年男。その肩は驚愕で戦慄いていた。


「やることはちゃんとやってんのよ? でも、出来ないのよー」

「この石女めが……」

「違う、アタシの所為じゃないわよ。脇祖さんが種無しなのよ。ここの関連の病院で診て貰ったから間違いないわ」

「わ、脇祖様が種無し……」


 肩が力なく落ちる中年男。


「だから、山口家も終わりねー」

「そ、そんな……」


 中年男は再び、教主に背を向ける。そして、ゆっくりとその場を後にしようとした。


「ちょっと、アンタ!」

「今度は何……?」


 中年男は首だけを振り向かせる。


「このことはくれぐれもも、他言無用よ?」

「このこととは……?」

「すっとぼけちゃってぇ。ここでアタシが話したこと全部よ」

「……出来ることなら忘れたいな。これは幹部会議に諮るべきことだ」

「言っても、誰もアンタのことを信じやしないわよ。それに……」


 教主は口の端を上げる。


「仮に幹部らが信じたところで、眞理教は終わるわよ? 終わったら最後よ。アンタもアタシもここしか居場所はないんだから」

「では何故、俺にそんなことを言った?」

「言ったでしょ? アタシ、カワイイのを見ると虐めたくなるって」

「……ふん」


 教主を鼻で笑うと、中年男は態と大きな足音を立ててその場を後にした。


「あれ、行っちゃうの? ねえ、化粧落とし持ってきて頂戴よ。肌が荒れちゃうわー」


 鏡を覗き込みながら、教主は既に退いた中年男に向けて言う。


「……あはははは!!! あーはっはっはっはっ!!! ああ、可笑しい!」


 教主の下品な笑い声が降主殿に響き渡った。

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