衆生一列
ジパング西部の地方都市・眞理市。西部の大都市・難波市からだいぶ離れ、眞理市を有する県の県庁所在地・南都市からも離れた辺鄙な場所である。
主要都市から離れ、その上に周囲は山々に囲まれている。そんな不便な地に位置する眞理市は、ジパング国内でも特殊でアンタッチャブルな都市として知られている。
眞理市は「眞理教」という、侍政権末期に立教した国内最古の新宗教の聖地なのだ。市内には教団本部事務所や教団が運営する病院、小中学校、高等学校、大学などの関連施設が立ち並ぶ。真っ白な御衣を纏った眞理教信者が市内を平然と歩くという、他都市とは明らかに違った様相をしている。住民の9割は眞理教信者で構成された風変わりな都市だ。眞理市は国内初で唯一の、自教団の名を冠した宗教都市でもある。
その眞理市の中央部に位置する、眞理教の聖地の深部である公称「降主殿」。そこは眞理教の開祖・山口ミチという農婦の体に眞大理王主と名乗るの神が降りた場所とされる。
そもそも、眞理教というのは眞大理王主の臺になった山口ミチが様々な奇蹟を起こしたことから始まる。臺というのは、言うならば「神様を降ろす社」つまりは「神様の器」というのがニュアンスとしては近い。ミチは眞大理王主と交信するシャーマンになったのだ。
教団発足当初からの古参信者の伝承には「死んだ牛馬を蘇らせた」「空の米櫃に溢れんばかりの白米を現した」「高齢で細腕の臺様が大男と腕相撲をして勝った」「年老いて病床に臥せる男を、翌朝には野良仕事をしても草臥れないほど屈強な男にした」などと、ミチが起こした奇蹟は数知れず。
更に、この眞理教の特徴として眞大理王主の神通力の「暖簾分け」がある。ミチほどの奇蹟は起こせないもの、一般人でも眞大理王主の威神力を用いて病を平癒できるという。この暖簾分けシステムを「お齎し(おもたらし)」といい、お齎しされた威神力による病気平癒の業を「お賜わせ(おたまわせ)」と、教団では呼んでいる。
そして、眞理教は侍政権末期から新文化黎明期の混乱にかけて、新政府の弾圧を巧みにかわしながら今日までに至った。世界戦乱の最中、国家宗教の派閥の一つになった歴史も持ち、現在もジパング政府高官や与野党政治家、大手企業の経営者や幹部、芸能人や文化人など著名人の信者も多い。
降主殿の広場。真っ白な玉砂利が敷き詰められて神々しく、厳かな雰囲気の場所。午前六時、陽が昇ったばかりでまだ空気はひんやりと冷たい。季節が季節ならば、息も白くなるだろう。そんな降主殿の広場に、白い玉砂利に映えるような黒衣の集団が整列していた。各々、スーツ姿や学生服を身に纏い、老若男女の黒装束がそこにはあった。
広場の広さは大体、高校のサッカーコートより狭いくらいだろう。そんな場所に大凡、500人以上が集合している。寒さで手を擦る老婆、チラチラと時計に目を遣る中年男性、待ちくたびれて愚図る背中の赤ん坊をあやす女性、七五三の衣装で澄まし顔の男児…… 等々、幅広い人種の顔ぶれが見受けられる。そして、その場に会した衆は皆、降主殿の門扉に視線を向けていた。
「……教主様がお出でます! 衆生等、合掌にて尊厳を拝すべし!」
中世ジパングの貴族の衣装である「束帯」を着た男が拡声器で、集団に呼び掛ける。男の声に反応し、全員が一斉に両手を合わせた。
「鼓を打てい! 鐘を鳴らせ! 笙を吹けい! 伎樂を成せ!」
束帯の男が、降主殿の廊下にいる演奏隊に号令する。号令とともに太鼓の低い音が規則的に響きだし、甲高い鐘の音がし、愁いを帯びた笙の音が調和した。厳かな広場を、ジパング伝統音楽の旋律が包み込む。
「タヂカラども! 戸を開けい!」
続いて、束帯の男が門扉の側に立つ2人の男に命令する。2人の男は上半身が裸だった。
「「御意!」」
声を合わせ、2人の男は門扉の取っ手を掴み、力を込めた。重厚な門扉が観音開きで開いていく。
「教主様のご顯身! 皆の者、言霊を口にせよ!」
束帯の命令が集団に向けられる。
「「「テンザイウテナノミコユキサマノゴケンシンバワレラメニスナリネガワクバワレラニサチヲタマエトモウスコトノヨシヲカシコミカシコミモウマオス……」」」
命令が飛ぶや否や、集団は開かれた扉に目を釘付け、一斉に言葉を唱えた。言霊という言葉、各々がバラバラなスピードで唱えるため、何と唱えているかは聞き取れない。早口な呪文や念仏のように聞こえるが、帰依の対象「眞大理王主」及び教祖「教主様」を讃えるような内容を恐らくは言っているのであろう。
そして、演奏隊の音楽と集団の言霊に乗せて、教主様と思しき女性が開かれた扉から姿を現した。教主はジパングの貴神である「天照大神」を模した、赤を基調とする豪奢な着物と金の装飾品を纏っている。しゃなりしゃなりと、教主は奥ゆかしく集団の方へと歩み寄った。
「言霊、止めい! 伎樂、止めい! 教主様からの御言霊を賜わん!」
束帯の言葉で集団は言霊を唱えるのを、演奏隊は演奏を止めた。
「……皆の者、ご機嫌よう」
漸く、口を開く教主。白粉で真っ白な顔に、真っ赤な口紅。大袈裟に引いたアイラインで大きく見える双眸。教主の顔は一般人の化粧とは明らかに一線を画し、怪しくも神々しさを感じさせた。
「暁から御苦労であった。して、天に在す眞大理王主が言葉を汝等に授けようぞ」
そう言い、教主は手にした鈴付きの幣束を天に向け、お祓いのように集団に振った。
「……極微實相顯現斯界、高天原ニ在ス眞大理王主」
教主は呪文のようなものを唱えながら、激しく縦に幣束を振りはじめた。激しさとは裏腹に、鈴がしゃんしゃんと可愛らしく鳴る。
「……臺ガ御子諭器ガ尊ニ御言霊ヲ賜ワント申ス事ノ旨ヲ畏ミ畏ミ言ス……ぁああああああああああああああああ!!!!!」
すると突然、教主は顔を歪めて奇声を発した。幣束を投げ捨て、その場に倒れ込む。
「「「……教主様!?」」」
倒れ込んだ教主に対し、集団から心配の声が飛ぶ。しかし、束帯の男は眉一つ動かさない。
「……皆の者」
すると、懊悩する集団を余所に、教主はむくりと起き上がった。
「能く聴くが善い…… 妾は眞大理王主から言霊を託された」
「「「………………」」」
固唾を飲む集団。
「……主は仰せになった、兇星が視えたと。此の世に未曽有なる惨事が降りかかる……と」
投げ捨てた幣束を手にする教主。
「具には判らぬが、多くの人間が死に、多くの人間が害せられる、と…… 此の惨事は遠き日に起こらずとも…… 処は……」
教主はきつく目を閉じる。
「主は妾に像を視せ給うた…… 何じゃろう…… 多くの人間が往来する処じゃ……」
教主は両目を手で覆った。
「片鱗のみなれど、甚だ怖ろしき事じゃ……じゃが汝等、案ずる事得ること勿れ…… 必ずや眞大理王主並びに臺様が汝等を守護せん。當に道を行じ、邁進すべし……」
そう言うと、教主は踵を返してよろめきながら降主殿に入った。
「……これにて賜言會は開きとす! 衆生等、報恩感謝!」
束帯の男が拡声器で集団に儀式の終了を告げる。
「「「有り難き倖せ!!!」」」
集団は合掌し、降主殿に向かって一礼した。
「……尚、賜言會への盡は下の社務所にて受く! 努々、忘れるべからず!」
ざわめきだした広場に、束帯の声が響き渡る。教主が潜った後、降主殿の扉は再び閉じられた。