ミッドウェー海戦 その1
初めての小説です。続けられるか分りませんが、出来たら終戦まで書きたいです。根性と根気がないので無理かも?
昭和16年12月ミッドウェー
日本海軍が初戦で、米艦隊を撃滅すべく選んだ戦場が、ミッドウェーであった。ハワイから近いが故に、白人が有色人種を侮るが故に、必ず出てくると踏んでの戦場であった。
当初はハワイ真珠湾の敵根拠地を奇襲し一挙に主力艦隊を撃滅すべしとの意見もあったが、底の浅い真珠湾では戦艦を沈めても引き上げられて修理されてしまうため。確実に沈められる外洋での決戦に変更された。
予め、ミッドウェーの東側に潜水艦の散開線を張り、ミッドウェーの飛行場を戦艦による夜間砲撃で潰したうえでミッドウェーの近海に機動部隊を配置し、戦艦群で島を取り囲み、輸送艦は上陸作戦の構えをみせる。
空母がいないと思わせるため、赤城、加賀の電信員は内地に置き、翔鶴、瑞鶴、飛龍、蒼龍の電信員は台湾に出張させてわざわざ通信を行わせた。電信員には打鍵にくせが有り、それによって個艦を特定できる為、敵の通信傍受員に居場所を勘違いさせるためである。
さらに前日におこなう、フィリピン攻撃に空母がいると思わせるため長距離戦闘機の護衛をつける。
台湾から発進する零式艦上戦闘機84機を伴った一式陸上攻撃機108機が長躯フィリピンを攻撃することで、米軍に戦闘機が空母から発進したと思わせる。戦闘機の航続距離では台湾・フイリピン間を往復できるとは思えないだろうからだ。後に米軍は機数から2~4隻の空母からやって来たものと判断した。それほど零式艦上戦闘機、通称「零戦」の航続距離は当時の常識では考えられない程のものであった。こうして敵は空母がフィリピン方面にあって、ミッドウェーにはいないと考えるに違いない。そして必ずミッドウェーに救援を送るに違いないと。出てこなければミッドウェーを占領するまでである。
この作戦に派遣される艦隊は以下のとおり。
第一機動部隊
空母「赤城」「加賀」「飛龍」「蒼龍」「翔鶴」「瑞鶴」
戦艦「比叡」「金剛」
航空巡洋艦「利根」「筑摩」
軽巡「長良」駆逐艦12隻
第二機動部隊
空母「瑞鳳」「千歳」「千代田」
戦艦「霧島」「榛名」
航空巡洋艦「最上」「三隈」
軽巡「阿武隈」 駆逐艦8隻
砲撃部隊
戦艦「山城」「扶桑」「伊勢」「日向」
軽巡「川内」駆逐艦8隻
特務部隊
甲標的「瑞穂」「日進」
軽巡「北上」「大井」 駆逐艦「島風」
先遣部隊
潜水艦17隻
この他に攻略部隊、補給部隊等がいる。
12月8日対米宣戦布告がなされ、その日の内にフィリピン攻撃等が行われた。そしてミッドウェー作戦が始まった。
3隻の巡洋艦と5隻の駆逐艦を率いた米空母レキシントンはハワイからの緊急連絡により、日米開戦を知らされた。同時にミッドウェー島周辺を警戒せよとの命令を受けた。
ミッドウェーにはカタリナ飛行艇の哨戒部隊しかいないため、レキシントンはミッドウェー島に航空機を輸送の途中であった。ミッドウェー島からおよそ200海里に近づき、艦載機をミッドウェーに飛ばそうとしていた。
潜水艦「伊70」はミッドウェー東方に敷かれた散開線に艦を配置するとそこで警戒にあたっていた。そこへ現れたのが空母レキシントンであった。空母は艦載機を発進させようとして直進していた。この絶好の機会に「伊70」の艦長は艦首の魚雷4本を発射すると反転して、艦尾の魚雷2本を放ち直ちに安全深度まで潜航した。
レキシントンに最初に向かった魚雷4本の内2本が左舷の機械室付近に命中、しかも同一箇所にたて続けに命中した。一発目があけた穴に2発目が飛び込み艦の内側に食い込んで爆発した為、被害を大きくした。特に大穴が開いてしまったため海水がそこから大挙して浸入、機械室を水浸しにした。しかも複数の排水ポンプが電源系統のショートや破壊で、海水を排水できず艦はたちまち左舷に傾きだした。レキシントン艦長は転覆を避ける為、直ちに右舷側に注水して艦の水平を保ったが、艦の喫水が深くなってしまった。
一方艦尾から放たれた魚雷はレキシントンがつんのめった様にスピードを落とした為、艦首の先を通り過ぎ、右舷側にいた駆逐艦に命中してこれを轟沈させた。
護衛の駆逐艦はあわてて、そこら中に爆雷を投下したが、「伊70」を捕らえる事ができず取り逃がしてしまった。
レキシントンは浸水が一向に止まらず、機関も停止してしまった。しかも爆発の衝撃で航空燃料槽から気化したガソリンが漏れ出し危険な状態となってしまった為、総員退艦の後、駆逐艦の魚雷で処分された。残った艦隊は、沈没艦の乗員救助に駆逐艦3隻を残してミッドウェーにむかった。
その頃ミッドウェーの哨戒機はミッドウェーに向かう戦艦4隻からなる日本艦隊を発見して大騒ぎになっていた。すぐにハワイの太平洋艦隊司令部に報告し、増援を要請した。ハワイでは、この日本土より来航したB-17爆撃機12機をただちにミッドウェーに向かわせると共に、空母を失った艦隊をハワイに戻さずそのままミッドウェーに向かわせた。太平洋艦隊司令長官のキンメル大将は、非常呼集により真珠湾の在泊艦船に出航準備を命じ、自ら戦艦群を率いてミッドウェーに向かう腹積もりであった。また、ウェーキ島に対する航空機輸送から帰還しつつある空母エンタープライズの部隊に戦艦部隊との合同を命じた。
ミッドウェーでは、哨戒中のカタリナ飛行艇11機を呼び戻し、爆装させたうえで発見した砲撃部隊攻撃に向かわせたが、対空砲火で4機、直援機に6機も撃墜されたうえに、爆弾の命中を得ることができなかった。ハワイから来たB-17爆撃機も、乗員の休養や補給と整備の為、結局その日の内に出撃できずに終わった。
日本の砲撃部隊の戦艦4隻はカタリナ飛行艇が居なくなると直ちに増速してミッドウェー島の飛行場を夜間砲撃すべく進撃を開始した。
戦艦「扶桑」「山城」「伊勢」「日向」の4隻は当初、36センチ砲12門を搭載する低速の戦艦として計画されていたが、金剛型戦艦との速力の違い、言い換えると連携が難しい為、結局36センチ砲8門の金剛型より若干装甲を厚くし速度は同等の改金剛型として誕生した。艦名は命名基準が変わったため、それまでの山名から旧国名にかわった。金剛型と同じく昭和の大改装を経ていずれも速力30ノットの高速戦艦として生まれ変わった。
レキシントンの護衛をしていた巡洋艦3隻と駆逐艦1隻はミッドウェーに着くと直ちに島の周りの警戒にあたった。その日の夜は雲が多かったが、ミッドウェー島のみ月が照らしていた。米艦隊はちょうど月明かりの下を航行していたため雲の下を接近して来る日本艦隊に気づかなかった。逆に日本艦隊は、月に照らされた米艦隊を容易に発見し、すぐに戦闘態勢に移行し、水雷戦隊は直ちに酸素魚雷を一斉に放った。
日本艦隊に気づかず、また航跡を残さぬ酸素魚雷ゆえ、魚雷の接近にも気づかず単縦陣で直進していた米艦隊は船体を揺るがす突然の爆発に大混乱に陥った。
巡洋艦「シカゴ」に魚雷2本、「ポートランド」に魚雷1本、「アストリア」には3本、駆逐艦には1本が命中した。重巡「アストリア」はたちまち転覆して沈没してしまい、「シカゴ」は航行不能になった所を戦艦「山城」の砲撃を受け轟沈した。「ポートランド」は戦艦「山城」の砲撃を目標に反撃しようとしたが奇襲に混乱して、反撃が遅れたところを戦艦「扶桑」の砲撃を受けてろくに反撃できぬうちに打ちのめされて艦尾から沈んでしまった。駆逐艦は命中した魚雷が船首を切断したため、速度を落としたが、日本駆逐艦の集中砲火を受けて沈んでしまった。
その夜ミッドウェー島は戦艦4隻の砲撃を受けた。米本土からハワイヘ長距離飛行し、その日の内にミッドウェーに派遣されたB-17爆撃機の群れは、何の活躍もせぬうちに爆砕された。
ミッドウェー島は日本艦隊による包囲を受けていた。飛行場を爆砕したことで第二機動部隊はミッドウェー島から視認できぬ距離で砲撃部隊を支援するためにその後方に置き、第一機動部隊は、ミッドウェーの北方にあって米艦隊を待ち構えていた。
真珠湾からミッドウェーまでは2000km、18ノットで2日半ほどかかる。12月9日に出航した艦隊がミッドウェーに到着するのは11日以降であろう。このため日本艦隊はミッドウェーを包囲しつつ交代で補給を受けていた。その間、敵潜水艦の襲撃をさける為、日中は上空を航空機での対潜哨戒を厳にし、夜間は島を一時的に離れていた。
ミッドウェー島からの報告によると日本艦隊上空には常時水上機が数機、対潜哨戒を行い、艦上戦闘機が3機ほど直援している。空母は視認できないが最低でも1隻居る模様。視認できる戦力は戦艦4隻、巡洋艦1隻、駆逐艦8隻である。
キンメル大将は、この報告を受けミッドウェー救援が成功すると確信した。すでにフィリピンと日本本土に正規空母が居て、軽空母の1隻がダバオを空襲していることが判明している。したがって、敵空母は軽空母1、2隻いると思われるが空母エンタープライズ1隻でも充分に対抗できる。戦艦は7隻つれていくので負ける心配はない。
真珠湾を出航したアメリカ艦隊の戦力は以下の通り。
第1戦艦戦隊
戦艦「アリゾナ」「ネヴァダ」
第2戦艦戦隊
戦艦「テネシー」「オクラホマ」「カリフォルニア」
第4戦艦
戦艦「ウェストヴァージニア」「メリーランド」
第5巡洋艦戦隊
重巡「サンフランシスコ」「ニューオリンズ」
第9巡洋艦戦隊
軽巡「セントルイス」「ヘレナ」「フェニックス」「ホノルル」
第1駆逐艦戦隊
軽巡「ローリー」 駆逐艦18隻
そして合流した第8任務部隊、空母「エンタープライズ」重巡「チェスター」「ノーザンプトン」「ソルトレークシティ」および駆逐艦6隻である。米艦隊はミッドウェーに日本艦隊をもとめて進撃を開始した。
12月11日になり、ミッドウェーには日本軍の攻略部隊が到着した。攻略部隊といっても上陸作戦用に大発を2隻搭載した哨戒艇が3隻、兵力としてはわずかに海軍陸戦隊2個中隊620名ばかり。大発1隻には完全武装の兵70名が乗ることできるが6隻でも420名しか一度に運べない。たった6隻では敵に狙い撃ちされてしまう。このため入念な艦砲射撃と爆撃をおこなってから夜間にこっそり上陸を行うこととなった。だが、上陸作戦を行う前に敵艦隊がやって来た。
最初にやって来たのは、空母「エンタープライズ」の艦爆36機、雷撃機14機、戦闘機10機だった。ミッドウェー島からは、猛烈な戦艦の艦砲射撃に守備隊の士気は崩壊寸前であり、一刻も早く戦艦を排除出来なければ降伏も止む終えないと報告があったためだ。このため、索敵で敵空母を探している余裕は無いと、いきなり艦隊直援機を除いた全力攻撃をかけて来た。事前に敵は軽空母1隻程度とのハワイからの情報もあり、かりに反撃があっても防ぎきれると踏んだ為だ。
全力攻撃といっても一度にこれだけの機数が発艦できるわけでは無い。最初に重い魚雷を抱いて足の遅い雷撃機と、その護衛に戦闘機を発進させ、その後で艦爆を発進させている。同時攻撃が理想だが、攻撃隊は合同できずにいた。最初に現れたのは雷撃機と戦闘機の一群だった。
日本は水上機母艦や航空巡洋艦の水上偵察機が索敵を実施していたが、「日進」の索敵機が、索敵途上でミッドウェーに向かう攻撃隊をいち早く発見し通報した為、軽空母3隻から保有する全ての戦闘機27機が迎撃に上げることができた。「瑞鳳」の戦闘機隊が、米戦闘機とわたりあっている間に「千歳」の戦闘機隊と「瑞穂」「日進」の水上観測機4機が雷撃機に向かい雷撃機14機をすべて撃墜してしまった。
36機の爆撃機は9機づつの4隊に分かれて3隊は戦艦に、1隊は近くに居るであろう空母の索敵攻撃に向かった。空母に向かった9機は、千代田の戦闘機隊に見つかり後下方からの奇襲攻撃を受けて、たちまち6機が撃墜され、奇襲をまぬがれた3機も追撃をうけて更に2機が撃墜された。爆弾をすてて生き残った
1機だけが退避中に、空母「瑞鳳」を遠くに発見し、「空母1見ゆ」と報告しつつ逃走に成功した。
一方、残りの3隊の爆撃機は、雷撃機が全滅した5分後に艦隊上空に現れた。すでに味方の戦闘機は逃げるか、落とされるかした後で、雷撃機を追って低空に下りていた日本軍の戦闘機も高度をあげた後であった。日本軍も戦闘機3機落とされていたが、15機が健在で新たに現れた2隊の爆撃機に向かっていった。このため12機の爆撃機が撃墜され、6機が爆弾を捨てて逃走した。結局1隊だけが戦闘機の妨害を受けずに戦艦「山城」に殺到して爆弾を投下した。
戦艦「山城」の艦長は見張り員の「敵機直上」の声をきくと、予め少し取り舵をあてていた舵を一杯にきらせた。少しずつ左に進路をとっていた艦は、これで大きく廻りはじめた。この為、爆弾はほとんど右舷に落ちたたが、投下された爆弾のうち3発が命中し、一発は右舷の高角砲に命中し3基あった高角砲群を破壊、一発はカタパルトに命中して水上機と格納庫に火災を発生させた。残りの一発は3番砲塔の天蓋に命中したがはじかれて右舷の海中で爆発した。山城は中破の損害をうけた。
爆撃を終えた爆撃機は、逃走に移ったが、対空砲火で2機が撃墜され。追いかけてきた戦闘機に2機撃墜されてしまった。
空母エンタープライズでは、戦艦1隻大破の報告を受け大いに士気が上がったが、帰ってきた味方機の数のあまりの少なさに愕然とした。60機送りだして、帰ってきたのは艦爆が12機、戦闘機が4機、雷撃機にいたっては全滅である。帰ってきた飛行機も着艦事故で艦爆3機、戦闘機1機が失われてしまった。
しかし、損害を気にして攻撃を止めればミッドウェーの味方は降伏してしまうかも知れない。このため直ちに残存機による第二次攻撃を行うことになった。幸い敵の空母は一隻、しかも搭載機の殆どが戦闘機と思われ、エンタープライズが攻撃を受けることはない。敵戦闘機から攻撃隊を守るため直援機もすべて攻撃に参加させることになった。こうして残存機の艦爆9機、戦闘機13機の攻撃準備が行われた。
飛行機が足りない米軍は、巡洋艦の水上機を索敵に向かわせ、直援機すら空母に降ろしてしまった為、艦隊の上空を哨戒する飛行機がいなくなってしまった。間の悪いことにそこを潜水艦に狙われた。
日本海軍は空母を戦の主力としている為、空母の威力を知っているし恐れてもいる。このためミッドウェー周辺、敵空母がミッドウェーに飛行機を発艦させえる辺りに、潜水艦の散開線を敷き、待ち伏せていた。
伊18潜水艦は丙型の一隻で艦首に魚雷発射管を8門搭載し攻撃力が大きい。それが8本の魚雷をエンタープライズにむけて放った。
不定期連載ですので、あしからず。不評なら打ち切りかも?