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第九十五話 あの味

 あの味は忘れられん! と、事あるごとに住尾は思い出した。その味は住尾が生涯で初めて口にした絶妙の味だった。彼がその料理を口にしたのは、ゆえあって友人となった稲辺という大学院生の実家である。

 それは、数年前の寒い夜のことだった。

「まあ、上がれよ! 今日は皆、旅行に行ってな。誰もいないんだよ」

「…」

 ああ、そうなんだ…と思いながら、住尾は言われるまま黙って靴を脱いだ。

 稲辺は冷蔵庫から缶ビールを2本出し、1本を住尾に渡した。

「お前、腹減ってないか? 夕飯、まだだろ?」

「ああ、まだだ…」

 住尾は事実をそのとおり話した。

「よし! じゃあ、準備するから食ってけよ。俺も腹空いてるから、すぐ支度したくする」

 稲辺は賑やかに動き出した。そして10分後のテーブルには一応、食事が出来る形が構成された。だがそのとき、住尾は、おやっ? とテーブル上のセッティングに違和感を覚えた。皿や茶碗、箸などは置かれていた。しかし、肝心のおかずは沢庵以外、見当たらない。住尾がいぶかしげに稲辺を見ると、稲辺は鍋を持って奥から現れた。

「お待ちっ! これをあたためてたんだ。さあ食べよう」

 稲辺がテーブル上に置いたのは、明らかにスキ焼の匂いがする汁だけの鍋だった。普通はスキ焼なら卵とかを割った小鉢が置かれ。グツグツと煮えた肉や他の具材を箸でまみながら食べるんじゃないのか…と、住尾は不満はないものの奇妙に思った。

「ああ、これか…。昨日、スキ焼だったんだ。お前一人、留守番させて申し訳ない、とかなんとか言われてさ。ははは…、結局、そう言いながら全部、食べて家族は出かけたよ。まあ、うちの家族はその程度さ。しかし、美味いぜ、これをあったかい御飯にかけて食べると…。まあ、騙されたと思って食べてみな」

 稲辺にペラペラと流暢に話され、住尾は断る訳にもいかず、稲辺と同じ所作でスキ焼の残り汁を熱々の御飯にかけて食べた。ひと口…ふた口…これが絶妙の味だった。住尾は知らないうちに三膳をおかわりして食べていた。

 あの味を求めて試してみたが、材料が違うからなのか、はたまた味付けが違ったからなのか、住尾はいまだに、あの味に巡り合ってはいなかった。

『美味しかったですか?』

 ある夜、夢に、そのスキ焼の汁が登場し、話しかけてきた。 

『美味しかったですか?』

『ええ、とても。もう一度、あなたが食べたい…』

 住尾は思わず夢で語りかけていた。スキ焼の残り汁は、ニンマリと笑った。


                  完

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