第七十話 粘[ねば]る女
沼淵家に嫁いで早や20年、菅子はすっかり中年の粘っこい女になっていた。若いときはこんなじゃなかった…と自分に言い聞かせるのだが、言い聞かせるだけに終始し、気持を元に戻すまでにはいかなくなってしまっていた。いや、なり果てていた、と表現した方がいいだろう。
若い頃の菅子は諦めが早かった。駄目だと分かれば彼女はすぐ見切りをつけ、身を翻した。例えば、自分の買い求めていた品がなかったとすれば、他のモノで代用しよう…と、ピン! と閃いた。ところが、今ではさっぱりその閃きが影を潜め、ネチネチといつまでも粘っこく探しているのである。まるで底なし沼に足を取られ、もがく女のように…。その姿は見るも醜いものだった。
「沼淵の奥さん、そんなこと言われましてもねぇ~。季節が季節ですから、売ろうたって卸には、もう入荷してないんですから!」
八百猫の主人、猫川は渋い顔で言い切った。
「そこをなんとかするのが、あんたでしょうが!」
今の菅子は少々のことでは下がらない。粘っこく猫川に食い下がった。自分でも不思議なほど闘志が燃えているのが不思議なくらいの菅子だった。若いときなら、ああ、そうなの…と、軽く諦めていたのだ。
「まあ、冷凍ものなら…。市場で聞いてみますがね」
菅子が意固地になっている松茸は通常、すでに木枯らしが吹く十二月初頭では入手が困難だった。いつぞや市場へ買い出しに行った際、ふと小耳に挟んだ冷凍モノの宛てが猫川の脳裡を掠めたのである。
「あるんじゃない!」
「ええ、まあ…。あるかどうかは分からないんですがね。とにかく、当たってみましょう。来週にでも出直してもらえませんかね」
猫川にしてみれば、こんな粘っこい鳥餅のような女に粘られたのでは、焼き鳥にされてしまう…くらいの気分なのだ。しかし、菅子にはそんな気持は微塵もなく、ただ感情がそう言わせているだけだった。その場は不承不承、引いて、八百猫を出た菅子だった。
一週間が経ち、菅子が八百猫へ来店すると、他の野菜より一段高い棚に籠入りの松茸が並べられていた。
「お待ちしてましたよ、沼淵の奥さん!」
「あら、あったのね! でも、もういいの。必要なくなったから…」
「ええ~~っ!!」
猫川としては、卸に頼みこんでようやく手に入れた季節外れのひと籠だったのだ。
「そんなこと言わずに、お願いしますよ、奥さん!」
お得意ということもあり、そう無碍にもできない猫川だった。
「だめよ、だめだめ!」
菅子は、またしても粘っこくなった。こうなっては仕方がない。
「もう、いいです…」
猫川は家で食べることにし、引き下がった。高価な大損である。
「半値なら買ってもいいわよ。どう?」
猫川は半分、損を取り戻せる…と単純に思った。
「… 仕方ありません。それでいいです」
「でも、冷凍よねぇ~。この値段の四分の一にしなさいよ!」
菅子は、また粘った。猫川は幾らかでも回収できれば…と、土俵際まで寄られて思った。
「参ったなぁ~、奥さんには…。それ以上は無理ですよ」
「じゃあ、買うわ」
結局、猫川は寄り切られ、あっけなく土俵を割った。菅子の財布には、彼女が最初からそう思っていたのか、買い値の額しか入っていなかった。二人の遣り取りを聞きながら、松茸がフフフ…と、微かに笑って震えた。
完




