第六十七話 あの頃
久しぶりに郷里へ戻った三崎耕司は、春の陽気に誘われ野道を歩いていた。そして、辺りの一変した景色を眺めながら、自然が豊かだったあの頃へと想いを馳せるのだった。懐かしく想い返されるのは、数十年前のあの頃である。当時の三崎は若かった。ただ、あの頃の俺は相当、馬鹿だった…と、今の三崎には思えた。若さ故ということもあったに違いない。ただ、思慮に欠け、短慮で馬鹿だったことは紛れもない事実なのだ。人生も残余を数える年になって、秀でた発想に恵まれるという馬鹿げた現実が今、三崎にはあった。戻れるなら、今の発想のままあの頃へ戻りたい…と思うが、まあそんなSF映画のようなことは不可能だろう。ならば、こうして懐かしみながら、今の俺ならどうした? と巡るくらいが相場か…と寂しく思う三崎だった。
「あの! ちょっとお訊きしますけん!」
野辺で止まっていた三崎に声をかける者がいた。誰だ? と三崎が辺りを見回すと、少し離れた畦道を近づいてくる一人の中年女の姿があった。次第に近づくその女を、どこか見覚えがあるな…と三崎は感じた。
「わい、耕ちゃんと違おるか?」
女は笑顔で、どんどん近づいてくる。よくは分からなかったが、三崎も微笑み返した。
「おいよ! 池島の沙代! 忘れてしもうた?」
三崎の脳裡にあの頃の記憶が甦った。
「ああ、池島の沙代ちゃんか。忘れてんよ。変わってしもうたから、だいかと思おたと」
郷里の言葉が三崎の口からスラスラと出ていた。
「おいも変わったばってん、この辺も変わってしもうたでっしょ?」
「ははは…わいは面影、残っとぉ。でんな、この辺は…」
いつの間にか沙代は三崎の間近に並んでいた。
「やけん、目ば閉じて話すーで!」
沙代が笑って言った。二人が目を閉じると、幼いあの頃の景色が浮かんだ。あの頃と変わらない暖かい風だけが、二人の頬へ優しく流れていた。この風の匂いは二人とも忘れていなかった。
突然、二人の耳にチャイムが聞こえた。廃校になったはずの三崎と沙代が通った小学校のチャイムだった。小学校はずっと以前、取り壊されていた。聞こえるはずのないチャイムだった。
二人は目を閉じたまま、あの頃を想い出していた。
完




