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第六十五話 エスカレート

 今から何年か前、神田神保町に焚口たきぐちという一人のしがない男が住んでいた。この男、何代も続く古書店の店主である。なりたかった本屋でもなかったのだが、気づけば父親と同じように番台へ座り、焚口書店のほこりはらっていた・・という訳である。少し珍しい苗字以外、焚口には別に取り立てるほど目立ったところはなかった。

 ある休店日の朝、焚口が川のほとりを散策していると、一枚の定期入れが歩道に落ちていた。辺りに通行人はいなかった。どうせ、この辺りの大学へ通う学生が落としたんだろう…と、焚口は取り分けて気にも留めずひろい、学生証を手掛かりに直接、届けてやろう…と思った。

「あの、すみません。これが落ちてましたので、底鍋さんに…」

「落し物ですか? 底鍋さん…、ちょっと、お待ちください」

 自席へ下がり、しばらくパソコンをいじっていた女子職員は、すぐ窓口へ戻ってきた。珍しい名字の学生だからか、すぐにヒットしたのだ。

「はい、確かに当学の学生です。渡しておきますので…」

「お願いします…」

 一件が片づいた…と焚口は思った。ところが、話は別の方向へとエスカレートしていくことになった。焚口が立ち去ろうとしたときである。

「あの! 失礼ですが…、お名前だけでもお聞きしたいと思います」

「えっ? ああ、私ですか? 焚口と申しますが、…ただの通りすがりの者とお伝え願えれば、それで結構です」

「そうですか。態々(わざわざ)、ご苦労さまでした」

 三日後、どういうところから住所が分かったのか、落とし主の底鍋が焚口書店へ顔を出したのである。

「あの…私、底鍋です。先だっては、有難うございました」

 買う本を手に番台の焚口の前へ彼女は近づき、お辞儀した。

「ああ、底鍋さんでしたか」

 彼女が手にしていたのは、[炊飯の哲学]というタイトルの、なんとも学問としては不可解な古本だった。

「珍しい分野の本ですね。…400円、頂戴いたします」

 事務的に焚口は話した。

「私の苗字、珍しいと思いませんか? 今、そのルーツの論文を書いてるんです。この本も資料に使うつもりです」

「ははは…そうでしたか。いや、私も珍しいな…とは思ったんですがね。私の苗字も焚口ですから、なんかご縁がありそうですね」

 焚口は笑って言った。だが、話はエスカレートすることになった。彼女は足繁く、焚口書店へ顔を出すようになった。

 三年後、二人の関係はエスカレートし続け、焚口と底鍋は結婚していた。釜口書店の台所で炊飯する底鍋の姿があった。


                  完

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