第六十二話 では…
桃川という腰の重い男がいた。桃川は一度話しだすと自分の意志で話を止めることが出来なかった。要は話にのめり込み、周囲の状況を忘れてしまう性格である。当然、そのまま話し続けたから長居することになり、腰が重くなったという訳である。だから、表向きは別として、どの家でも桃川と話をするのを避けるようになった。出会えば当然、長引くからだ。桃川としては、では…と話を短く済まそうと思うのだが、夢中になると我を忘れ、どうしようもなかった。気づけば二時間以上が過ぎ去っていた・・という塩梅である。
よく晴れた初秋の早朝、ようやく暑気が引き、桃川は気分よく川の堤防を歩いていた。夏の間、忘れていた涼しげな風が川面から流れ、実に気分がいい。
「おい! 桃川さんだぞ…」
「ああ、みたいだな…」
対向して進んできたのは同じ町内に住む矢島と加原だ。二人はチッ! と舌打ちをした。だが、堤防上の一本道である。避ける手立てはなかった。両者の距離は急接近した。そして、すれ違った。二人は笑顔で軽くお辞儀しながら通り過ぎようとした。
「おっ! これは矢島さんと加原さん。…どちらへ?」
立ち止って振り返り、桃川は声をかけた。どこだっていいだろうが! と矢島は思い、加原はギクッ! とした。どちらも声をかけられた以上、無視する訳にはいかないから立ち止った。
「はあ、まあ…。どこ、ということでもないんですが…」
「そうでしたか。では…」
桃川は案に相違して割合あっさりと話を切り、お辞儀して立ち去ろうとした。二人は、やれやれと頭を下げ、踵を返した。ところが、次の瞬間である。
「あっ! ちょっと待って下さい!」
桃川は大声で二人を止めた。
二人は同時にギクッ! 、ビクッ!と驚いて止まった。
「はい! なにか? …」
「あの…今日は土曜でしたよね?」
「いえ、日曜ですよ、確か…」
「ああ、そうでしたか。年をとると、どうもいけません」
桃川は頭を掻いて笑った。
「ははは…、そういうことってありますよね。私もそうなんです、実は」
加原が、うっかり桃川の口車に乗ってしまった。言わないでもいいのに…と、恨めしそうな顔つきで矢島は加原を見た。だが、あとの祭りである。
「矢島さんは、いかがです?」
「ははは…私も時々、ありますよ、そういうの」
仕方なく愛想笑いし、矢島も桃川の口車に乗った。それから二時間、あれやこれやと談義が続き、三人はいつの間にか堤防の草の上へ腰を下ろしていた。
「あっ! もうこんな時間ですか…」
桃川が腕を見て重い腰を上げた。すでに昼前になっていた。矢島と加原はやっと解放される…と喜び勇んで軽く腰を上げた。二人は空腹だった。桃川さんは腹が空かないのかな? というのが二人の共通した疑問だった。朝食抜き、だからである。最初はよかったが、すでに二人は話題も尽き、話し疲れていた。今度こそ! と二人は軽く桃川にお辞儀すると、逃げるように歩き去ろうとした。
「では…」
桃川も歩きだした。だが、すぐ立ち止った。
「あっ! ちょっと待って下さい!」
矢島と加原はギクッ! 、ビクッ! ではなく、ドキッ! として蒼ざめた。
完




