第三十八話 豆まき
今年も節分がやってきた。随分前になるが、私はこんな話を友人から聞かされたことがある。
伊坂家では節分の夜、恒例の豆まきが予定されていた。今年で小学四年生になる長男の聖矢には今一、豆をまくという行為が理解できなかった。食べればポリポリと美味しいのに、なぜそれを大人は投げ捨てるんだろう? という素朴な疑問である。それとなく両親に訊くと、節分とかいう日本の儀式だと言われた。ふ~んと、ひとまずは聞いておいた聖矢だったが、妹の愛奈にしつこく訊かれ、辟易していた。そこはそれ、年上だから、妹の手前、両親に聞いた通りに答えてはおいたのだが、自分自身が納得できないのだから、しっくりとしない気分だった。
伊坂家には今は使われていない土蔵があり、そこには鬼の家族が住んでいた。幸い、土蔵は豆まきの対象から外されていたため、節分の夜には家の外から多くの鬼達が逃げ込んできた。鬼の家族はその鬼達を招き入れたので、土蔵の中はなんとも賑やかだった。もちろん人間の目に鬼達は見えず、話し声も聞こえないのだから、その夜は大宴会の様相を呈していた。世間一般には、節分は鬼達の厄日だと考えられがちだが、この伊坂家では節分が鬼達にとって一年に一度のめでたい祝祭日になっていたのである。
鬼達が飲めや唄えの大賑わいの最中、少し離れた伊坂家の玄関では聖矢が豆をまいていた。ちょうどそのとき、土蔵で酔っぱらっていた鬼の一匹が、うっかりした足下のバケツを蹴飛ばした。と同時に、ガシャン!! という凄まじい音が辺りに鳴り響いた。聖矢が豆をまき終わり玄関の戸を閉めようとしたときで、聖矢は、おやっ? と不思議に思った。聖矢は恐る恐る土蔵へと近づき扉を開けようとした。すると妙なことに、いつもは閉まっているはずの土蔵の鍵が開いていて、聖矢は簡単に中へ入ることができた。中へ入ると、声は聞こえないものの、鬼達が浮かれる様子が聖矢の目に飛び込んできた。一定量以上の酒を飲むと妖気を失なってしまうことを鬼達はつい忘れていたのである。聖矢は驚きと恐怖で、土蔵の前で固まってしまった。バケツを蹴ってしまった鬼が固まっている聖矢に気づいた。鬼はゆっくりと聖矢に近づいた。
「坊っちゃん! 俺達が見えるのかね?」
「は、はい! …まあ」
聖矢は恐ろしさで小さく返した。
「そうかい。そんなぶっそうなものは置いて、まあ、ゆっくりしていきな」
聖矢は鬼が指さす豆入りの枡を下へ置くと、その鬼に従って奥へ入った。土蔵の奥では、鬼達が輪になって、飲めや唄えの大宴会の真っ最中である。
「おお! 新入りですかい!」
手下らしい鬼が訊ねた。
「いや、そうじゃねえ、この家の坊っちゃんだ。おい、甘酒をお出ししろ!」
聖矢は甘酒をふるまわれた。あとから分かったのだが、聖矢に話しかけた鬼は鬼達の総元締めだった。甘酒は不思議なことに本物で、聖矢はすっかりいい気分になった。
「聖矢~! 聖矢~!!」
聖矢の姿が消えたことに気づいたのか、母親の呼ぶ大声がした。
「あっ! 僕、帰らなきゃ…」
「坊っちゃん、これからもよろしくな! 鬼の俺が言うのも、なんだが…」
鬼の総元締めは頭の角を撫でながら照れて笑った。聖矢も釣られて笑い、ゆっくりと立ち上がった。聖矢の顔は甘酒のせいで、すっかり火照っていた。
「これ、忘れもの…」
子鬼の一匹が、置かれた豆入りの枡を聖矢に手渡した。
「あっ、有難う」
聖矢は鬼達にお辞儀すると土蔵をあとにした。
友人に訊かされたのはそんな話だった。今でも節分の日になると、伊坂家は鬼達の飲めや唄えの大宴会で大層、賑わっているという。不思議なことに伊坂家では悪いことが起こらず、幸せごとばかりが続いているそうである。
完




