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第三十六話 間抜けな男

 川戸ほど間抜けた男は恐らく世界に一人もいないだろう。これは天然とかの次元を超越していた。あるときなど、買いものの支払いをし、数十万入りの財布を忘れたのである。まあ、こんなことは誰にもあるのだろうが、この男の場合は尋常ではない忘れようだったのだ。

「お客さま、あのう…お包みした方が?」

「あっ! それはいい。でも、袋にだけは入れといてよ」

「かしこまりました…」

 店員はそう言うと、川戸が指定した指輪入りの小ケースを袋へ入れて手渡した。川戸はその袋を受け取ると、店員に軽く頭を下げ格好よく店を出た。そのとき、分厚い財布が邪魔になり、袋へ放り込んだのである。にわかの入り用でキャシュが必要だったから、財布は分厚い札で膨らんでいた。馴れない厚みに川戸は嫌悪感を感じていたから、渡りに舟の袋だった。そんなことで、買った指輪が入った袋へ財布も放り込み、気分よく出入り口へ向かったのである。いつも通う一流ブランドを取扱う店だからか、店員も川戸にはビップクラスの対応である。

「有難うございました…またのお越しを!」

 定員は平身低頭で歩き去る川戸の後ろ姿に声を投げかけた。川戸は、さも当然とばかりに振り返らず、軽く左手を上げると格好よく店を出た。店を出ると、川戸は手にげた袋が格好悪く思えた。出逢うのは婚約した彼女である。身重の彼女に川戸は結婚を迫られていた。好きな相手だから、まあいいか…と軽く了解した相手だった。その彼女に手渡す指輪なのだ。どうせ手渡すなら格好よく…と、単純に思い、背広の内ポケットへ指輪の小ケースを納めた。そこまではよかった。少し歩いた歩道にゴミ箱が設置されていたのがいけなかった。川戸は財布入りの袋をそのままゴミ箱へ捨てたのである。腕を見れば、約束の時間が近づいていた。間抜けな川戸は鼻歌を口ずさみながら歩を速めたのだった。

 日常くり返される間抜けに、川戸自身もつくづく嫌になっていた。川戸は自分で何もしないでおこう…と、ついに決断し、で、そうした。もちろんその前に自分専属の有能な執事を一人雇った。金には不自由しない資産家の川戸だから、そんなことは訳なかった。結婚もすることだし、これ以上トラブルを起こすのは、彼女の手前、はばかられた。その結婚式の日、川戸はまた間抜けをした。式場を間違え、花嫁や自分の関係者達を待ち続けたのである。この日、いつもは執事が付き従って出る車だったが、今日は格好よく式場へ…と、川戸は別の高級外車で乗り付けたのである。乗り付けたのはいいが、そこは間抜けにも場違いの式場だった。そこは、川戸の記憶にあった以前結婚し、すぐ離婚した相手との結婚式場だった。離婚原因が川戸の間抜けだったことは言うまでもない。だが、そんな間抜けな川戸が世界を救うことになろうとは…。いや、間抜けな川戸だからこそ、世界を救えたのかも知れなかったのだが…。

 世界はある出来事を境に恐慌へと突入していた。恐慌が起こる直前、川戸はあるヘッジファンドを買収していた。資産家の川戸なら簡単なことで、軽く小指を動かして執事に命じたのである。そして、川戸は世界的な額の利潤を得た。国家レベルをはるかに上回る地球規模の利潤であった。世界恐慌の発端はその直後に発生した。以後、世界各国はあえいでいった。

「…気の毒なことだな」

「援助、いかがいたしましょうか?」

 執事が川戸にうかがいを立てた。有能な執事のお蔭で、川戸は恐慌をすぐに止められる資金を動かすことが可能な世界的資産家になっていた。川戸は執事に右手の親指を一本、立て、ジェスチャーをした。間抜けにも川戸はガウンを羽織り、優雅な椅子へ後ろ向きで座っていた。川戸は後ろ向きだから…と、左手を立てたつもりだった。

「かしこまりました。左様に…」

 執事はすぐ、退席した。左手を立てたときはNOで、右手の場合はOKという暗黙の決めごとが川戸と執事の間には出来ていたのだった。

 次の日を境に世界は恐慌を脱した。川戸は不思議でならなかった。

「私の力は必要なかったな…」

「いえ、川戸さまのお蔭でございます」

「えっ?!」

 川戸は優雅な椅子から立ち上がり、後ろを振り返った。


                   完

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