第三十三話 どこか違う?
塩崎は眼科の待合室で、じっと座っていた。椅子とかの周囲の配置が変わり、その変化に戸惑ったからである。というのも、この前、来診したとき、椅子は確かに右側を向いて並んでいたはずだった。それが、今朝の状況は真逆の左側なのだ。しかも、受付があった位置には受付がなかった。これでは仕方がない。係の人が来るまで待つしかないか…と、塩崎をすっかり諦め気分にさせたのである。そして座ったのだが、それがどうしたことか係員どころか患者すら来ないのである。妙だな…と塩崎は首を傾げながら、じっと座っていた。
小一時間が過ぎ去ったが、やはり誰一人として来ない。今日は臨時の休診日か? と一瞬、塩崎は思った。そうだとしても入口が開いていたのは妙だ…と塩崎はまた思った。よく考えれば、予約したのだから今朝来たのは間違いがないはずである。予約票も、現に今朝の早朝時間が印字されていた。
二時間ばかりが過ぎた。だがやはり、人っ子ひとり来ない。カスミ目で通っていたのだが、そのせいでもないようだ。どこか違う? 塩崎は次第に気味悪くなっていった。それでもまあ…と塩崎は座り続けた。
やがて昼前になった。辛抱強い塩崎だが、ここまで待たされては、さすがに堪忍袋の緒が切れた。別の日にするか…と、ついに塩崎は重い腰を上げた。
一歩、外へ出ると、人の気配は、いや、そればかりか生きものの気配はまったく消え、道路と建物が静寂の中に存在するだけである。これも妙だ…と塩崎は思った。昼前なら、いつもはかなりの喧騒なのだが…と、塩崎は歩きながら辺りを見回し、また首を傾げた。
十数分歩き塩崎が家へ戻ったとき、妻はいなかった。買物でも行っているのだろうとリビングを抜け自分の部屋へ戻った塩崎は唖然とした。塩崎の机の上には塩崎の遺影が立てられており、花瓶には秋桜が飾られていた。塩崎は死んでいたのである。ではいつ? そして、俺は? と塩崎は巡った。そういえば、いつも感じる身体の感触が失せていた。塩崎は前回、眼科を来診する途中、道路で車に撥ねられたのだった。緊急外来で搬送された塩崎は、昏睡状態でベッドに横たわっていた。撥ねられた弾みで、塩崎の身体と霊魂は分離し、霊魂が眼科へ向かったのである。この世とあの世は時差があった。塩崎は次回、予約するはずだった十日ほど先の眼科へ入ったのだ。家へ戻ったとき、塩崎が手に持っていた予約票は、いつの間にか消え失せていた。
完




