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第三話    抜け穴

 「今帰ったよ…」と、私は云いました。

 しかし、誰がいる訳でもありません。闇の空間が広がるばかりの私の部屋。というのも、あの猛暑の夏も去り、季節は木枯らしが吹きすさぶ夕暮れ時でしたし、日は既に夏の同時刻より、その傾きを早くしていました。

 私は、とり敢えず靴を脱ぎ、電灯のスイッチをまさぐりました。やはり、部屋の立体は存在するものの、家族は消えていたのです。消えていた、という表現は、皆さんに不可解な印象を与えるでしょう。そこで、今に至るまでの経緯を述べることにします。

 私には、妻、そして二人の子供がいました。皆さんは信じないでしょうが、家族は殺害された訳でもなく、事故で死んだ訳でもありません。ただ、…消えたのです。云っておきますが、失踪したのでは増してなく、忽然と消えたのです。

 こういうふうに云うと、皆さんは信じられないでしょうし、何故だろうという興味と疑問をもたれることでしょう。そこで次に、その成り行きを語りたいと存じます。

 私の家は、通勤に便利な、と或る山村にあり、茅葺屋根の古い家屋であったものを、今風に建て替え新築したのですが、そのことが起こったのも、そう…忘れもしない、あの日でした。

 帰宅した私を迎えたのは、妻と二人の子供でした。

「パパ、お帰りなさい」

 この妻のひと言で、仕事の憂鬱感も薄れ、疲れもとれました。まあ、こう書きますと、いいマイホーム・パパをやっていたことになりますが…。

 その日もいつもの日課のように着替えをして風呂に入り、その後、ビールを飲みつつ食事となりました。二人の子供は戯れながら食事をしています。まだ四才と二才のやんちゃ盛りです。団欒の会話の中、ふと妻が思い出したように云いました。

「パパ、私もかなり辛いから、この前云った簡易水道のこと、真剣に考えてね」

「ああ…」とだけ、新聞に目を泳がせながら暈して、何げなく私は答えました。

 そう、私の家には茅葺屋根の頃から井戸があり、寒露な味を捨てがたいものがあって、今も昔ながらに飲食用に供されていたのです。江戸時代にあった長屋の共同風ではないものの、やはり滑車を利用して汲み上げる仕組みでした。洋風のたたずまいの中では、その場所だけが、やはり違和感がある存在でした。

「本当に危ないのよ。今日も二人で覗き込んでるから、『ここで遊んじゃ駄目よっ!』って、叱ったんだけど…」

 私はまた、「ああ…」とだけ相も変わらず暈して、聴いているような、いないような曖昧な返事を返しました。妻は続けました。

「それにね、可笑しいこと云うのよ」

「ふ~ん…」と、私は濁しました。

「地球は思ったより雲が多いんだね、とか…」

 その時、「だって、見えたんだもん…」と、四才の長男が呟いたのです。

 その呟きで、ふと我に帰った私は、新聞を隣の椅子に置き、やっと会話に加わろうとしました。

「家の屋根か何かが見えたんだろ?」と、長男をうかがうように見ました。

「だって、地球だったよ…」

 私は笑って聞き流しました。

 実は、このときの会話が、全てを狂わせる前兆だったのです。

 この後に起こった事柄については改めて述べますが、話の都合上、もう少し皆さんに解説しますと、実は井戸が太陽であり、子供がその下に見た地球は、天国と地上を結ぶ空間次元の扉だったのです。そして、その見えた地球の中には、違う次元に生きる別の自分が存在し、この自分とは見えない空間で繋がっていたのです。ということは、下の地球から見た太陽は、実は我が家の井戸の穴だったことになり、現時点では私も理解できますが、その時、通常の理性的判断では、非科学、非論理な馬鹿な話の何物でもないと感じました。

 その数日後、いつものように仕事を終えて帰った私は、家のドアを開け、茫然と立ち尽くす妻の姿を見たのです。

「おいっ! いったい、どうしたんだ?」

 やや興奮気味に私は靴を脱ぎ、慌てて妻のところへ駆け寄りました。

 妻はしばらく、放心状態で立っているばかりでした。そして数十分が経過していきました。

 やがて、妻が解き放たれたように、突然、口走りだしました。

「消えちゃった! 消えちゃったのよ、貴方!」と、取り乱した声でした。

「いったい、何が消えたんだ?」

 冷静さを装って、私は静かに云いました。

「二人が…、井戸の中へ…」

「なにっ! 井戸へ落ちたのか? 病院だ、いや、すぐに救急に電話だ!」

 私の声も、上擦っていたようです。

「違う、違うのよ。フワッと消えたのよ、覗き込んだまま…」

「そんな馬鹿な話があるか! お前どうかしてるぞ、SFじゃ、あるまいし…」

 畳み掛けるように云いながら、私は井戸の方へ向かいました。

 井戸は不気味な静けさを映すだけで、覗き込んだ彼方には、闇の空間と鏡のような水面が存在するだけでした。しかしこの時点で、動転していた私は、水面に映る地球を見逃していたのです。というより、その光を電灯の輝きだと錯覚していたのでした。

 しばらくしますと、私も冷静さを少し取り戻しましたので、日常の動作を無意識にしておりました。しかし、その動きはどこか、ぎこちなく、心は空虚で真っ白に凍結しておりました。その凍結の延長線には、今後の対応をどうしたものかと考える心もあったようです。

 妻も、自分の意識を落ち着かそうとしているようでした。いつもなら、テーブルの椅子に座って飲むお茶を、立った状態で、ぎこちなく飲んでいました。二人の会話は閉ざされ、互いに無言で対応を模索しておりました。

 その後、私は妻に事に至った詳細を訊ねました。その内容からは、警察へ届けるといった手段もはばかられ、ましてや、救急を呼ぶというのも奇妙だという事実に、只々(ただただ)、空白の時間を費やさざるを得ませんでした。

 これは後になって少しづつ思い知らされたことなのですが、私達が知識として持つ宇宙は、全てが科学の名のもとに作り出された夢だったのです。スペースシャトル、人工衛星、宇宙ステーション等も、全てがこの井戸から少し昇ったところで、あたかも孫悟空が観世音菩薩の手のひらで飛び回っていたのと同じなのです。星雲、大星雲さえも、私の井戸にある石垣の石ひとつひとつ、だったとは、誰が想像できるでしょうか。

 さて、話を戻すことにしましょう。

 常識では理解できない事態に直面して、二人は思いつく解決法を模索していました。

 小一時間ほどが経過していたでしょうか。どちらからともなくテーブルを立ち、気づけば井戸の前に二人はいました。

「パパ、煙が流れているわ…」と、妻が口にしました。そのとき私は、無造作に煙草に火をつけていたのに気づきました。

 妻にそう云われて、視線を手の煙草に移すと、確かに紫煙の流れは井戸の方へと吸い込まれていました。やはり、井戸の中へ落ちたのか…と、私は思いました。しかし、これも後になって分かったことなのですが、井戸へ吸い込まれて落ちたのではなく、井戸の中の次元へ次元を移動した、つまりるところ、消えたというのが真実だったのです。

 それからの日々は、私達二人にとって辛いものになりましたが、或るきっかけが、解決への糸口となったのです。

「おいっ! お前、この頃どうかしているぞ」

 同僚の不意の声に、ギクッと我に帰った私は、うつろなまな差しを彼に向けました。

「…、そうか?」

「この書類、先月の見積もりだ。もう、発注済みだぜ。今月のが欲しいんだよ…」

「ああ…、悪い」

「何かあったのか?」

「いや、別に大したことじゃないんだが…」

 私はボールペンを訳もなくカチカチと押しながら、暈しながら云いました。

「その話は昼休みしよう。課長が、こっちを見てるぞ」と、同僚は慌てて机上の書類へ目を落としました。

 会社から少し離れたビルの地下には、行きつけのカフェレストランがありました。

 カウンタ-で食べるB定食も何となく味気なく、食欲自体も余りありませんでしたが、それでも無言で喉に通していました。同僚は既に食べ終わっていて、ウエイターに、セットに付いている食後のコーヒーを注文しました。そして、注文を終えると私の方を向き、呟くような小声で話しだしました。

「なっ、相談相手にはならんだろうが、心配事があるんだったら云ってくれよ」

「いや、云ってもいいが、信じないだろ?」

「まあまあ、ともかく云ってみな」

「……、実は、子供のことでな…」

「病気か?」

「いいや、それだったら、いいんだが…」

「事故か?」

「でもない…」

「勿体ぶらないで、云えよ」

「…、消えたんだ」

「何が消えたんだ」

「だから、俺の子がさ」

「誘拐か?」と、同僚の顔が、先程とは、うって変わりました。私は、「いや…」とだけ否定しました。

「どういうことだ?」

 理解できないというような、怪訝けげんな表情で、同僚は私を窺いました。

「やっぱりね信じてくれんだろうな…」

「と、いうと?」

「だから俺も、最初は、『そんな馬鹿な話しがあるか!』って、家内に云ったんだが…」

「ん…」

「うちに井戸があるのは知ってるだろ? そこに落ちたのなら、別に妙でもなんでもないんだ。家内が消えたというから、話がややこしくなってきた」

「消えたというと?」

「だから消えたんだよ、スゥーっと。これは飽くまでも家内の話なんだが…。信じられんだろ?」

「ふーむ、信じられん。奥さんさぁ、精神的に疲れてんじゃないだろうな?」

「いいや、そういう風にも見えんのさ」と、私も食後のコーヒーをオーダーしながら小声で云いました。

 その時、同僚が腕を見ながら、「もうこんな時間か…、一度休みにお前ん家へ行くよ。俺もちょいと、ややこしくなってきた。今日はこの辺にしておこう」と席を立ったのです。

 この話は、一応ここで途絶えたのですが、先程も云いましたように、これが解決への、きっかけとなったのでした。

 月は地球の衛星であると、科学では説明されています。私もそれが当然の思考だと思っていました。しかし、ここに大きな抜け穴があったのです。

 井戸が、もし我々の住む銀河系宇宙だと云えば、貴方は私を狂人だと思われるでしょうし、腰を抜かされると思いますが…。

 さて、話を元へ戻しましょう。

 昼食を終え、二人は会社で仕事を続けました。その後も、私は平静さを保ちましたし、同僚も何も訊かなかった風に仕事を続けておりました。ところが、勤めを終えて家に帰宅すると、また異変が起きていました。妻も消えてしまっていたのです。

 もう私は、精神錯乱の一歩寸前といった状態に陥り、『私だけが、何故こんな不幸に見舞われるんだ!』と、いった怒り、失意、そして途方に暮れる気持などが入り混じった状態となり、何をしようという気持も失せたのです。只々(ただただ)、何時間も椅子に座り氷結しておりました。それでも時折り、無意識に日常の雑事で動くことは、しておったようです。事実、私はその後も会社を休まず出勤しておりましたので…。

 それから、数日が経過していきました。

 仕事を終え、通勤電車に揺られ、今となってはもう慣れてしまった、静けさが漂う家へ着きました。すっかり(あきら)めきった心境で、夕食用にコンビニで買い求めた弁当、缶ビール、それに(わず)かな食品をテーブルへと置きました。そして、肩を揉みながら背広を脱ぎ、ハンガーに吊るし、ネクタイを無造作に緩めました。この時点では、妙に落ち着いておりました。『先に風呂にするか…、いや…』と、誰もいない部屋で自問自答しながら、結局、私はバスルームに向かいました。

その時、ピピピッっと携帯が鳴りました。同僚でした。

「実は、友達から連絡が入ってな。どうも、お前と同じらしい。家族が消えちまったって、云うんだが…」

 電話は続きました。

「そいつの家にもお前の家と同じように、井戸があるそうなんだが…。ところがな、話にはまだ続きがあってな。奴も数日前に消えちまったってことだ。近所じゃ、夜逃げでもしたんじゃないかと噂になってるそうなんだがな」

「そうか、…有難う。その話は会社でゆっくり聞くよ」

「お前の家で、ゆっくり話そうと思ったんだが、結構、いろいろあってなぁ…。余り気落ちすんなよ、じゃあな」と、慰めを云い、同僚は電話を切りました。

 次の日の昼過ぎ、私と同僚はいつものカフェレストランで食事を取っていました。

「奴も消える前に、お前と同じようなことを云っていたんだ。『馬鹿なことを云うな!』って、一応は聞き流したんだが、その数日後、奴は消えちまった。余り気分のよい話でもないしな。それで、お前が云ってたことを思い出して、電話したって訳だ」

 後になれば、そうした内容も得心が行くのですが、この段階では他人に話せない不可解な話なのです。異次元への入口が私の家の井戸以外にも幾つかあって、それには一定の法則めいた事実が存在するということでした。

 私が、アチラの世界に住むようになって気づいたことなのですが、このように申しますと、皆さんには意味が分からないとは存じますので、結論だけを端的に申します。その事実の法則めいた共通点とは、まず第一に、家族構成が妻と数人の子供のいる家庭で、第二として、南方の斜め前に柿の木があるということでした。この共通点がどういう関連性をもっているのかは分からないのですが、アチラの世界からの幾つかの条件をクリアーした家族だったということです。同僚の友人の家族も、偶然、そうした条件に合致していたのでしょう。

 その日、同僚から話の内容を聞いた後、いつもと変わらず勤めを終え、帰宅しました。家に入ると、数ヶ月前の生活が脳裏へ去来して想い返され、私はつい、「今、帰ったよ…」と、呟いていました。しかし妻と子供は、やはりこの空間には存在せず、空虚な佇まいの中で動く自分に気づかされました。

 抜け穴に召されるその日まで、私は何をよりどころに生きていけばいいのか…と、途方に暮れるばかりでした。だが、その一方で、なんとかせねば…と思う自分もいました。それが徒労であることは、自分にも分かっていたのですが…。なんの解決の手立ても持たない自分が滑稽でした。

 それからまた数日が経ったある夜、突然、私は宇宙の真っ只中にいるような妙な感覚に襲われたのです。それでも私は、無心に食後の食器を洗い続けていました。食後は、井戸を見にいくのが日課となっていた私ですが、その日も井戸の方へ無意識に足は動いていました。

 その日の井戸は、いつもと様子を異にしておりました。と、云いますのは、私にも見えたのです。子供達が、そして妻が見たと云ったあの地球の姿を…。

 水面は透明な表情を変えず、その水面の奥深くに、薄暗く、しかし明確な円の輪郭をもって、それは存在していたのでした。ほんのわずかではありますが、それは揺らいでおりました。無意識の内に、思わず私は、妻と二人の子供の名を叫んでいたのです。その刹那でした。私の周囲に真っ白の光が輝き、私の意識は遠ざかっていきました。

 気がつくと、いつもと変わらない、出来事が起こる以前の家族の風景がありました。それからのことは、夢といえば夢なのでしょう。私には事実だとは明確に断言できません。確かに妻は夕食の準備をしておりましたし、私は会社休みの日なのか、リビングで寝っ転がっていました。

 起き上がると、無邪気に遊ぶ二人の子供がおりました。二人の子供は、テレビゲームに夢中になっていました。

「もう夕食よ…」と、妻の声がしました。そうです、妻も二人の子供も存在したのです。

 しかし…、「私の家が選ばれてよかったわね。あちらの世界とは全然、生活感が違うわ」と、妻は口にしたのです。

 私には、妻の言葉の意味が、どうしても分かりませんでした。それにね家の佇まいが少し妙でした。以前の私の家のものではない不思議なものが存在したのです。しばらく私は思考感覚が麻痺していましたが、それでも現実を直視しようと、見て歩いていました。

 何事もなかったかのような家族の様子に、私は本の少し躊躇ちゅうちょしながらも、今の状況を冷静に受け止めようと思いました。そのとき、妻がふと云ったのです。

「貴方も、こちらへ来られてよかったわ」

 そのひと言が全てを理解させてくれたのです。私も異空間に来たのだということを…、しかもそれは、夢ではなかった、ということをです。

 でも私には、もうどうでもよかったのです。家族さえ存在してくれるなら…。

 もう少しお話しすることもありますが、これが抜け穴に導かれた私達家族に起こった事の顛末てんまつです。現在では、人間世界では考えられない苦のない世界で、家族四人が幸せに暮らしております。

 この話を信じる信じないは、貴方のご勝手ですが…。


                完

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