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第二十九話 損ばかり 

 世の中でことごとく自分の思うようにならず損ばかりして生き続ける男がいた。名を木之下正吉郎という。名からすれば半ば、いや、ほとんどが出世するだろうと思う名だが、実際は真逆の世界を寂しく生き続けている男だった。いつの間にか誰が呼び始めたのかは分からないが、木之下は社内でザンさまとかげささやかれるようになっていた。もちろん、残念のザンである。木之下は今年で四十半ばだが、そんな裏事情もあり、畿内物産、営業課内の窓際族を一手に務めていた。

「いや、君に頼もうと思ったんだが、上手い具合に得意な黒多君がいたからね。いや、別に木之下君をどうのこうのというんじゃない。気を悪くしないでくれたまえ。この前は岳中君だったな。偶然は重なるよな、ははは…」

 課長の斎塔は、部長の尾田への手前、仕事が確実にできる人選をしていたのだ。木之下はその点では失敗が確定的だったから斎塔の頭の中では論外だった。だが、そうとは本人に言えず、笑ってぼかした。

「ザンさま、かわいそうよね…」

「そうね。今回も残念残念の巻か…」

 木之下を遠目で見ながらOL二人が、チュンチュク、チュンチュクと雀になっていた。

 あるとき、そんな木之下にも絶好のチャンスが巡ってきた。というより、会社の休日で、忘れ物を取りに会社へ立ち寄ったのだが、木之下以外、誰もいなかったという訳である。木之下が課内の自分の机から忘れ物を出し、課を出ようとしたときだった。課長席の電話が激しく鳴った。出なければいいものを、人のよい木之下は受話器を手にした。その相手は、よりにもよって会社の取引先で、しかも一番お得意の三星商事だった。うっかり、会社の休みを間違えた電話だった。

「すみません! 会社は今日、休みなんですが…」

「ああそう。…んっ! その休みの会社にいる君は誰?!」

「ああ。私はこの課の木之下です。ちょっと、忘れ物を取りに立ち寄っただけなんです。もう出ます」

「まあいいよ、そんなことは…。誰かいてよかった! 三日以内にさ、君の会社は偉いことになるぜ。それを伝えとこうと思ってね」

「あの…どちらさまで?」

「私かい…私は三星だよ」

「三星! あの三星商事の三星さまで?」

「そう、その三星…そんなこたぁ、どうだっていいんだよ。斎塔君かと思ったんだ。まあ、君でもいい! 一応、伝えたからな」

「はあ…。で、私にどうしろと?」

「そんなことは君や君の会社の考えることだ。私の知ったこっちゃない」

「会社の偉いことって、なんですか?」

「小会社の朝井食品が竹田商事の浅倉食品に吸収合併されるって話だ」

 朝井食品は木之下が勤める畿内物産の営業収益の大半を占めており、もしこの話が本当なら、畿内物産は倒産する危険もある一大事だった。三星の電話はすぐ切れた。誰に話したものか…と木之下は弱った。話したところで、今まで会社の誰もが、まともに木之下の話を聞いてくれた試しがなかったからだ。ともかく、木之下は直接上司の斎塔へ電話した。携帯番号は知っていたから、上手く斎塔がでた。

「ははは…木之下君、冗談は大概にしてくれよ。今日はゴルフコンペなんだ。ああ…、詳しいことは明日、会社で聞くから」

 斎塔は木之下の話をまともには聞かず、すぐ切った。やはり、駄目か…電話に出たばっかりに今日も損をした、と木之下は思った。

 次の日、会社で木之下は昨日の電話の詳細を課長の斎塔に話した。

「朝井食品が?! 分かった分かった! 一応、聞いておくよ」

 斎塔は木之下の話を軽く聞き流した。だが、その話を斎塔から聞かされた部長の尾田は密かに木之下を部長室へ呼んだ。

「朝井食品が竹田商事に? それが事実なら我が社は偉いことだ。詳しく聞こうじゃないか、木之下君」

 話の詳細を木之下から聞いた尾田は、万が一を考え、先手を打った。朝井食品の資産凍結である。直接取引銀行が動き、一歩寸前のところで朝井食品の吸収合併話は白紙撤回された。それとともに、極秘裏に画策した主導責任により、朝井食品の経営陣は一掃された。それにともない、損ばかりしていた木之下は、やっと得をした。朝井食品の経営陣の一角に抜擢されたのである。畿内商事の誰もが耳を疑う抜擢人事だった。

 一年後、専務取締役に就任した尾田の後任として、木之下は畿内商事へ呼び戻された。社内では木之下をザンさまと呼ぶ者は、誰もいなくなっていた。


                  完

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