第2話 かわいい編入生
結局、読書はほとんど進まないまま、先生が教室に入ってきた。そして授業(今日の1限目は法学の座学、つまり睡眠時間である)が始まる、かと思いきや。先生は教壇の上で教室中を見渡した。
「突然のことにはなるんだが、今日からクラスメイトが1人増えることになった」
教室の中が少しざわつく。それもそう、この学校は普通に入るのは簡単だが編入試験はあり得ないくらい難しいのである。私も1回だけ問題を見たことがあったが、到底私には1問も解けなかった。たぶん私の頭脳にも問題がありそうだ。そもそもここ――王都にある王立魔法学院にほとんどの人が入るため、編入で入る人はいない、という話なのだが。
まぁ、ともかくすごく勉強のできる編入生が来た、ということだ。一部の成績上位層の人は順位の変動を気にするだろうけど、私には関係ない。なんせ欠点かどうかが生命線なのだから。
「じゃあ、入ってきてくれ」
先生が教室の扉に向かって声を掛ける。重い押戸をそーっと開けて現れたのは灰色の髪の男の子だった。どちらかというと白に近い灰色の髪を肩下までの三つ編みにしてまとめている。教室の照明を反射してきらきら光る青い瞳。小動物のような口元には柔和な笑みを浮かべていた。
私がその子のことを男だと思えたのはかろうじて彼が男子の制服を着ていたからである。一瞬、どちらか悩んだ。というか最初は女の子だと思った。
「自己紹介をしてくれ」
彼はこくりと頷いて口を開いた。少しかすれた、けど温かみのある声だった。
「はじめまして、クリストフ・ロベールです。ロベール辺境伯領から来ました。えーと、あと1年ほどの付き合いですが仲良くしてくださると嬉しいです」
よどみなく言い終えると彼――クリストフはにこっと目を細めた。男女問わず人気が出そうな容姿と表情である。しかも話の感じでは辺境伯令息なのだろう。金も容姿も頭脳も持っているということだ。人気が出ないわけがない。
「ということだそうだが、クリストフに質問がある人はいるか?」
先生がみんなに問いかけると、最初は少しの沈黙が走ったものの、ぽつりぽつりと手が上がり始めた。
「なんで今の時期にこっちの学院に?」
「父がこちらで仕事をすることになって、俺も付いてきました」
「婚約者様はいらっしゃるの??」
「実はまだいなくて。両親にもせかされているのですが」
クリスはそのすべての質問に人当たりの良い笑顔を浮かべながら答えていった。婚約者がいない、ということがわかって教室内の女子の目が輝いた。いや、9割婚約者がいた気がするのだけれど。
クリストフの席は私の隣だった。私の左側の席はアンリだが、一番右後ろである私の隣は席が空いていた。この教室は席が自由なので、明日からは彼の隣の席の争奪戦が始まりそうだ。
「ごめん、教科書見せてもらってもいい? まだもらってなくて」
先生が講義を始める前に雑談をしだした頃(たぶん先生の初恋のかわいい転校生の話だった気がする)、隣からこそっとささやき声が聞こえた。
変に距離を縮めると、教室の女子からの視線が怖い。私は机の上に出していた教科書をクリストフに差し出した。
「はい、どうぞ」
「え、いや、貸してほしいわけじゃ」
「いいよ、私が見てもわからないから」
嘘ではない。全くわからないのだから。クリストフは、口元を緩めてあははと小さな声で笑った。自己紹介の時とは印象の違う笑顔で。つぼに刺さったならよかった。
「ねぇ俺たちどこかで会ったことない?」
急に真顔でそんなことを聞かれる。あ、これはモテる男のなんとかってやつだ。
「ないと思うけど」
「そう?」
「そう」
そこで先生の講義も始まり、クリストフは意識を黒板へ向けた。手元を見ずにノートにさらさらとメモを取っている。ふむ、これは頭がいい男のなんとかってやつか。自然と私も講義に耳を傾けた。
不思議とその日の講義の内容はいつもより頭に入った気がする。
「教科書、貸してくれてありがとうね」
「どういたしまして、またいつでも貸すよ」
返してもらった教科書を鞄の中にしまう。教室中がクリストフと話したそうにしていたが、顔を上げてもクリストフはまだこちらを見ていた。
「1つ聞きたいことがあるんだけど、この学年で『ノアくん』っていう男の子知らない?」
つまり私と同名の男の子か。このクラスには確実にいない――が、他の2クラスはちょっとわからない。
「どういう子?」
「すごくかっこいい男の子で……その他はあんまり覚えてないんだけど」
それはもはや「何も覚えてない」なんじゃないかな。
「ねぇアンリ、ノアって子この学年にいたっけ」
私は椅子に座ったままくるっと反対側を向き、アンリに問いかけた。アンリのほうが他のクラスとも交友が深いはず。
「いや、あなたがノアでしょう。頭がおかしくなりましたの?」
「そうじゃなくて! 男の子らしいんだけど」
「いませんけど」
「……ノアくん?」
少し震えた声が聞こえてきて、私は再度クリストフの方を振り返った。こちらを見つめる彼の目は少し潤んでいた。
私の頭の中を13年前の少女の顔がよぎった。目の色は覚えていない。でも、髪の色はこんな感じだった気がしなくもない。髪は結んでいなかった。あと、声はもっと高かった。でも、泣きそうになっている顔が全く同じな、泣き虫なあの子――あの子の名前は。
「……クリス!」
まずは会えて嬉しいというより、思い出してすっきりしたという感情が先だった。それから数秒の間、頭の中の靄が晴れていくとともに。
「ノアくんって女の子だったの!?」
「いや、そっちこそ前は絶対女の子だったって!」
双方から失礼すぎる大声が教室に響いた。




