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文明観察日記 ーー ショートショート短編集  作者: はまゆう


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第1話 帝国は一日では滅びない

 ある巨大な帝国の話である。

 名前は伏せておこう。どうせ誰でも知っている。


 この帝国には立派な道路があった。石で舗装され、どこまでも続く。

 水道もあった。遠くの山から水を引き、都市の噴水にまで流れてくる。

 橋も浴場も競技場も、みな巨大で頑丈だった。


 市民は言っていた。


「この文明は永遠だ」


 なにしろ、何百年も続いていたのだから。


 しかし歴史家というのは妙なことを言う人種で、後になってこう書いた。


「帝国は一日では滅びなかった」


 どういう意味かというと、滅びというのは大事件ではなく、長い変化だったということらしい。


 たとえば、ある日こんな会話があった。


「この橋、最近修理してないね」


「予算がないらしいよ」


「へえ」


 それだけの話である。


 橋はすぐに落ちたりしない。ローマ――いや、その帝国の橋は頑丈だった。


 だから誰も気にしなかった。


 水道も同じだった。


「最近、水の出が悪いな」


「人手が足りないんだって」


「ふうん」


 それでも水は出た。


 都市もまだ賑やかだった。


 ただし、考古学者が後で調べると、奇妙なことがわかった。


 都市の面積が少しずつ小さくなっていた。

 陶器の質が少しずつ落ちていた。

 立派だった公共施設が、いつの間にか使われなくなっていた。

老朽化しても予算が回されなくなったのだ。


 だが、当時の人々にはそんなことはわからない。


 人は、ゆっくり変わるものには気づきにくいのである。


 ある日、市民が言った。


「昔は家に鍵をかけなくてもよかったんだけどな」

「最近は物騒だからね」


 都市の人口が減り、軍が地方から引き上げられると、治安は少しずつ悪くなった。


 しかし、まあ鍵をかければ済む話だ。


 帝国が滅びる理由には見えなかった。


 そのころ、帝国にはいろいろな人々が住んでいた。


 これは帝国の長所でもあった。


 北アフリカ出身の皇帝もいた。

 シリア出身の高官もいた。

 ギリシャ人、ガリア人、アラブ人、さまざまな民族が役職についた。


 帝国は多文化で包摂的だった。


 ある皇帝は、帝国中の自由民に市民権を与えた。

 それは212年のことで、みんな市民になった。


 人々は喜んだ。


 帝国はますます巨大になった。


 しかし巨大なものには、巨大な維持費がかかる。


 軍隊は増え、国境は広がり、税金も増えた。


 ある商人が言った。


「最近、税が重いな」


「帝国を守るには防衛費増大は仕方ない」


 たしかにその通りだった。


 帝国の外には、さまざまな民族がいた。

 その中には、帝国に入りたがる者もいた。


 ある年、北のほうから大勢の人々がやってきた。


「ここに住ませてほしい」


 帝国は広かったので、受け入れた。


 彼らは農民になり、兵士にもなった。


  フォエデラティ(同盟民)という制度で、軍務などの仕事をする代わりに帝国の土地に移住できたのである。


 これは合理的な政策だった。


 なにしろ帝国では、兵士になりたがる市民が減っていたのだから。


 外国出身の兵士は勇敢だった。

 だが一つだけ問題があった。


 彼らの祖国は、帝国ではなかった。


 もっとも、当時は誰も気にしなかった。


 帝国はまだ大きかったからだ。


 別の変化も起きていた。


 宗教である。


 昔の帝国にはたくさんの神がいた。

 山の神、川の神、戦いの神、家の神。


 ところがあるころから、唯一の神を信じる宗教が広まった。

当初は危険なカルトとして排斥していた。


 だが、政治家が利用し出し、やがてそれは皇帝に認められ、ついには国教になった。


 380年のことである。


 そして数十年後、奇妙な事件が起きた。


 古い神殿が壊されはじめたのだ。


「偶像崇拝は禁止だ」


 熱心な信徒がそう言った。


 昔の神々の像は砕かれた。


 帝国は以前よりも統一された宗教を持った。

 しかし同時に、昔とは違う国にもなった。


 そのころ、帝国では内乱が増えていた。


 皇帝が変わるたびに争いが起きた。

 軍人皇帝という言葉ができるほどだった。


 歴史家はこの時代を「三世紀の危機」と呼ぶ。


 疫病も流行した。

 気候も少し変わった。

 財政は苦しくなった。


 しかしそれでも、帝国は続いていた。


 市民はパンを食べ、浴場に行き、競技場で歓声を上げた。


「帝国は大丈夫だ」


 そう思う方が自然だった。


 そして長い年月が流れた。


 ある年、帝国の西のほうで皇帝が退位した。


 476年のことである。


 最後の皇帝は、外国出身の将軍によって廃位された。


 教科書にはそれが「帝国の滅亡」と書いてある。


 だが、その日も水道は流れていた。

 市場は開いていた。

 人々は税金を払っていた。


 生活は昨日と同じだった。


 だから当時の人々は気づかなかった。


「あれ、帝国って終わったの?」


 と。


 ただ国の名前が変わり、支配者が変わり、制度が少しずつ変わっただけだった。


 つまり帝国は、崩壊したというより、形を変えたのである。


 歴史家はそれを「ローマの没落」と呼ぶ。


 しかし別の歴史家はこう書いている。


「それは滅亡ではなく、長い変容だった」


 この話を読んだある国の人が言った。


「へえ。帝国って、こうやって終わるのか」


 別の人が言った。


「そうらしいね。インフラがだんだん直らなくなって、税金が増えて、人口が減って、外国人に頼るようになって……」


 少し沈黙があった。


 そして三人目の人が、ぽつりと言った。


「……なんだか、どこかで聞いた話だな」


 二人はうなずいた。


 しかしその国のニュースでは、その日もいつも通りこう言っていた。


「大丈夫です。問題はありません」


 帝国は、今日もゆっくり続いていた。

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