1941年6月22日:焦土の撤退~効率的な破壊とポーランドの荒廃~
【1941年6月22日・ポーランド総督府 ワルシャワ西方】
ドイツ軍の侵攻は、まさに電撃的だった。しかし、ソ連軍最高司令部と共産党指導部は、この事態を想定していた。スターリンの指令、「一度は退却する」という冷徹な戦略に基づき、赤軍は周到に準備された撤退戦を開始した。それは、無秩序な逃走ではなく、計画的な焦土作戦だった。
最前線でドイツ軍の猛攻をわずかな時間食い止めるや否や、守備隊は直ちに後退を開始した。彼らの背後では、専門の破壊部隊が迅速に動いていた。轟音と共に、鉄道橋が爆破され、線路はめくれ上がり、使用不能となった。物資集積所は炎に包まれ、貯蔵されていた燃料や弾薬が次々と爆発し、黒い煙が空高く舞い上がった。
撤退部隊の将校は、無線で次々と命令を下す。
「ワルシャワ西部の送電施設を破壊せよ! 電力供給を完全に遮断しろ!」
「全ての電話回線を切断! 通信網を寸断しろ!」
「駅舎はすべて爆破! 敵に一切利用させるな!」
発電所のタービンは破壊され、巨大な鉄骨が無残にひしゃげた。主要な道路には地雷が敷設され、橋は次々と落とされた。ドイツ軍が進むであろう全ての道は、徹底的に破壊されていく。
この苛烈な破壊活動は、一夜にして行われたわけではない。1940年のフランス陥落後、ソ連がポーランド旧領に侵攻して以来、この地域は戦略的な「焦土地帯」として扱われていた。物資の多くは、ロシア本土へ事前に運び去られており、残された食料や貴重品も、ごく最低限のものだけだった。
「クソッ、何もないぞ!」
ドイツ軍の先遣隊が、ワルシャワ西部の荒廃した村に到着すると、彼らは荒涼とした光景を目の当たりにした。住人は姿を消し、家々は打ち捨てられ、農地は手入れもされずに荒れ果てていた。街はインフラが徹底的に破壊され、まともな補給拠点となるものは何も残されていなかった。
ドイツ軍将校Aは、信じられないといった様子で呟いた。
「これは一体どういうことだ!? まるで焼け野原ではないか!」
ドイツ軍将校Bは、その光景から目をそらし、苦々しく言った。
「ソ連のプロパガンダ通り、我々を内陸深くへと引きずり込むつもりか…それにしても、これほど徹底的とは…」
アプヴェーアの報告書にもあった、ソ連の「非効率性」や「腐敗」による「工事の遅延」や「多大な犠牲」は、ドイツ側にとってはソ連の「無能さ」の証拠とされていた。しかし、実際に目の当たりにしたのは、その「無能さ」の影に隠された、恐ろしいほど効率的な破壊と撤退の戦略だった。ドイツ軍は、空虚な勝利の幻影を追うことになった。
彼らは、ソ連がこの数年、この地を「戦場」として準備していたことに、この時ようやく気づき始めていた。だが、その真の意図と、その先に待ち受ける「赤い鉄壁」の存在には、まだ誰も気づいていなかった。
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