1941年6月22日未明:裏切りの暁~スターリンの冷笑~
【1941年6月22日未明・モスクワ クレムリン】
静まり返ったクレムリンの一室に、乾いた電話のベルが鳴り響いた。まだ夜が明けきらぬ午前3時過ぎ、側近が受話器をスターリンに手渡す。受話器の向こうから聞こえてきたのは、ドイツ軍が国境を越え、ソ連領内への侵攻を開始したという、衝撃的な第一報だった。ドイツの電撃的な奇襲によって、一瞬にしてソ連の平和は崩れた。
スターリンは、受話器を置くと、深く座り込んだ椅子の背にもたれかかり、大きく息を吐いた。彼の顔には、まず裏切りに対する激しい怒りが湧き上がった。長年築き上げてきた不可侵条約が、かくもあっさりと破られたことへの侮蔑。しかし、その怒りの底には、どこか冷徹な計算の色が宿っていた。
彼はゆっくりと立ち上がり、執務室の窓辺へと歩み寄った。モスクワの夜空は、まだ星が瞬いている。だが、彼の脳裏には、既に火と煙に覆われた西部の光景が広がっていた。フランスを瞬く間に飲み込んだあの電撃戦が、今度は祖国に襲い掛かる。圧倒的な機甲戦力、空からの容赦ない爆撃、そして敵の容赦ない進撃。それは、彼の想像をはるかに超える規模の侵攻だった。
通常の指導者ならば、絶望に打ちひしがれるか、あるいは激しい憤怒を露わにするだろう。しかし、スターリンは違った。彼は、これから祖国が被るであろう甚大な被害、無数の犠牲、そして国土が焦土と化す想像を、まるで劇場の幕開けを見るかのような目で眺めていた。彼は既に、この事態を織り込み済みだったのだ。
彼の口元が、わずかに歪んだ。それは、狂気の笑みとも、あるいは全てを見通した者の冷笑ともとれるものだった。
「ドイツの愚か者どもめ……。奴らは、我々を過小評価している。そして、我々の『焦土』が、一体どれほどの血と労力で準備されたものか、まだ理解していないのだ。」
彼は、遠い目をして、地図上のドニエプル川、そしてリガからオデッサまで続く赤い線を心の中でなぞった。彼の脳裏には、自らが築き上げた「赤い鉄壁」と、その奥に潜む二つの巨大な装甲軍団の姿が鮮明に浮かび上がっていた。
「来るが良い、ファシストの豚ども。お前たちは、我々が用意した『赤い鉄壁』と、その奥に眠る真の恐怖を、まだ何も知らないのだからな……。」
彼の声には、侮蔑と、そして敵に仕掛けた巨大な罠の成功を確信しているかのような、奇妙な歓喜が混じり合っていた。裏切りの一報は、彼にとって、自らの冷徹な戦略が今まさに試される時が来たことを告げる、号砲でもあったのだ。
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