1940年8月20日:ジューコフの進言~勝利の陰で蠢くクリミアの影~
【1940年 夏・モスクワ クレムリン 軍事会議室】
フランスがドイツの電撃的な侵攻の前に屈し、パリが陥落したという衝撃的なニュースが、クレムリンの重い空気の上に覆いかぶさっていた。スターリンの周囲には、国防人民委員を始めとする軍幹部たちが集まり、今後のヨーロッパ情勢と、ソ連の防衛戦略について緊急の協議が行われていた。地図には、広大な東部戦線と共に、フランスの陥落によって勢いを増すであろうドイツの脅威が、暗い影のように示されていた。
「同志スターリン、そして同志将軍各位。フランスの迅速な崩壊は、ドイツの電撃戦の恐るべき威力を示しました。我々も、来るべき事態に備え、あらゆる可能性を考慮しなければなりません。黒海の要衝オデッサは、敵が新たな侵攻の足がかりとする恐れがあります。」
ジューコフ大将は、地図を指しながら冷静に、しかしその言葉にはフランスの陥落に対する深い警戒感が滲んでいた。ドイツの機甲戦力は、今やヨーロッパ大陸でその力を証明したばかりだった。
ジューコフは、さらに続けた。
「そこで、私は、オデッサへの機甲部隊の展開を、敵の侵攻が本格化する直前までクリミア半島に秘匿することを提案いたします。」
彼の指は、地図上のクリミア半島を力強く示した。
「クリミア半島は、オデッサから比較的近い位置にあり、鉄道と黒海艦隊による迅速な兵力輸送が可能です。ドイツ軍が東部戦線への侵攻を開始し、その機甲戦力が他の方面に展開したその瞬間、隠匿されていた機甲部隊をクリミアからオデッサへ投入し、敵の意表を突くのです。」
会議室には、先ほどの重苦しい沈黙とは異なる、新たな緊張感が走った。フランスでのドイツの圧倒的な勝利の後だけに、この大胆な提案は、より切実な意味を持っていた。
スターリンは、深く考え込むようにパイプを咥えた。フランスの電撃戦の映像が、彼の脳裏をよぎったのかもしれない。
「クリミアに隠匿、そして敵の侵攻直前にオデッサへ…フランスの二の舞を演じるわけにはいかんぞ。輸送の確実性は?」
「同志スターリン、黒海艦隊の輸送能力を最大限に活用し、鉄道輸送の遅延を防ぐための厳重な手配を行います。フランスでの戦訓を活かすならば、敵の初期の電撃的な攻勢に対し、こちらは隠匿された機甲戦力による奇襲で対抗する以外にありません。敵がオデッサに機甲部隊が存在しないと油断しているところに、強力な反撃を加えることこそ、勝利への道だと信じます。」
他の将校たちも、フランスの陥落という未曾有の事態を受け、ジューコフの提案に一縷の望みを託すように、真剣な表情で聞き入っていた。
スターリンは、ゆっくりと頷いた。
「よかろう、ジューコフ同志。フランスの教訓は重い。君の提案を採用する。クリミアに機甲部隊を隠匿し、敵の侵攻開始の合図とともに、オデッサへの迅速な輸送を準備せよ。この一手が、南部の命運を握ることになるかもしれん。」
ジューコフは、力強く敬礼した。
「承知いたしました、同志スターリン! フランスの轍は決して踏ませません! 必ずや、隠密性を最大限に活かし、勝利を掴んでみせます!」
フランスの陥落という暗い影の中で、ソ連は新たな戦略の光を見出そうとしていた。クリミア半島に潜む機甲の力は、来るべき戦いにおいて、隠された切り札となるのか。その成否は、ソ連の存亡を左右する可能性を秘めていた。




