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赤い鉄壁:スターリン要塞で迎え撃て  作者: 柴 力丸


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1940年7月中旬:亡命フランス技術者の受け入れ

【1940年7月中旬・モスクワ NKVD本部】


 パリ陥落の報がもたらされてから数週間、ソビエト連邦の首都モスクワは、戦勝国の喧騒とは無縁の、しかし張り詰めた静けさに包まれていた。NKVD(内務人民委員部)本部の、窓を締め切った一室。分厚いカーテンが外部の光を遮り、室内には鉛色の空気が淀んでいた。ここでは、祖国を席巻するナチスの魔の手から逃れるため、危険な逃避行を敢行してきた数名のフランス共産党幹部と技術者たちが、秘密裏に迎え入れられようとしていた。


 部屋の中央に座るNKVD高官――かつて「赤い秘書官」とも面会した、あの冷徹な男の眼光は、亡命者たちを鋭く見据えていた。彼の視線は、彼らの肉体の疲労よりも、彼らが持ちうる「価値」を測っているかのようだった。


「ようこそ、同志諸君。ソビエト連邦は、反ファシズムの闘士たちを常に歓迎する。君たちの勇気ある行動に敬意を表する。」


 NKVD高官の声は、感情を排した平坦なものだったが、その中に潜む力強さが、亡命者たちの不安をわずかに和らげた。疲労の色濃いフランス共産党幹部のデュポンは、重い口を開いた。


「同志、ありがとうございます。我々は、ナチスの暴虐を許すことはできない。祖国を離れるのは断腸の思いだが、自由のために戦う道を選んだ。」


 デュポンの言葉に、彼の背後に控える他の亡命者たちも静かに頷いた。彼らの中には、顔に煤と油汚れを滲ませた男たち、痩せこけた体躯だが瞳には知的な光を宿す男たちがいた。かつてフランスの主要な工作機械メーカーに勤務していた熟練技術者のルフェーブルもその一人だった。彼は古びた封筒をNKVD高官に差し出した。


「同志、これは、我々が持ち出すことができた、フランスの工作機械の設計図の一部です。また、ごく一部ですが、フランス軍の最新の軍需に関する秘密情報も含まれています。」


 NKVD高官は、無表情のまま、その封筒を受け取った。しかし、彼の指先がわずかに封筒の厚みを確かめる動きは、その「手土産」への関心の高さを物語っていた。


「ほう…それは貴重な贈り物だ。特に工作機械の設計図は、我が国の工業発展にとって大いに役立つだろう。フランスの技術は、西側でも有数だと聞いている。そして、軍需に関する情報も、今後の情勢分析に不可欠となる。」


 デュポンが、疲れた表情の中にわずかな誇りを滲ませて付け加えた。

「我々は、ナチスの侵攻によって、多くの工場や軍事施設が破壊されるのを目の当たりにした。持ち出せたのは、ほんの一部だが、同志諸君の役に立てれば幸いだ。」


 NKVD高官は、口元をわずかに歪めて、にやりと笑った。それは、冷徹な計算が結実する瞬間の笑みだった。


「君たちの勇気と献身は、決して無駄にはしない。これらの設計図と情報は、しかるべき部署に届けられ、有効に活用されるだろう。特に、ハルキウのトラクター工場…いや、戦車工場では、大いに参考になるかもしれないな。」


 彼の言葉には、フランスで失われたボーキサイトという物的資源の代替として、フランスが培ってきた高度な技術と知識、そして熟練した人材をソ連が手に入れたという、静かなる勝利の響きが含まれていた。彼は、フランスの技術者たちに、丁重な待遇と、ソ連という新たな地での反ファシズム闘争の継続を約束した。


 フランスの共産派閥からの亡命者たちは、祖国を失った悲しみを胸に抱きながらも、新たな戦いのために、その知識と技術をソ連に託したのだった。彼らが持ち込んだ「手土産」は、ソ連の軍事力、特にT-34の生産ラインの効率化や、新たな兵器開発のヒントとなる可能性を秘め、スターリンが築き上げる「赤い鉄壁」の新たな歯車となるであろう。

ここまでお付き合いくださり、ありがとうございます。

次回もどうぞよろしくお願いいたします。

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