1937年1月上旬:ドニエプル要塞計画の始動
※1937年、ついに「赤い鉄壁」要塞構想が公式に始動します。
本話では、ドニエプル川沿岸の要塞設計が動き出し、工兵部隊と設計局の初動が描かれます。
机上の構想から現実の地図へ。これが赤軍と政治の境界線の始まりとなります。
【1937年1月上旬・モスクワ クレムリン スターリン執務室】
1937年の冬は、モスクワを凍てつかせ、クレムリンの分厚い壁もその冷気を完全に遮ることはできなかった。ヨシフ・スターリンの執務室では、暖炉の火が赤々と燃え、その光が、長机に広げられた巨大な地図を照らしていた。地図上には、ドニエプル川が蛇行し、その西岸に沿って、赤鉛筆で幾重もの線が引かれていた。それは、秘密裏に進められてきた「ドニエプル要塞線構築計画」の素案だった。
スターリンの向かいには、国防人民委員ヴォロシーロフ元帥と、参謀総長シャポシュニコフが厳粛な面持ちで座していた。彼らの顔には、この計画の持つ戦略的重要性と、その実現に向けた途方もない困難が映し出されていた。
「同志諸君。西方からの脅威は、日増しに増大している。我々は、来るべき嵐に備えねばならん。このドニエプル要塞線は、単なる防御線ではない。『赤い鉄壁』の中核をなすものだ。敵を奥深く引き込み、燃料を尽かせ、そしてこの要塞線で粉砕する。そのためには、一刻の猶予も許されない。」
スターリンの声は低く、しかし有無を言わせぬ響きを帯びていた。彼は地図上の特に重要と見られる地点を指し示した。
「要塞の構築は、可能な限り迅速に進めねばならん。北部は凍結が激しく、本格的な作業は春を待つしかないだろうが、黒海に面した南部地域は、比較的温暖だ。まずはこちらから、測量と基礎工事を開始せよ。」
シャポシュニコフは頷いた。
「承知いたしました、同志スターリン。既に選抜された技師団と測量部隊の準備を進めております。資材の輸送計画も並行して進行中です。厳冬期のため、作業は困難を極めますが、総力を挙げます。」
スターリンは、満足げにパイプをくわえ、ゆっくりと煙を吐き出した。その煙の向こうで、彼の目は、遠くドニエプル川の方向を見据えていた。
【1937年1月下旬・黒海沿岸 オデッサ近郊】
雪混じりの冷たい風が吹きつける、黒海沿岸の凍てつく平原。オデッサの港には、モスクワから派遣された最初の「土木演習」部隊を乗せた列車が到着した。彼らは、重い装備を背負い、凍える体で列車を降り立った。その中には、疲労困憊した測量技師たち、そして、まるで農作業に従事するかのような粗末な身なりの労働者たちがいた。
彼らが向かう先は、オデッサ郊外の広大な未開地だった。表向きは「大規模な灌漑計画」のためとされたが、案内する士官たちの目は、どこか張り詰めている。
「ここは、まもなく『工事演習001』と名付けられる、大規模な公共事業の現場となる。我々がここに、ソビエトの未来を築き上げるのだ!」
彼らの目の前には、広大な荒野がどこまでも続いていた。まだ、砲塔もない試作下部車体OT-34が泥に喘ぎ、作業員が冷たい風の中で測量機器を構える「工事演習001」の光景は、ここから始まっていくのだった。
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