1940年2月・航空機製造担当者会議:逼迫する金属
【1940年2月・モスクワ ソ連国防工業部 合同会議室】
モスクワの春はまだ遠く、ソ連国防工業部、重工業部、機械製作工業部の合同会議室には、重苦しい空気が澱んでいた。アルミニウム不足という喫緊の課題が、会議全体の議論を支配している。航空機製造を担当する幹部、イワノフは、疲労を隠せない顔で現状を報告した後、厳しい表情で腕を組んだまま、沈黙を守っていた。
国防工業人民委員が、苛立ちを隠せない様子で口火を切った。
「同志イワノフの報告は、極めて深刻だ。アルミニウムの不足が、航空機生産の文字通り、死活問題となっている。同志コズロフ、重工業部として、この状況をどう認識している?」
重工業人民委員コズロフは、やや焦った様子で言葉を紡いだ。
「人民委員同志、ご指摘の通り、事態は深刻です。クラスノトゥリンスクの拡張、ウクライナ、カザフスタンでの新規開発は、最大限の努力を払っております。重機、人員ともに優先的に投入し、増産体制を強化しているところです。しかし、地質調査に時間を要したり、採掘設備の立ち上げに遅延が生じたりと、課題も多く……」
機械製作工業人民委員スミルノフが、身を乗り出してコズロフの言葉を遮った。
「問題は、その『遅延』です、同志コズロフ!前線からの戦闘機、近接航空支援機の要求は増大の一途を辿っており、このままでは、我々の航空戦力が著しく低下しかねません!外務人民委員部には、一体いつになったら具体的な輸入交渉の結果がもたらされるのですか、同志トロポフ?」
矛先を向けられた外務人民委員部代表トロポフは、やや防御的な口調になった。
「同志諸君、外務人民委員部も、この問題の重要性は十分に認識しております。現在、複数の国と交渉を進めており……」
国防工業人民委員が、語気を強めてトロポフを詰めた。
「『交渉を進めている』などという曖昧な報告は不要だ!具体的な見通しを示せ!いつ、どれだけの量のボーキサイトが確保できるのだ?」
トロポフは言葉に詰まり、資料に目を落としたまま、明確な返答を避けた。会議室には、重い沈黙と焦燥感が渦巻いていた。イワノフは、そのやり取りを無言で見つめ、現状の厳しさを改めて痛感していた。もしアルミニウムが手に入らなければ、T-34の軽量化と引き換えに航空機の生産が停滞し、空からの「赤い鉄壁」が完成しないことは明白だった。
【1940年春・モスクワ ソ連外務人民委員部 会議室:喫緊の交渉戦略】
その頃、ソ連外務人民委員部の内部会議室では、人民委員モロトフを中心に、喫緊の交渉戦略が議論されていた。壁に貼られた世界地図が、彼の厳しい視線の先にあった。
モロトフは地図上のバルカン半島を指しながら、低い声で言った。
「航空機製造部門からの圧力は増すばかりだ。トロポフ同志からの曖昧な報告では、何の解決にもならない。ユーゴスラビア情勢が不安定化する前に、迅速に手を打つ必要がある。」
外交官Aが報告書を手に続けた。
「ユーゴスラビアですが、埋蔵量は限定的です。しかし、現状の政治情勢を鑑みれば、早期に交渉を開始すべきでしょう。クロムとのバーター、あるいは工業製品との交換などが考えられます。」
外交官Bは別の可能性を示唆した。
「ハンガリーは、依然として親ドイツ的な姿勢を強めており、交渉は困難でしょう。彼らに時間をかけるべきではありません。」
外交官Cは、意外な選択肢を提示した。
「フランスですが、シベリアからの毛皮との物々交換ならば、比較的早期に合意に至る可能性があります。彼らは外貨獲得に飢えていますから。」
モロトフは腕を組み、冷徹に判断を下した。
「ユーゴスラビアがドイツの手に落ちる前に、確実にボーキサイトを確保する必要がある。フランスとの交渉も並行して進めろ。毛皮の量を精査し、輸送ルートを早急に確保する手筈を整えろ。」
モロトフは、厳しい表情で結論を下した。
「ユーゴスラビアとフランスを最優先に交渉を進めよ。ユーゴスラビアには、可能な限りのボーキサイトの確保と、クロムとのバーターを視野に入れる。フランスには、毛皮との物々交換を迅速にまとめる。時間はない。一刻も早く行動を開始しろ!」
ソ連の未来を左右するボーキサイト確保の命運は、外交官たちの肩にかかっていた。彼らは、航空機の翼を支えるアルミニウムのために、世界の政治地図を駆け巡ることになる。
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