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赤い鉄壁:スターリン要塞で迎え撃て  作者: 柴 力丸


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1939年8月:スターリンの問いとシャポシュニコフの返答

【1939年8月24日・モスクワ クレムリン スターリン執務室】


 独ソ不可侵条約が調印された翌日、スターリンの執務室には、いつもと変わらぬ重い空気が漂っていた。彼はパイプをくゆらせ、その煙が部屋に満ちる中で、軍参謀総長ボリス・シャポシュニコフを呼び出した。シャポシュニコフは、眼鏡の奥で冷静な光を宿したまま、スターリンの前に立った。


 スターリンは、ソファに深く身を沈め、シャポシュニコフに問いかけた。その声には、条約調印の興奮など微塵も感じられない。

「シャポシュニコフ同志。貴官は、昨日の条約調印をどう見る?」


 シャポシュニコフは、一瞬の間を置いた。彼は、この数年間に軍を吹き荒れた「浄化」の嵐を生き延びた男だ。感情を露わにすることは、もはや彼の選択肢にはなかった。しかし、その知性と洞察力は、以前にも増して研ぎ澄まされていた。彼は、スターリンの真意を探りながら、慎重に言葉を選んだ。


「同志スターリンのおっしゃる通りかと存じます。ドイツのこれまでの行動を鑑みれば、彼らがここまで寛大な条件を提示したことには、怪しい点が多々ございます。特に、バルト三国やフィンランド、ポーランドにおける我々の『特別な利害』を、まるで既成事実であるかのように認めた点は、にわかには信じがたい譲歩です。」


 シャポシュニコフの言葉に、スターリンは満足げに頷いた。彼はゆっくりと立ち上がり、窓の外のクレムリンの壁を見つめた。

「その通りだ、シャポシュニコフ同志。奴らはにこやかに握手をしながら、もう一方の手にはナイフを持っている。ドイツは、我がソビエトを、来るべき西方での戦いから引き離し、後顧の憂いをなくそうとしているに過ぎん。彼らは、我々を一時的な『無害な隣人』と見せかけたいのだ。」


 スターリンは振り返り、その冷徹な視線をシャポシュニコフに向けた。

「だが、我々もまた、彼らのナイフの柄を握っている。この条約は、我々に貴重な時間をもたらした。西方での戦いを長引かせ、ドイツと西側諸国が互いに疲弊する。その間に、我々は『赤い鉄壁』を完成させ、真の『鉄の農民』を量産するのだ。彼らが気づかぬうちに、我々の牙は研ぎ澄まされていく。」


 シャポシュニコフは、スターリンの言葉に静かに耳を傾けた。彼の心には、一抹の安堵と、そして国家の未来への、より一層の重い責任感が刻まれた。この偽りの平和が、どれほどの血と汗の代償の上に築かれるのか、彼には痛いほど理解できた。


「承知いたしました、同志スターリン。この『時間』を最大限に活用し、来るべき時への準備を徹底いたします。赤軍のすべての資源と人材は、そのために捧げられます。」


 シャポシュニコフの言葉は、感情を排した、しかし確固たる決意に満ちていた。スターリンは、その返答に満足げな笑みを浮かべた。モロトフ・リッベントロップ条約は、世界を欺き、ソビエトの「赤い鉄壁」計画を加速させるための、まさに策略の結晶だったのだ。

ここまでお付き合いくださり、ありがとうございます。

次回もどうぞよろしくお願いいたします。

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